タレント活動についてとは? わかりやすく解説

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タレント活動について

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 08:29 UTC 版)

やしきたかじん」の記事における「タレント活動について」の解説

普段の喋る時のダミ声地声と、歌う時の高く澄んだ甘い歌声 とのギャップあまりにも大きいため、関西以外ではたかじん歌手であることを疑われることが頻繁にあり、上岡龍太郎たかじん評して鈴虫の声を持ったゴキブリと言った歌手ありながら1986年日本放送演芸大賞ホープ賞」、1993年上方お笑い大賞審査員特別賞」を受賞(本来なら大賞であったのだが、たかじん自身が「歌手大賞受賞するのは芸人に対してシャレにならない」と辞退したための処置)。お笑いの賞と歌の賞と両方獲得しているのはたかじんただ一人である[要出典]。 一時期桂雀々2代目桂春蝶や『MBSヤングタウン』で共演した桂三枝のもとに付いたり、様々な名だたる上方芸人交流深め(特に雀々とは北新地居酒屋猫八」で出会って以来付き合いで、かつては天満マンション一緒に住んでいた)、しゃべり遊び勉強をしていた事がある祇園弾き語り時代には、6代目笑福亭松鶴藤山寛美お茶屋遊び教えられ3代目桂米朝には大阪宗右衛門町南地大和屋遊び基本学んだ)。そのため、芸人以上に芸人としての意識が強いことから、若手に対して厳し一面もあり、飲みに行く際には喫煙飲酒させない程である。タカアンドトシ博多華丸・大吉サンドウィッチマン波田陽区、はなわ、ヒロシ世界のナベアツなどに太鼓判押し、彼らを気に入っていた[要出典]。また、サンドウィッチマン富澤たけし歌手としてのたかじんファンである。 1994年アサヒビール関西限定ビール「生一丁」のCM出演。「あけまっせ!」「これやがな!」の台詞が受け、同製品爆発的なヒットとなる。 さらに1985年朝日放送ラジオ聞けば効くほどやしきたかじん』で初め帯番組務める。この時、金曜日円広志行なっていた大阪駅ビルサテライトスタジオABCエキスタ」での公開生放送注目を浴びる。「音曲漫才(ちゃうのんブルース)」や生ライヴさらにはCM無視した1時間以上にわたる内輪話大人気となり、観客スタジオ殺到その人気ぶり写真週刊誌フライデー』が取材。「昼休みサラリーマンがわざわざ営業車乗ってまで聴く程のお化け番組」と紹介された。朝日放送ではラジオ・テレビの他のレギュラー番組にも進出。『聞けば-』は1987年10月終了するが、その直後ラジオ午後は一気に!サタデーたかじん』のパーソナリティー、さらに夕方報道番組ニュースウェーブABC』のコメンテーター務める。 放送禁止用語放送局出入り禁止や、名誉毀損後述)も恐れないストレートな発言友人であろうとも容赦なく批判する)で、テレビ・ラジオのパーソナリティーとして関西では不動地位誇り、全レギュラー番組が高視聴率を誇ることから「浪速関西)の視聴率男」(関西の高視聴率男とも)と呼ばれた本人自著の中で「僕を視聴率男と呼ばないで」と記しているが、これまで数多く番組ヒットさせた。 読売テレビ製作『たかじんnoばぁ〜』でも、編集(「ガオー」という効果音無しでは放送できないような発言暴言繰り返したが、そのトーク評判呼んでNNN系列キー局ある日テレビで放送されるうになるたかじんカラオケギター弾き語りで歌うこともあった。この「ガオー」がこの番組名物となる。放送時間深夜12 - 1時台を過ぎているにもかかわらず最高視聴率25%超え関西地区)、読売テレビ史上深夜番組最高視聴率記録更新する事となった。この番組中に泥酔のため、たかじん東京嫌い(後述)や、司会におけるスタイル批判したゲスト立川談志灰皿投げつけ「気に入らんかった帰れ」とスタジオから追い出し犬猿の仲発展したが、トミーズ雅に「放送できない」と止められた。また、内田裕也安岡力也ゲストに来た際、内田番組お約束でもあったコントにも参加せず、特に問題発言行動もなく番組途中で帰ったのにまったく怒らずその後何事も無かったかのように力也トーク続け懐の深さもみせた。ただし、たかじん公式サイト企画によりハワイ再会するまでの一時期内田共演NGブラックリスト入りをした。 1992年10月より、在京放送局でテレビ・ラジオ合わせて3本レギュラー番組を持つも、東京嫌気差し半年後に全て降板また、この年後述する『晴れ時々たかじん』における朝日放送でも局長失言原因で、結果としてたかじん東西テレビ朝日系列局激昂したことにより、テレビ朝日は勿論、在京テレビ局および朝日放送とは絶縁し出演することがほとんど無くなった。これ以降は、歌手活動並行しながら関西ローカル数本レギュラーを持つようになるとは言え1994年から2004年頃までは、親交のある明石家さんま島田紳助などが司会東京収録番組にも義理ゲスト出演していた(『恋のから騒ぎ』、『開運!なんでも鑑定団』、『料理バンザイ!』など)が、やはり、キー局とそりが合わずトラブル起こした結果的に1998年頃から2004年に『さんまのまんま』と『幸せって何だっけ 〜カズカズの宝話〜』にゲスト出演するまで、東京収録番組には全く出演しなかった。また、1994年10月から2年半の間は大阪全国ネット番組たかじん・ナオコのシャベタリーノ』(毎日放送)の司会務めた1994年から自身司会務める『たかじん胸いっぱい』(関西テレビ)が開始。さらに1998年には『たかじんONE MAN』(毎日放送)が始まる。この2つテレビ番組芸能人など主に業界に関する企画中心で、番組改編期になると、新番組平均視聴率予想するのが恒例であったまた、この視聴率予想的中率が異常とも言える程の高さを誇っていた。これも「晴れ時々たかじん」の司会就任の頃、自宅10台前後のビデオデッキ使ってテレビ番組動向をたとえ本人嫌いな番組であってもチェック以前チャンネルごとに録画していたが後にジャンルごとに録画する形に変更)していて以来続いた彼のネタのひとつである。 これまで芸能関連企画多かったが、2002年政治・経済などの時事問題テーマにした特別番組たかじんのそこまで言って委員会』を放送(翌2003年にはレギュラー化)。そして2004年には『ムハハnoたかじん』が開始5年守っていた「レギュラー2本」が倍増した2011年1月から死去するまではレギュラー3本)。理由について本人は「老後のため」とギャグ交わしていた。

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