青木昆陽
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史跡等
青木昆陽甘藷試作地
青木昆陽が享保20年(1735)にサツマイモの試験栽培を行った地の一つに馬加村(現・千葉市花見川区幕張町)があり「青木昆陽甘藷試作地」として千葉県指定史跡になっている[6][11][7]。
昆陽神社
- 所在地: 千葉市花見川区幕張町4-594-2
- 位置: 北緯35度39分40.17秒 東経140度3分17.93秒 / 北緯35.6611583度 東経140.0549806度
- 交通: JR総武線(各駅停車)幕張駅、京成千葉線京成幕張駅 徒歩5分。秋葉神社と同一敷地内に所在。
道路工事のために社殿は取り壊され、一時的に子守神社に移転した。2006年11月に新しく作られた現在の社殿に戻った[12][7]。
青木昆陽墓
昆陽は下目黒・大鳥神社の近くに別邸を持ち[13]、その墓は東京都目黒区下目黒3丁目の瀧泉寺(目黒不動尊)飛び地境内の目黒不動墓地にある。1943年(昭和18年)5月1日に国の史跡に指定された[14]。墓石は昆陽自ら「甘薯先生墓」と刻んだ寿塔(生前に建てる墓)である[15]。毎年10月28日の縁日には、10月12日の命日を偲び、瀧泉寺(目黒不動尊)で甘藷まつりが開かれ[16]多くの参拝客でにぎわう。
- 交通
- 東急バス 渋72 目黒不動尊下車
- JR山手線 目黒駅 下車
- 東急目黒線 不動前駅 下車
- ^ 「飲食事典」本山荻舟 平凡社 p2 昭和33年12月25日発行
- ^ a b 『江戸時代人物控1000』山本博文監修、小学館、2007年、8頁。ISBN 978-4-09-626607-6。
- ^ 『姓氏』(樋口清之/丹羽基二/秋田書店/1970年)43頁。
- ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 5頁。
- ^ a b c d e f g 進藤智子、徳田和子、竹原小菊、福司山エツ子、外西壽鶴子. “鹿児島のさつまいもの変遷と活用”. 鹿児島純心女子短期大学研究紀要 第37号,141−152 2007. 国立国会図書館. 2022年3月16日閲覧。
- ^ a b c d e f “サツマイモの伝来-前田利右衛門と青木昆陽-”. 農林水産省. 2022年3月16日閲覧。
- ^ a b c d 昆陽神社 花見川区のエリアガイド 2022年10月15日閲覧
- ^ 山本 2007, p. 122.
- ^ 昆陽に入門した時期は幾つか説があり、鳥居裕美子の説に拠れば前後の経過から『蘭学事始』にある「宝暦末、明の初年」と推測している。
- ^ 島原重夫『甘藷馬鈴薯年譜』
- ^ “青木昆陽甘藷試作地”. 千葉市観光協会. 2022年3月16日閲覧。
- ^ 産経新聞(2010-1-7)「【ここいこ】飢饉救ったサツマイモ 幕張から全国へ 青木昆陽甘藷試作地[1]」 2010年4月24日閲覧
- ^ 山本和夫「目黒区史跡散歩」学生社、p80
- ^ 青木昆陽墓(目黒区公式サイト)
- ^ 目黒区教育委員会 2010『めぐろの文化財 増補改訂版Ⅱ』p.98
- ^ 和の心・暦と行事|甘薯イミダス(2007年11月2日)2020年2月23日閲覧
青木昆陽と同じ種類の言葉
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