ジャン・アンリ・ファーブルの菌学の作品とは? わかりやすく解説

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ジャン・アンリ・ファーブルの菌学の作品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 03:05 UTC 版)

ジャン・アンリ・ファーブル」の記事における「ジャン・アンリ・ファーブルの菌学の作品」の解説

菌学ジャン・アンリ・ファーブル実際には、彼をこう呼んで別に驚くことではないのだが、かの有名な大作である昆虫学著作隠れて、彼がキノコ興味持っていたことはほとんど知られていないからである。いつの時代にも、キノコは人に不思議な魅力感じさせてきた。ギリシャ・ローマ時代作家達はキノコについて多く突飛な理論でっちあげたし、また今日でも、自分の庭にキノコ生えているのを見ると嬉し驚き覚える。さらに小道などでふと遠くキノコを見つけて駆けつけ「ああ、ツマラナイタケだ!」と足蹴にしたとしても、それもやはりキノコに魅せられた証だと言えよう。 私達でもこうなのだから、自然に対す旺盛な好奇心持ち主ファーブルが、キノコ大きな関心持ったのもまったく当然であり、もちろんそれは幼い頃からであったファーブル晩年語っている。 《穴をあけた箱に山査子花床敷いてコフキコガネハナムグリ有頂天になって飼っていた子供の楽しみであるとほとんど同じくらいに、小鳥また、その巣だの卵だの、開いた黄色い嘴だのが、たまらない誘惑であったが、同じくキノコも、そのさまざまな色彩幼い頃から私を惹きつけていた。やっとズボン吊り着け始めたころの、そしてちんぷんかんぷん文字がどうにか解りかけてきた頃の無邪気な少年であった私が、初め見つけた鳥の巣初め摘んだキノコ前にして、胸が高鳴ったのを今でも思い出す。子供にとって重大な出来事語ろう老いると昔のことを話すのがすきである... 《...小川向こうには、幹がのようにつるつるしたブナがある。堂 たる枝ぶり豊かな繁りの中では、ハシボソガラスがガアーガアー鳴いたり、新しく生えかわった羽に混じる古い羽を、翼から引き抜いたりしている。地面絨緞覆われている。この柔らかい敷物の上に足を数歩踏み入れたとたん、離れた産み落としていった卵といった風情の、まだ傘の開いていないキノコが見つかる。これが私が初めて採ったキノコであり、観察力目覚めともいえる漠然とした好奇心から、その構造調べようと指の間に挟んで裏返した戻したりした最初キノコである。 《やがて大きさや形や色の異な別のものが見つかった。それは初心者にとって全く目のごちそうであった釣鐘形、ろうそく消しコップの形に細工したようなものがあった。また紡錘形に引き伸ばされたり、漏斗のように真ん中くぼんでいたり、半球形のように円いものもあった。また別のキノコで、たちまち青色に変わるもの見つけた腐ってうようよしている崩れかかった大きなものもあった。 《また別のものは、洋梨の形をしており、からから乾いててっぺんには円い穴が開いている。指先でその腹を軽くたたいてみると、この穴は煙突のように煙をはき出した。これが一番奇妙なキノコだ。中身なくなってほとんど火口のようになるまで、いつでも好きなだけ煙を出させられるように、ポケット詰められるだけ詰め込んだ。 《この歓喜えもいえぬ楽しさ何回も私は、この最初幸運な発見をした場所に戻っていった。そこで、私は最初キノコ授業ハシボソガラス一緒に受けたのである。私が採集したものは、当然ながら家では受け入れられなかった。キノコつまりプロヴァンス語の Boutorel は、中毒起こす悪いヤツだと皆が言っている。母親詳しく知ろうともせず初めからキノコ食卓寄せつけなかった。こんなに感じのよい Boutorel が、どうして皆が言うような悪戯をするのか、私には全く分からなかった。しかし両親経験聞き入れたので、この毒殺者との軽率な関係からは何の危険も生 じなかった。 《このブナ林何回通っているうちに、私はそこで見つけた物を三つカテゴリー区別することができた。一つ目は、これはかなりの数であるが、キノコ下側放射線状のひだがあった。二つ目は、下面がやっと見分けがつく小さな穴だらけの厚いクッション裏張りをされたものであった三つ目は、猫の舌乳頭突起のような小さな刺で覆われていた。記憶助けるための整理が必要であり、私は一つ分類法発明した。 《かなり後になって、何冊かの小さな本が手に入り、それを読んだ私は、そこに私の三つ分類法がすでに記されているのを知った。しかもそれらにはラテン名 さえ付いていたので、いたく私の気に入ったこの分類は、私に最初ラテン語thème(自国語→外国語への翻訳)とversion外国語自国語への翻訳)を与えてくれたことによって高貴なものになり、また司祭様がミサのときに使うこの古代言葉によってさらに輝か しくなったので、私のキノコ寄せ尊敬はいっそう高まった。こうして学者のように呼ばれるからにはキノコはきっと偉いに違いない。 《同じ本には、私に煙突の煙だしを堪能させたキノコの名前が出ていた。それはすかしっぺ呼ばれていた。この用語はあまり私の気に入らなかった。なんだか悪い仲間匂いがする。その横に Lycoperdon という品のよさそうな呼称見つかった。しかしそれも結局は見かけだけであったギリシャ語語源によれば Lycoperdon とは、まさしくすかしっぺであることを、私はのちになって知った植物の名前には訳が適切ではないものが多い。植物学古代遺贈現在のものほど控え目ではなく時には品位欠いた粗雑大胆な言葉保持していることがある。 《子供探求心から、独りキノコ知ろう学んでいた素晴らしあの時代は、何と遠くになってしまったことか! Eheu, fugaces labuntur anni、「ああ、年月はかなく過ぎ去ることよ」とホラティウス言った。おお然り月日というのは、とりわけ人生終りに近づけば近づくほど早く経ってしまうものだ》(10巻、「幼年時代の思い出」)。 これらの思い出から、ファーブルキノコを単に自然にあるありふれた物として見ていたのではなく逆に彼にとっては心を傾けられる重要なことの一つであった。《熱心な植物学者にとって、ここはうっとりするような地方あり、私は一か月、二か月三か月、いや一年、独りで、たった独りで、の上鳴いているハシボソガラスカケスだけを仲間として過したい。苔の下美しオレンジ色白色桃色キノコが、そして野には、小さな花がありさえすれば、私は一時退屈することはないだろう》(ジャン・アンリ・ファーブルから弟フレデリック当てた手紙カルパントラ1846年)。

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