檀君朝鮮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/24 05:25 UTC 版)
日本や中国やアメリカでの捉え方
当時、朝鮮人のなかで檀君神話がとなえられたのに対して、稲葉岩吉は、檀君神話の架空性を批判する一方、「満鮮不可分論」を主張し、朝鮮歴代の王家は、満州あるいは大陸からの敗残者が朝鮮に逃げこんだものであり、朝鮮と満州とは、政治的・経済的に一体「不可分」であり、朝鮮だけの、独自の存在はありえないことを主張した[61]。 — 旗田巍、朝鮮史研究の課題
- 藤永壮は、衛氏朝鮮は実在したが、檀君朝鮮と箕子朝鮮は説話的要素が強いと分析する[62]。
- 今西龍は、白鳥庫吉と那珂通世の檀君神話の否認を継承して、1925年に起工した朝鮮神宮に檀君を合祀すべきという議論に異を唱え、「檀君を日本のある神格と合祀しようとする妄挙を慨嘆し」「檀君という方は日本となんら関係がない」と強調した[63]。今西龍は、自身の檀君に関する考察結果をまとめ、次のように述べている[60]。「而して特に注意すべきは檀君は本来、扶餘・高句麗・満洲・蒙古等を包括する通古斯族中の扶餘の神人にして、今日の朝鮮民族の本体をなす韓種族の神に非ず。彼の父母の一を神とし、他の一を獣類とする伝説は、仏教的装飾や道教的影響に依りては決して生ずるものに非ずして通古斯民族の祖神に特有なるのものなりとす。檀君の前身者たる仙人王倹を楽浪・帯方漢人の祀神に統を引くものに非ずして、高句麗人の祭りし解慕漱なるべしと推定するの外なきは実に此一点にあり。父母のいずれかを獣類とするは、日韓民族の神には見るべからざるものなり」[64]。このように今西龍は、檀君を「扶餘の神人」であるとして、「今日の朝鮮民族の本体をなす韓種族の神」ではないと述べている[60]。
- 宝賀寿男は、「檀君朝鮮という国の実在性が直ちに認めがたいのは、その歴代の王名が朝鮮半島の資料に全く伝わらない事情にあるからである。檀君の異例な長寿は別としても、檀君以外の王名が、滅亡(隠退)時の王でさえ知られない。檀君には夫婁という子があったともいうが、せいぜいがその限りであり、神話的な始祖だけの国は存在が信じられない」と指摘している[65]。
- 石平は、「朝鮮半島最初の王朝・衛氏朝鮮は中国人が建国したという史実や、朝鮮の歴代王朝が中華帝国の属国となり続けたことの劣等意識から、韓民族は建国物語『檀君神話』を生み出した」と指摘している[66]。
- 倉山満は、「韓国史は、檀君伝説から始まります。内容を簡単に説明すると、『神様が熊と虎に求婚されたので熊を選び、人間に姿を変えて結婚し、生まれた子供が檀君という古朝鮮建国の祖である』という話です。紀元前2333年檀君朝鮮を建国したことになっており、箕子朝鮮・衛氏朝鮮と合わせて古朝鮮と呼びます。もちろん、神話なのでまともに批判しても仕方ないのですが、『中国の堯・舜時代と同じく長い伝統を持っている。(申瀅植『梨花女子大学校コリア文化叢書 韓国史入門』p19)』と考えるのが韓国人です[67]」「中国は、日本の『皇紀2600年』やエジプトの『3000年の文明』に対抗するかのごとく、『3000年』『4000年』と歴史を増やしています。最近では5000年を超え、ついに『6000年』と言い出しました。これは北朝鮮や韓国が『檀君5000年』を主張しているからです。『儒教文化』の中華帝国を父と敬う姿勢は、『2000年の遺伝子』として受け継がれていますが、ただ、そうした"中華様"への従属姿勢の反面、韓国人の意識のなかに反発というもう一面があることを見逃しては、理解が不十分になってしまうでしょう」と評する[68]。
- 宮脇淳子は、一然が檀君神話を創った意図を「『三国遺事』が書かれた13世紀後半というのは、ちょうど朝鮮半島がモンゴル人の支配下に入った時期だったからです。それまで30年の間に6回もモンゴル軍に高麗全土を荒らされていた間、高麗王と政府は江華島に逃げこんでいました。しかし、実権を握っていた武人がとうとうクーデターで倒されて、高麗王は太子をモンゴルに派遣しました。高麗の太子(後の元宗)の息子は、フビライの皇女と結婚し、これ以後、代々の高麗王の息子はモンゴルの皇女と結婚して元朝皇帝の側近となり、妻方でモンゴル風の生活をしました。そして、父王が亡くなった後に高麗に戻って即位したのです。高麗王室は残されたものの、朝鮮半島の統治のために征東行省が置かれ、高麗は実質的には元の一地方に成り下がりました。こうした中、食料や毛皮、あるいは人間まで様々なものが収奪されても、文句ひとつ言えなかった。そうした惨めな状況から、朝鮮の民族主義を鼓舞する意図があった」と述べている[69]。
- 浦野起央は、「高句麗は、朝鮮半島とも漢民族の歴史とも関係のない異民族が建国した国家である。それを中国は、高句麗史を中国の地方政権の歴史として、韓国の歴史認識を封じ込めんとした」として、「高句麗が領土としていた朝鮮半島北部地域が中国人が建国した箕子朝鮮・衛満朝鮮の故地であり、漢四郡(楽浪郡・臨屯郡・真番郡・玄菟郡)が所在した地域であることから、韓国・北朝鮮が歴史事実による檀君神話をもって建国ナショナリズムの発揚と接合して歴史認識を確認」し、「韓国は、建国神話と歴史事実を混同させつつも、現在の政治イデオロギーを抑え込もうとすることへの対決と走った」と述べている[70]。
- 李鍾旭(朝鮮語: 이종욱、西江大学)は、「檀君朝鮮は、20世紀のはじめ、侵略に抵抗するナショナリズムにより、創作された歴史[71][72]」「建国神話は建国過程を神話化・説話化したものであり、そのまま歴史として受け入れることはできません。しかし、神話を歴史的な話に転換する必要があります。檀君神話では檀君は1908歳まで生きていた。もちろん歴史的事実とみなすことはできません。ここでは、檀君が一人ではなく、少なくとも数十人いたという解釈が可能となるでしょう。このような神話的年代を歴史的年代に変換する作業が必要になります[73]」と述べている。
- Lee Chung Kyu(朝鮮語: 이청규、嶺南大学)は、「壇君は神話だ」として、壇君神話は、時として悪用され「排外主義や極端なナショナリズム」につながっており、「古朝鮮の初期は国家として認識できず、特に同質民族による国民国家ではない」と語っており、この時期はむしろ、氏族・部族社会の特徴が強かった可能性が高く、統一された王国の形成は、そのかなり後になってからだ、と指摘している[5]。
- 李鮮馥(朝鮮語: 이선복、英語: Yi Seon-bok、ソウル大学)は、「われわれはよく、われわれ自身を檀君の子孫と称し、5000年の悠久な歴史をもつ単一民族であると称している。この言葉を額面どおり受け入れれば、韓民族は5000年前にひとつの民族集団としてその実体が完成され、そのとき完成された実体が変化することなく、そのまま現在まで続いたという意味になろう。しかしこの言葉は、われわれの歴史意識と民族意識の鼓吹に必要な教育的手段にはなるであろうが、客観的証拠に立脚した科学的で歴史的な事実にはなりえない」と述べている[74][75]。
