子守神社 (可児市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 子守神社 (可児市)の意味・解説 

子守神社 (可児市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/27 20:36 UTC 版)

子守神社
所在地 岐阜県可児市中恵土2259-1
位置 北緯35度25分53.3秒 東経137度3分46.4秒 / 北緯35.431472度 東経137.062889度 / 35.431472; 137.062889座標: 北緯35度25分53.3秒 東経137度3分46.4秒 / 北緯35.431472度 東経137.062889度 / 35.431472; 137.062889
主祭神 水分神
社格 郷社・金幣社
創建 不明
例祭 3月28日
テンプレートを表示

子守神社(こまもりじんじゃ)は、岐阜県可児市にある神社である。全国各地にある子守神社の一つである。地名より中恵土子守神社(なかえどこまもりじんじゃ)とも表記される。

創建時期は不明。1156年保元元年)に社殿創建の棟札があるといい(社殿再建の棟札の説もある)、平安時代以前の創建と推測される。

子守神社(可児市)子授石

またぐと子宝を授かると伝えられる「子授石」があり、安産・子供の守護に御利益があるといわれる。毎年3月28日の例祭(子守神社大祭)は、子授け・子育・安産を祈願する人で賑わう。

祭神

交通機関

その他

祭神は水分神であるが、和泉源内兵衛重義が子守明神となったという言い伝えがある。

  • 和泉源内兵衛重義は元北面武士であり、武士をやめた後は美濃国武儀郡で夫婦で暮らしていたという。
  • ある日美濃国可児郡前田(現・可児市坂戸)で「子供の神となるべし」のお告げを受け、以後、夫婦で前田に移り住む。1157年保元2年)、夫婦の間に第一子が誕生し、以後32年間で32人の子供が授かったという。
  • 1234年文暦元年)3月28日、重義はこの地で入滅し子守明神となったという。その後、妻は美濃国不破郡松尾(現・不破郡関ケ原町松尾)で亡くなり、子安明神となったという。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「子守神社 (可児市)」の関連用語

子守神社 (可児市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



子守神社 (可児市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの子守神社 (可児市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS