『週刊文春』(文藝春秋)への訴訟
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「大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件」の記事における「『週刊文春』(文藝春秋)への訴訟」の解説
主犯格3被告人 (KM・KA・HM) の第一審が行われていた1997年(平成9年)に文藝春秋から発行された『週刊文春』1997年7月24日号(1997年7月17日に発売)では「『少年にわが子を殺されたこの親たちの悲鳴を聞け 長良川リンチ殺人・名古屋アベック殺人・山形マット殺人」と題した本事件に関する記事が掲載された。また、同年7月31日に発売された同誌1997年8月7日号では「『少年犯』残虐」と題した本事件に関する記事(記者:山本徹美)が掲載された。 前者記事では「平成6年(1994年)10月、愛知、岐阜、大阪、高知にまたがる連続強盗殺人が起きた」「(長良川事件で)被害者2人を鉄パイプ・角材で滅多打ちにして撲殺し、遺体を遺棄した。結局犯人グループは4件の殺人を犯している」と報道した上で、同事件加害者の実名については記載しなかった一方で「犯人グループの主犯格Kは昭和50年生まれ(当時19歳)」と記載し、被害者の父親の言葉を引用して「被告人たちには反省の色がなく、事件から今日に至るまでどの加害者の保護者も誰も謝罪していない」と記載した。また後者記事は被告人HMについて本名の漢字4文字のうち2文字の読みが同じで、全体的な音も似ている仮名「真淵忠良」を使用した。これに対し、面会に訪れた知人からの指摘でこの報道を知った被告人HMは以下の理由から「プライバシー権の侵害・名誉毀損で大変な精神的苦痛を受けた」と主張し、1997年12月25日付で文藝春秋を相手取り、損害賠償(100万円)を求める民事訴訟を名古屋地裁に起こした。 (前者記事について)「3事件のうち強盗殺人罪で起訴された事件は長良川事件だけで、『愛知、岐阜、大阪、高知にまたがる連続強盗殺人』という記載は虚偽だ」「長良川事件では死体遺棄は犯しておらず、現に死体遺棄罪では起訴されていない」「自分には家族といえる者さえいないのに、その事実に反してあたかも『HMには両親がいるが、被害者に謝罪しに行っていない』と記されており違法だ」 (後者記事について)「『法廷で着替えて主役を気取る』『全く反省の色がない』との記載は虚偽である。また記事中で使用された『真淵忠良』の仮名は少年法第61条に違反するものだ」 原告(被告人HM)は当初、代理人の弁護士を付けず、自ら訴状を書いて提訴していたが、控訴審からは原告HMを支援する弁護団が発足した。 原告の主張に対し被告・文藝春秋側は「仮名は実名を隠すために使われており、容易に本名は分からない。起訴事実から連続の強盗殺人は明らかで、原告(被告人HM)に反省がないことは事実だ」と反論していたが、3回の口頭弁論期日を経て、1999年(平成11年)6月30日に名古屋地裁民事第4部(水谷正俊裁判長)は原告HMからの訴えを一部認容し、被告・文藝春秋側に30万円の損害賠償を支払うよう命じる判決を言い渡した。名古屋地裁は判決理由で「(後者記事が用いた仮名について)仮に仮名を用いたとしても、本人が容易にわかるような記事の掲載は、将来の更生の観点から実名報道と同様に大きな障害になり、少年法に違反する。今回使用された仮名は姓・名ともに全体として音が原告HMの実名と類似している上、本人の経歴に合う内容が詳細に記述されており、面識のある不特定多数の読者は容易に本人と推知できる」と認定したが、それ以外の原告HMの主張は「真実性が認められる」として退けた。なお同判決の約1か月前(1999年6月9日)には堺市通り魔事件の少年被告人の実名・顔写真を新潮社の月刊誌『新潮45』が報じたことに対し「実名・写真を掲載する特段の公益上の必要性はなかった」として、大阪地裁から新潮社に対し損害賠償を命じる初判断が示されていた。 被告・文藝春秋側は1999年7月13日に名古屋高裁へ控訴した一方、原告 (HM) 側も2000年1月11日に附帯控訴した。