- 鄭安基(高麗大学)は、「果たして民族意識が皇民化政策によって、そんなにもたやすく抹殺されるものなのか、についても疑問です。実は民族とは、二〇世紀初葉に朝鮮人が日本の統治を受けるようになってから発見された、想像の政治的共同体です。実体性が欠如した想像の集団意識であるため、民族はむしろ強靭な生命力を持っています。我々は檀君を始祖とした拡大家族としての運命共同体だ、という歴史意識がまさにそれです。朝鮮人は、植民地期を経ながら民族としての『正体/民族的アイデンティティ』を発見し、彼らの歴史と伝統文化に対し自負心を持ち始めました」「そのせいか一九四〇年に朝鮮総督府は、『風俗・慣習・言語・意識の次元にまで及ぶ朝鮮人の完璧な皇民化は、少なくとも三〇〇年の歳月を要する至難の課題だ』と言っています。一朝一夕に朝鮮人の強固な民族意識をそぎ落とし、日本人に改造することはできない、と見たのです。それで皇民化政策は突飛にも、多くの朝鮮人にとってまだ馴染みのなかった檀君神話をはじめ、新羅の花郎や朝鮮王朝期の李舜臣などを呼び出し、朝鮮人の民族意識を鼓吹しました。民族の神話・叙事・英雄を通し、砂のように散らばった朝鮮の民衆を帝国の国民に統合しようとする努力でもありました。総督府の皇民化政策を朝鮮民族の抹殺政策と見なすことほど、歴史の複雑な実態と矛盾を単純化する稚気はありません」と述べている[76]。
- 李基白(朝鮮語: 이기백、西江大学)は、「天帝の息子である桓雄が人間になることに成功した熊女と結婚して檀君を産んだという記録は歴史ではなく神話です。神話はそれが創作された理由があり、その創作された理由をみつけるのが歴史家の使命です」「神話のなかから民族的自尊心をみつける必要性を探していた時代は過ぎ去った過去です。また、歴史が古ければ民族の自慢になるというものでもなく、神話を精神的玉座に奉っても民族意識が高まることもない」と述べている[8]。
- 李基東(朝鮮語: 이기동、成均館大学)は、「檀君は神話である」と評している[77]。
- 許東賢(朝鮮語: 허동현、慶熙大学)「韓国は檀君を先祖とする純粋血統の言語と文化をもつ韓民族だけで成立したという単一民族意識は、光復後、小・中・高等学校の教科書を通じて繰り返し学習されてきたことで、市民の歴史的記憶となった。 したがって、『韓国の歴史は何年ですか』という質問に、『5000年』と気兼ねなく回答するほど、韓国人は檀君の子孫であるという単一民族意識は超歴史的実体として、神話化された集団記憶(collective memory)として存在する。しかし、1990年代以後、『民族』という概念が近代に入って想像された『想像の政治共同体』に過ぎないという『脱民族主義』が韓国の知識人社会で台頭し、絶対的権威を享受していた単一民族意識にひびが入り始めた」と評している[78]。
- 宋鎬晸(朝鮮語: 송호정、韓国教員大学)は、徐居正らが著した『東国通鑑』が中国北宋の司馬光の『資治通鑑』を参考にして、堯の即位を紀元前2357年に設定し、堯の即位より25年後の紀元前2333年に檀君が古朝鮮を建国したと設定したのであり、檀君朝鮮の建国年代に具体的な根拠があるわけではなく、檀君建国年代としては意味がないと指摘している[79]。
- 盧泰敦(朝鮮語: 노태돈、ソウル大学)は、檀君を朝鮮の歴史における建国始祖として認識したのは高麗後期であり、モンゴルの高麗侵攻により、国土が蹂躙され、高麗は三韓それぞれの民族意識を統合し、「三韓すべてが古朝鮮から誕生した同族の歴史共同体」という民族の象徴として檀君を強調した[80]。したがって、日本の植民地時代に民族主義者が檀君を強調したのは、民族を統合するためだった[80]。しかし、韓国の現代社会では、合理性と客観性にそぐわない、すなわち国家主義・全体主義の強化のための記号として檀君を利用するのは歴史の反動でしかなく[80]、檀君朝鮮が紀元前2333年に建国したというのは、中国の堯と同時代に朝鮮に国家が存在し、朝鮮の歴史が中国の歴史に劣らないほど永いということを主張するためであり、歴史的事実ではなく、朝鮮上古の紀年を間延びさせているに過ぎず、「紀元前2333年という檀君朝鮮建国年代は、考古学調査による青銅器文化をみたときに、紀元前10世紀前後でしかない」と主張している[81]。
