子守神社_(千葉市)とは? わかりやすく解説

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子守神社 (千葉市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/20 06:14 UTC 版)

子守神社(幕張総鎮守)

拝殿
所在地 千葉市花見川区幕張町2-990
位置 北緯35度39分50.7秒 東経140度2分57.6秒 / 北緯35.664083度 東経140.049333度 / 35.664083; 140.049333座標: 北緯35度39分50.7秒 東経140度2分57.6秒 / 北緯35.664083度 東経140.049333度 / 35.664083; 140.049333
主祭神 奇稲田姫命
素盞嗚尊
大己貴尊
社格 村社
創建 不詳
別名 素加天王社
例祭 9月15日~17日
主な神事 下総三山の七年祭り年・年)
地図
子守神社
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子守神社(こまもりじんじゃ)は、千葉市花見川区幕張町にある神社旧社格は村社。神紋は「九曜月星紋」。

祭神

古くは「素加天王社」と称されたことから祇園信仰に由来する神社と考えられるが、『千葉県誌 稿本 巻上』(1919年)には「祭神は稲田姫命なり、後素加神社の祭神素盞嗚尊、馬加神社の祭神大己貴命を合祀す」とある[1]

由緒

創建年代不詳。建久4年(1193年)、千葉常胤の四男・大須賀胤信富士の御狩場に赴く前に当社へ祈願したところ、良い成果を得たため、お礼に馬加城近くに社殿を新しく建てて、次男の中須加正胤を当社の神職にしたと伝わる。

永正5年(1508年)、氏子の移住に伴い旧地から現在の地に遷座された。

2004年(平成16年)、現在の社殿が造営。

境内

社殿

  • 本殿
拝殿奥にあり、ガラス張りで外からも彫刻が見える。

摂末社

なお千葉県千葉郡教育会編『千葉県千葉郡誌』(1926年)には「境内神社福田稲荷神社、素加神社、一ノ宮神社、天満神社の四社あり」とある[2]

祭事

船橋市三山にある二宮神社を中心とし、船橋市・千葉市八千代市・習志野市の9神社が参加する祭り。「子守(こまもり)」という名称は当社がこの祭りで「子守(こもり)」の役割を務めることから来ている[3]

交通アクセス

脚注

  1. ^ 千葉県誌 稿本 巻上』千葉県 編、多田屋書店、522頁。
  2. ^ 千葉県千葉郡誌』千葉県千葉郡教育会編、1926年、726頁。
  3. ^ “市原、幕張に供養の五輪塔 千葉康胤の二つの墓 【千葉地理学会連載 おもしろ半島 ちばの地理再発見】”. 千葉日報オンライン (千葉日報社). (2017年8月30日). https://www.chibanippo.co.jp/news/local/434051 2019年11月16日閲覧。 

関連項目




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