「バイロイトの第九」から現在までとは? わかりやすく解説

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「バイロイトの第九」から現在まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 05:33 UTC 版)

バイロイト音楽祭」の記事における「「バイロイトの第九」から現在まで」の解説

戦後ヒトラー崇拝止めなかったウィニフレッド追放しヴィーラント・ワーグナーヴォルフガング・ワーグナー兄弟音楽祭支えることとなり、バイロイト民主化が一応なされた1951年7月29日フルトヴェングラー指揮の「第九」で音楽祭再開された。再開初出演したのはクナッパーツブッシュカラヤンであった再開されとはいえ音楽祭はなお資金不足が深刻であった苦肉の策ヴィーラントらは、最低限簡素なセット照明巧みに当てて暗示的舞台背景表現するという、新機軸舞台考案する舞台稽古初日舞台見回したクナッパーツブッシュは、まだセット準備されていないのだと思い込み、「何だ舞台がまだ空っぽじゃないか!」と怒鳴ったという。しかしこの資金不足賜物であった空っぽ」な舞台こそが、カール・ベーム新即物主義的な演奏とともに戦後のヨーロッパ・オペラ界を長らく席巻することになる「新バイロイト様式」の始まりであった事情事情であったが、クナッパーツブッシュカラヤンはこの演出大いに不満であり、カラヤンは翌1952年限りバイロイト去ったクナッパーツブッシュそうするつもりであったが、1953年の音楽祭に出演し以降出演約束されていたクレメンス・クラウス1954年急死したため、慌てたヴィーラントヴォルフガングクナッパーツブッシュ詫び入れ音楽祭呼び戻した以降亡くなる前年1964年までクナッパーツブッシュバイロイト音楽面での主柱となった。「新バイロイト様式」の舞台は、ヴィーラントヴォルフガング交互に演出しながら1973年まで続いた1955年には初のベルギー人指揮者として、ドイツ物も巧みに指揮したアンドレ・クリュイタンス初出演した。また、同年ヨーゼフ・カイルベルト指揮したニーベルングの指環』は英デッカにより全曲録音され、これが世界初ステレオ全曲録音となった1957年にはヴォルフガング・サヴァリッシュ当時最年少記録34歳)を打ち立てた1960年には初のアメリカ人指揮者ロリン・マゼールが、史上最年少記録更新30歳)を果たし初出演した。1962年にはカール・ベームが、1966年にはピエール・ブーレーズが、1974年にはカルロス・クライバーそれぞれ初出演した。 演出の方も、1966年ヴィーラント亡くなってからは弟のヴォルフガング総監督の職を引き継いだヴィーラント亡き後ヴィーラント遺族ヴォルフガング一家互い取り巻き交えて内紛明け暮れ、そのスキャンダル相まって同族運営大きな批判晒されるようになったことから、1973年リヒャルト・ワーグナー財団運営移管された。同財団運営ドイツ連邦政府バイエルン州政府最大権限があり、次いでワーグナー家バイロイト市、ワーグナー協会の順になっている1976年ヴォルフガング革新的な上演もくろみ音楽祭創立100周年記念すべき『指環の上演を、指揮者ピエール・ブーレーズ演出家パトリス・シェローフランス人コンビ委ねた。シェローは気心知れた舞台担当衣装担当引き連れて、「ワーグナー上演新し一里塚」を打ち建てるつもりだったが、その斬新な読み替え演出物議を醸した初年度ブーレーズフォルテ忌避するフランス音楽作りともども激しブーイング批判中傷さらされ警備のために警察まで出動するという未曾有のスキャンダルになった。しかしシェローは年ごと演出へ微修正施しブーレーズ指揮熟練していったおかげもあり、最終年1980年には非常に洗練された画期的舞台として絶賛浴びることとなったその後の指揮者は、ジェームズ・レヴァインジュゼッペ・シノーポリダニエル・バレンボイムなどの若手や、ロシア人指揮者ヴァルデマル・ネルソンなど新し顔ぶれ様変わりした。2005年には東洋人として初め大植英次初出演を果たす。