- 李基東(朝鮮語: 이기동、東国大学)は、「北朝鮮は1980年代以前は、檀君神話は奴隷所有者階級が奴隷の搾取を正統化するためにつくられた社会思想と規定したが、1993年の檀君陵の発掘以後、檀君を民族の始祖として奉じているのは、北朝鮮の現政権を正統化する意図が隠されている」と指摘した[81]。
- 徐永大(朝鮮語: 서영대、仁荷大学)は、「神話は架空、歴史は真実」という二分法を批判、「檀君の伝承が神話的な形で表現されたのは、古朝鮮の権力を正統化する意図がある」とし、桓雄が天から降りてきたのは種の移動を反映、桓雄と熊女が婚姻して檀君を産んだのは、先進的移民勢力と後進的土着勢力が連合して古朝鮮が誕生したことを意味し、古朝鮮の始祖を神聖視し、支配を正統化する意図があると解釈する[81]。
- 鄭早苗は、「日本でも昨年からこの檀君が実在したというニュースは在日韓国・朝鮮人の間でも話題になっている。今から四三二七年前に檀君が古朝鮮で即位したということは『東国通鑑』などで知られ、檀君は『三国遺事』ではじめて登場して以来、古朝鮮の開祖として親しまれ、今も韓国の新聞で檀君紀年が西暦と併記されているほどであるが、誰も実在の人物とは考えていなかったであろう。檀君陵の真偽はともかくとして、北朝鮮が国家的威信をもって公表した檀君実在説は、神話が形成される社会的状況と政権担当者の史観を検討する上で、現代の私達に示唆を与えているように思われる。北朝鮮の首都平壌は朝鮮民族史にとって古代から発展の中心であったとみなすことが、南北統一にとって必要な論理であると北朝鮮では考えられているのかも知れない。しかし文献から見れば、古朝鮮時代の民族構成だけでなく高句麗の民族構成も不明のままである。発掘されたという『檀君陵』のある平壌は高句麗第二の王都であった中国吉林省集安から四二七年に第三の王都として移され、六六八年に高句麗が滅亡するまで首都であっただけでなく、その後の韓国・朝鮮史のなかでも都市として重要な位置を占めてきた。高句麗や古朝鮮の地域はかつて東夷と呼ばれて来た所で、夫余、挹婁、粛慎、東沃沮、濊、辰韓、弁辰、馬韓、加羅、百済、新羅、倭等多くの民族や国が存亡してきた複雑な歴史が記録されている。文献では檀君伝説は十三世紀末の『三国遺事』以前の記録がないため、いわゆる檀君朝鮮は東夷伝のなかには含まれず、韓国・朝鮮史は箕子朝鮮、衛満朝鮮から始まり、漢の四郡の時代から玄菟郡下の県名のひとつとして高句麗の名称が記載され、その後、高句麗の建国から三国時代に入っていく。朝鮮半島中南部の百済、新羅は韓族が主たる住民であったと考えられるが、高句麗は多民族が雑居し、また王系も夫余系であるなど複雑である」と評する[82]。
- 宮脇淳子は、「紀元前1世紀の『朱蒙』の時代の話ですら神話の域を出ないのに、何千年も前の話などとても史実と呼べるはずがありません。『三国史記』には檀君神話なんて1行も記述がなかったのに、13世紀に突然現れたのです」と指摘している[83]。
- ^ a b c d 陳慶德 (2015年7月8日). “故事》建國神話:檀君開國”. 自由時報. オリジナルの2015年8月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b “中国边疆史学争议频发”. 鳳凰衛視. (2006年12月11日). オリジナルの2015年7月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b 岡田英弘『歴史とはなにか』文藝春秋〈文春新書155〉、2001年2月20日、130-131頁。ISBN 4-16-660155-5。
- ^ a b 矢木毅 2008, p. 65.
