ジャン・アンリ・ファーブルの菌学の作品
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「ジャン・アンリ・ファーブル」の記事における「ジャン・アンリ・ファーブルの菌学の作品」の解説
菌学者ジャン・アンリ・ファーブル!実際には、彼をこう呼んでも別に驚くことではないのだが、かの有名な大作である昆虫学の著作に隠れて、彼がキノコに興味を持っていたことはほとんど知られていないからである。いつの時代にも、キノコは人に不思議な魅力を感じさせてきた。ギリシャ・ローマ時代の作家達はキノコについて多くの突飛な理論をでっちあげたし、また今日でも、自分の庭にキノコが生えているのを見ると嬉しい驚きを覚える。さらに森の小道などでふと遠くにキノコを見つけて駆けつけ「ああ、ツマラナイタケだ!」と足蹴にしたとしても、それもやはりキノコに魅せられた証だと言えよう。 私達でもこうなのだから、自然に対する旺盛な好奇心の持ち主のファーブルが、キノコに大きな関心を持ったのもまったく当然であり、もちろんそれは幼い頃からであったとファーブルは晩年語っている。 《穴をあけた箱に山査子の花床を敷いて、コフキコガネとハナムグリを有頂天になって飼っていた子供の楽しみである虫とほとんど同じくらいに、小鳥もまた、その巣だの卵だの、開いた黄色い嘴だのが、たまらない誘惑であったが、同じくキノコも、そのさまざまな色彩で幼い頃から私を惹きつけていた。やっとズボン吊りを着け始めたころの、そしてちんぷんかんぷんの文字がどうにか解りかけてきた頃の無邪気な少年であった私が、初めて見つけた鳥の巣と初めて摘んだキノコを前にして、胸が高鳴ったのを今でも思い出す。子供にとって重大な出来事を語ろう。老いると昔のことを話すのがすきである... 《...小川の向こうには、幹が柱のようにつるつるしたブナの林がある。堂 たる枝ぶりの豊かな葉の繁りの中では、ハシボソガラスがガアーガアー鳴いたり、新しく生えかわった羽に混じる古い羽を、翼から引き抜いたりしている。地面は苔の絨緞で覆われている。この柔らかい敷物の上に足を数歩踏み入れたとたん、離れた鶏が産み落としていった卵といった風情の、まだ傘の開いていないキノコが見つかる。これが私が初めて採ったキノコであり、観察力の目覚めともいえる漠然とした好奇心から、その構造を調べようと指の間に挟んで裏返したり戻したりした最初のキノコである。 《やがて大きさや形や色の異なる別のものが見つかった。それは初心者にとって全く目のごちそうであった。釣鐘形、ろうそく消し、コップの形に細工したようなものがあった。また紡錘形に引き伸ばされたり、漏斗のように真ん中がくぼんでいたり、半球形のように円いものもあった。また別のキノコで、たちまち青色に変わるものも見つけた。腐って蛆がうようよしている崩れかかった大きなものもあった。 《また別のものは、洋梨の形をしており、からからに乾いて、てっぺんには円い穴が開いている。指先でその腹を軽くたたいてみると、この穴は煙突のように煙をはき出した。これが一番奇妙なキノコだ。中身がなくなってほとんど火口のようになるまで、いつでも好きなだけ煙を出させられるように、ポケットに詰められるだけ詰め込んだ。 《この歓喜の林のえもいえぬ楽しさ!何回も私は、この最初の幸運な発見をした場所に戻っていった。そこで、私は最初のキノコの授業をハシボソガラスと一緒に受けたのである。私が採集したものは、当然ながら家では受け入れられなかった。キノコつまりプロヴァンス語の Boutorel は、中毒を起こす悪いヤツだと皆が言っている。母親は詳しく知ろうともせず、初めからキノコを食卓に寄せつけなかった。こんなに感じのよい Boutorel が、どうして皆が言うような悪戯をするのか、私には全く分からなかった。しかし両親の経験を聞き入れたので、この毒殺者との軽率な関係からは何の危険も生 じなかった。 《このブナ林へ何回も通っているうちに、私はそこで見つけた物を三つのカテゴリーに区別することができた。一つ目は、これはかなりの数であるが、キノコの下側に放射線状のひだがあった。二つ目は、下面がやっと見分けがつく小さな穴だらけの厚いクッションで裏張りをされたものであった。三つ目は、猫の舌の乳頭突起のような小さな刺で覆われていた。記憶を助けるための整理が必要であり、私は一つの分類法を発明した。 《かなり後になって、何冊かの小さな本が手に入り、それを読んだ私は、そこに私の三つの分類法がすでに記されているのを知った。しかもそれらにはラテン名 さえ付いていたので、いたく私の気に入った。この分類は、私に最初のラテン語のthème(自国語→外国語への翻訳)とversion (外国語→自国語への翻訳)を与えてくれたことによって高貴なものになり、また司祭様がミサのときに使うこの古代の言葉によってさらに輝か しくなったので、私のキノコに寄せる尊敬はいっそう高まった。こうして学者のように呼ばれるからには、キノコはきっと偉いに違いない。 《同じ本には、私に煙突の煙だしを堪能させたキノコの名前が出ていた。それは狼のすかしっぺと呼ばれていた。この用語はあまり私の気に入らなかった。なんだか悪い仲間の匂いがする。その横に Lycoperdon という品のよさそうな呼称が見つかった。しかしそれも結局は見かけだけであった。ギリシャ語の語源によれば Lycoperdon とは、まさしく狼のすかしっぺであることを、私はのちになって知った。植物の名前には訳が適切ではないものが多い。植物学の古代の遺贈は現在のものほど控え目ではなく、時には品位を欠いた粗雑で大胆な言葉を保持していることがある。 《子供の探求心から、独り、キノコを知ろうと学んでいた素晴らしいあの時代は、何と遠くになってしまったことか! Eheu, fugaces labuntur anni、「ああ、年月ははかなく過ぎ去ることよ」とホラティウスは言った。おお然り!月日というのは、とりわけ人生の終りに近づけば近づくほど早く経ってしまうものだ》(10巻、「幼年時代の思い出」)。 これらの思い出から、ファーブルがキノコを単に自然にあるありふれた物として見ていたのではなく、逆に、彼にとっては心を傾けられる重要なことの一つであった。《熱心な植物学者にとって、ここはうっとりするような地方あり、私は一か月、二か月、三か月、いや一年、独りで、たった独りで、樫の上で鳴いているハシボソガラスとカケスだけを仲間として過したい。苔の下に美しいオレンジ色、白色、桃色のキノコが、そして野には、小さな花がありさえすれば、私は一時も退屈することはないだろう》(ジャン・アンリ・ファーブルから弟フレデリックに当てた手紙、カルパントラ、1846年)。
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