しかし、オペラ経験乏し大植指揮観客不興を買い、1年契約打ち切られることとなった翌年から『トリスタン』の指揮ベテランペーター・シュナイダー委ねられる大植降板劇は特に人種差別的なものではなく過去幾人かの指揮者にも起こった事態でもある。ヴィーラント決裂してバイロイト去ったカラヤンマゼール先例もあり、ショルティエッシェンバッハらも1年降板している。バイロイト限らず音楽祭での降板変更日常茶飯事であるものの、近年バイロイトでは(かつてのブーレーズの頃とは違い指揮者激し批判浴びた場合、守るよりも手っ取り早く熟練した指揮者交代させられるケース増えてきている。 そのような中、2000年に『マイスタージンガー』を振ったクリスティアン・ティーレマン久々大型ワーグナー指揮者登場として高い評価獲得した2006年からは『指環』の指揮任され音楽祭音楽面の中核的存在となっている。 演出面では、シェロー演出成功以降ゲッツ・フリードリヒハリー・クプファーらが舞台現代社会政治状況投影する手法新風吹き込んだそれ以降は、これといった新機軸確立するまでには至っておらず、逆に目新しい演出いたずらに走る傾向を「商業的」として非難する向きもある。近年ではキース・ウォーナーやユルゲン・フリムらが一定の評価得た反面クリストフ・シュリンゲンズィーフによる『パルジファル』のように否定一方不評のままで終わる演出もある。 なお視覚面では、劇作家ハイナー・ミュラー演出の『トリスタンとイゾルデ』で、日本人デザイナー山本耀司衣装担当し大きな話題になった戦後長年わたって音楽祭独裁的に切り盛りしてきたヴォルフガング・ワーグナー2008年をもって引退を表明し、後任巡ってその去就注目されていたが、先のように2009年からヴォルフガング2人の娘が総監督の座を引き継ぐことになった。現在はカタリーナ・ワーグナーとエファ・ワーグナーの二頭体制移行している。 ただし、2人姉妹とはいうもののヴォルフガング前妻の娘と後妻の娘という複雑な関係であり、しかも33歳差という年齢差ゆえに必ずしも親密な関係とは言いたいようである。当初2001年ヴォルフガング引退を表明し、後継者として指名されたのは長年影の支配者』と云われていた後妻のグドルンだったが、ワーグナー財団によって否決されヴォルフガング引退撤回したという経緯があった。そして後継者レースの中で経験少なく若さルックスのような話題などメディア意識した挑発行為が目立つカタリーナへの疑問や、グドルンによってバイロイト前妻とともに追われエーファヴォルフガングによって追放されヴィーラントの娘ニーケ・ワーグナーと組んでカタリーナ舌戦繰り広げるという格好スキャンダルメディア提供するなど、非常に険悪だったかつてのヴィーラントヴォルフガング兄弟骨肉の争い再来ぶりに、先行き危ぶむ声も多い。早速カタリーナは、2007年の新演出の『マイスタージンガー』の演出を自ら手掛け存在感アピールした。しかし、その挑発的な舞台一部観客からブーイング浴び批評家マスコミの間でも物議を醸した。 翌2008年からは、舞台中継ネットでの映像ストリーミング配信会場外でのパブリックビューイングカタリーナ肝煎りにより始められた(2008年は『マイスタージンガー』、2009年は『トリスタンとイゾルデ』が生中継された)。これにより、会場外の観客世界各国のインターネット・ワグネリアンたちにもこれまで以上に音楽祭の雰囲気を楽しむことが出来るようになり、代変わりしたバイロイトらしい新機軸として評判になった。 そしてヴォルフガング死去してから初めての音楽祭となる2010年テレビで生中継実現する運びとなる(後述)。翌2011年の第100回の開催では、ユダヤとの関係改善目論むカタリーナ計らいイスラエル室内管弦楽団バイロイト訪れ市内ホールにてロベルト・パーテルノストロ指揮により『ジークフリート牧歌』を演奏したこの年初日演目は新演出の『タンホイザー』。メルケル独首相トリシェ欧州中央銀行ECB総裁夫妻ら、著名人訪れた2020年新型コロナ大流行中止

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