- ^ a b c d e Josh Smith; Jeongmin Kim (2018年10月21日). “North Korea's box of bones: A mythical king and the dream of Korean unification”. Reuters. オリジナルの2021年3月3日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b 野口裕之 (2014年6月8日). “【軍事情勢】中朝韓人民を支配する「神話」 恥ずかしいウソを堂々と…”. 産経新聞 (産経新聞). オリジナルの2014年6月12日時点におけるアーカイブ。
- ^ B・R・マイヤーズ (2012). 最純潔的種族:北韓人眼中的北韓人. 台北:臉譜出版社. ISBN 9789862352151
- ^ a b c “卷頭 특별 인터뷰 韓國史新論의 著者 李基白 선생이 말하는 韓國史의 大勢와 正統”. 月刊朝鮮. (2001年11月). オリジナルの2021年10月15日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b 何則文 (2015年8月24日). “「韓國起源論」是這樣來的:從繼承中華到積極脫漢,韓國的千年自我追尋之路”. 関鍵評論網. オリジナルの2022年2月4日時点におけるアーカイブ。
- ^ 簡江作『韓國歷史與現代韓國』台湾商務印書館、2005年8月1日、1頁。ISBN 9789570519891 。
- ^ “중국이 밑돌 깔고 일제가 못박은 ‘평양’의 한사군”. ハンギョレ. (2009年5月21日). オリジナルの2016年12月23日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c 高橋 2005, p. 9
- ^ a b c d 高橋 2005, p. 2-3
- ^ a b 高橋 2005, p. 12
- ^ 高橋 2005, p. 6
- ^ 高橋 2005, p. 6-7
- ^ 高橋 2005, p. 10-11
- ^ 礪波護、武田幸男『隋唐帝国と古代朝鮮』中央公論社〈世界の歴史 (6)〉、1997年1月、256頁。ISBN 978-4124034066。
- ^ 田中俊明『朝鮮地域史の形成』岩波書店〈世界歴史〉、1999年、157-158頁。ISBN 978-4000108294。
- ^ 矢木毅 2008, p. 45-46.
- ^ a b 井上 2010, p. 412-413
- ^ Karlsson 2009, p. 3
- ^ Simons 1999, p. 70
- ^ 許昌福 (2002年). “東アジアの祝祭日” (PDF). TORCレポート (公立鳥取環境大学地域イノベーション研究センター): p. 29. オリジナルの2016年12月1日時点におけるアーカイブ。
- ^ Armstrong 1995, p. 3
- ^ Allen 1990, pp. 793–795
- ^ Pai 2000, p. 266
- ^ a b 송영현 (2007年12月). “북한역사교과서의 고대사서술의 문제” (PDF). 西江大学. p. 9 2021年10月23日閲覧。
- ^ a b c d 藤田 2003, p. 79
- ^ 藤田 2003, p. 83
- ^ 藤田 2003, p. 82
- ^ 金 2012, p. 32
- ^ a b 金 2012, p. 33
- ^ 尹種栄 (1999). 国史教科書の波動. ヘアン. p. 22
- ^ 金 2012, p. 51
- ^ a b c d 金 2012, p. 34
- ^ a b “고조선 역사 편입과 청동기 기원”. 京郷新聞. (2007年3月6日). オリジナルの2021年8月21日時点におけるアーカイブ。
- ^ 金 2012, p. 35
- ^ a b 金 2012, p. 36
- ^ 古田博司 (2005年6月). “「相互認識」 東アジア・イデオロギーと日本のアジア主義” (PDF). 日韓歴史共同研究報告書(第1期) (日韓歴史共同研究): p. 270. オリジナルの2015年10月16日時点におけるアーカイブ。