3回の口頭弁論期日を経て、2000年(平成12年)6月29日に名古屋高裁民事第4部(宮本増裁判長)は第一審判決を支持して被告側の控訴を棄却する判決を言い渡した。名古屋高裁は判決理由で「仮名は氏・名ともに音が実名と類似しており、面識のある不特定多数の読者は容易に本人と分かるため、プライバシー侵害が認められる。また記事掲載は『少年法に基づいたHMの法的利益より、社会的利益が強く優先される特段の事情』があったとは言えない」と結論付けた。その上で「刑事裁判を受けている少年まで匿名で保護する必要があるか否か」については「この問題は高度の立法裁量に属する事柄だ。保護の必要性については、少年の権利などを総合的に検討し、慎重に決定されるべきだ」としたほか、日本国憲法第13条(個人の尊厳)のほか国連「子どもの権利条約」も引用して「少年法第61条は少年の人権を守るための制約であり、国民の知る権利も一定の限度で譲歩すべきだが、少年の利益よりも社会的利益を擁護する要請が強く優先されるなど、特段の余地がある場合には実名報道などの違法性が免責される」と判断した。その後、被告・文藝春秋側は2000年7月11日に最高裁へ上告したほか、同月13日には上告受理の申立てをした。 上告事件については2002年(平成14年)12月20日に棄却決定がなされたが、最高裁第二小法廷(北川弘治裁判長)は2003年(平成15年)2月7日に上告審口頭弁論公判を開き、同日の弁論で被告・文藝春秋側は「控訴審判決は『少年法の規定は公益目的でも一律に報道を禁止するものだ』と解釈しているが、表現の自由を謳った日本国憲法第21条を優先すべきだ」と主張した。2003年3月14日に上告審判決公判が開かれ、最高裁第二小法廷(北川弘治裁判長)は「本人と分かる報道を禁じた少年法に違反するのは面識のない不特定多数が推測できる場合だ」とする最高裁としての初判断を示し、控訴審判決のうち被告側の敗訴部分を破棄して審理を名古屋高裁に差し戻す判決を言い渡した。同小法廷は判決理由で「記事は原告HMのプライバシー権を侵害していることが認められるが、使用された仮名では不特定多数の人が本人だと推し量ることはできず、少年法には違反しない」と述べた。 2003年5月30日に名古屋高裁(熊田士郎裁判長)で差し戻し控訴審の第1回口頭弁論公判が開かれ、原告HM側は「記事掲載により不法行為(名誉毀損・プライバシー侵害・成長発達権の侵害)が成立する」との準備書面を陳述した一方、被告・文藝春秋側は2003年9月12日の口頭弁論で反論した。 名古屋高裁(熊田士郎裁判長)は2004年(平成16年)5月12日に原判決(第一審・名古屋地裁判決)のうち控訴人(文藝春秋)の敗訴部分を取り消し、被控訴人(原告HM)の請求を棄却する判決を言い渡したため、文藝春秋側が逆転勝訴する結果となった。名古屋高裁は判決理由で「本事件の刑事裁判を傍聴した被害者遺族の両親の手記で構成されている。記事中で筆者は『刑事裁判を傍聴した』と述べているが、公判で『実際には一度も傍聴に行っておらず、法廷記者から入手した冒頭陳述書の写し・法廷傍聴を続けていた事件被害者の両親から入手した傍聴メモなどに基づいて本件記事を執筆した』と証言している」と認定した一方、「記事に私利私欲を追求する意図はない。少年犯罪に対する国民の関心が高まっていたことを考慮すると、記事を公表する理由は公表されない法的利益より優越する」「極めて凶悪かつ重大な犯罪であり、少年犯罪に関心が高まっていたことや社会への影響を考慮すると、HMは犯罪事実などの公表を受忍しなければならない。将来の更生に妨げになる可能性を否定できないとしても、HMの経歴を含めて公表の必要性は認められ、社会的な意義がある」と認定した。同判決を不服とした原告・HM側は判例違反・憲法違反を訴えて2004年5月25日付で上告したが、2004年11月2日付で最高裁第三小法廷(上田豊三裁判長)は原告・HMの上告を退ける決定を出したため、被告・文藝春秋側の逆転勝訴とした差し戻し控訴審判決が確定した。
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