- ^ Pai, Hyung Il (2000). Constructing "Korean" Origins: A Critical Review of Archaeology, Historiography, and Racial Myth in Korean State Formation Theories. Harvard University Asia Center. p. 95-96
- ^ Pai, Hyung Il (2000). Constructing "Korean" Origins: A Critical Review of Archaeology, Historiography, and Racial Myth in Korean State Formation Theories. Harvard University Asia Center. p. 122
- ^ Seth, Michael J. (2010). A History of Korea: From Antiquity to the Present. Rowman & Littlefield Publishers. p. 443. ISBN 978-0-7425-6717-7
- ^ Stark, Miriam T. (2008). Archaeology of Asia. John Wiley & Sons. p. 49. ISBN 978-1-4051-5303-4
- ^ Schmid, Andre (2013). Korea Between Empires. Columbia University Press. p. 270. ISBN 978-0-231-50630-4
- ^ Peterson, Mark (2009). Brief History of Korea. Infobase Publishing. p. 5. ISBN 978-1-4381-2738-5
- ^ Hulbert, H. B. (2014). The History of Korea. Routledge. p. 73. ISBN 978-1-317-84941-4
- ^ 田中俊明『朝鮮地域史の形成』岩波書店〈世界歴史〉、1999年、148頁。ISBN 978-4000108294。
- ^ 韓洪九『韓洪九の韓国現代史 韓国とはどういう国か』平凡社、2003年12月17日、68-69頁。ISBN 978-4582454291。
- ^ 韓洪九『韓洪九の韓国現代史 韓国とはどういう国か』平凡社、2003年12月17日、76頁。ISBN 978-4582454291。
- ^ “中韓が歴史共同研究 確信犯で嘘の主張押し通そうとするつもり (2/2)”. SAPIO (NEWSポストセブン) (2014年5月号). (2014年4月23日). オリジナルの2021年8月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ 加藤徹『貝と羊の中国人』新潮社〈新潮新書169〉、2006年6月16日、212-214頁。ISBN 978-4106101694。
- ^ 中野耕太「書評 矢木毅著『韓国・朝鮮史の系譜 : 民族意識・領域意識の変遷をたどる』」『北東アジア研究』第25号、島根県立大学北東アジア地域研究センター、2014年3月、127頁、ISSN 1346-3810、NAID 120005710661。
矢木毅『韓国・朝鮮史の系譜 : 民族意識・領域意識の変遷をたどる』塙書房〈塙選書 111〉、2012年。ISBN 9784827331110。 NCID BB08812882。全国書誌番号:22086262。 - ^ 李 2005, p. 230
- ^ a b 李 2005, p. 247
- ^ 池明観 1987, p. 138
- ^ a b 李 2005, p. 244
- ^ 小田省吾『謂ゆる檀君伝説に就て』朝鮮教育会〈文教の朝鮮〉、1926年2月、34-35頁。
- ^ 旗田巍『「満鮮史」の虚像―日本の東洋史家の朝鮮観―』鈴木俊教授還暦記念会〈鈴木俊教授還暦記念 東洋史論叢〉、1964年10月、485頁。
- ^ a b c 桜沢亜伊「「満鮮史観」の再検討 : 「満鮮歴史地理調査部」と稲葉岩吉を中心として」『現代社会文化研究』第39巻、新潟大学大学院現代社会文化研究科、2007年7月、19-36頁、ISSN 13458485、NAID 120006740147。 p.30 より
- ^ 旗田巍 著、朝鮮史研究会 編『朝鮮史研究の課題』太平出版社〈朝鮮史入門〉、1966年11月、22頁。
- ^ 藤永壮. “アジア-ノート-後期” (PDF). 大阪産業大学. p. 1. オリジナルの2003年3月13日時点におけるアーカイブ。
- ^ 池明観 1987, p. 152
- ^ 今西龍『檀君考』近沢書店〈朝鮮古史の研究〉、1937年4月、125頁。
- ^ 宝賀寿男. “「扶桑」概念の伝播-扶桑と箕子朝鮮を結ぶもの-”. オリジナルの2022年1月22日時点におけるアーカイブ。
- ^ “朝鮮半島が高句麗の時代から繰り返されてきた騒動の原因を検証”. 産経新聞. (2017年7月8日). オリジナルの2017年12月8日時点におけるアーカイブ。
- ^ 倉山満『嘘だらけの日韓近現代史』扶桑社〈扶桑社新書〉、2013年11月30日、19頁。ISBN 978-4594069520。
- ^ 倉山満『嘘だらけの日韓近現代史』扶桑社〈扶桑社新書〉、2013年11月30日、21-22頁。ISBN 978-4594069520。
- ^ 宮脇淳子『韓流時代劇と朝鮮史の真実』扶桑社、2013年8月8日、26頁。ISBN 978-4594068745。
- ^ 浦野起央「朝鮮半島の領土論争」(PDF)『政経研究』第50巻第1号、日本大学、2013年6月、69-70頁、ISSN 0287-4903、NAID 110009581336。
- ^ 이종욱 (2006-12-30). 민족인가, 국가인가?. 소나무출판사. ISBN 8971396121
- ^ ““한국사의 정통성은 신라에… 고구려 중심사관 폐기해야””. 東亜日報. (2007年1月16日). オリジナルの2021年9月3日時点におけるアーカイブ。
- ^ “『高句麗史는 고구려 사람의 눈으로 다시 보아야 한다』”. 月刊朝鮮. (2005年10月). オリジナルの2021年10月22日時点におけるアーカイブ。
- ^ 金 2012, p. 52-53
- ^ 이선복『화석인골 연구와 한민족의 기원』일조각〈韓國史市民講座 Vol.32〉、2003年、64-65頁。
- ^ 李栄薫 編『反日種族主義との闘争』文藝春秋、2020年9月17日、109-110頁。ISBN 4163912592。
- ^ 이기동『곰이 성공하는 나라』동인서원、2005年1月3日。ISBN 8987768317。
- ^ 허동현 (2009年3月). “한국 근대에서 단일민족 신화의 역사적 형성 과정”. 동북아역사논총 23호 (東北アジア歴史財団): p. 7
- ^ “고조선(단군조선)의 건국 기원(서기전 24세기) 불신론의 실체”. skyedaily. (2021年4月8日). オリジナルの2021年11月25日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c “실체와 상징을 구분하자”. ハンギョレ21. (1999年9月16日). オリジナルの2021年10月12日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c “‘단군은 누구인가’다양한 학문적 해석”. 京郷新聞. (2000年9月3日). オリジナルの2021年10月12日時点におけるアーカイブ。
- ^ 鄭早苗『「三国遺事」王暦の高句麗と新羅』大谷学会〈大谷学報 73 (3)〉、1994年3月、36頁。
- ^ 宮脇淳子『韓流時代劇と朝鮮史の真実』扶桑社、2013年8月8日、26頁。ISBN 459406874X。
- ^ a b 北山祥子 2021, p. 117
- ^ a b 北山祥子 2021, p. 77-78
- ^ a b 北山祥子 2021, p. 79-82
- ^ 北山祥子 2021, p. 83-84
- ^ 北山祥子 2021, p. 85-86
- ^ 北山祥子 2021, p. 88-89
- ^ 北山祥子 2021, p. 89-90
- ^ 北山祥子 2021, p. 94-95
- ^ 北山祥子 2021, p. 96
- ^ 北山祥子 2021, p. 98-100
- ^ 北山祥子 2021, p. 103-105
- ^ 北山祥子 2021, p. 106-109
- ^ 北山祥子 2021, p. 110
- ^ 北山祥子 2021, p. 125
- ^ 北山祥子 2021, p. 112-114
- ^ 北山祥子 2021, p. 128-129
「檀君朝鮮」の続きの解説一覧
- 檀君朝鮮のページへのリンク