早稲田大学 沿革

早稲田大学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/13 01:28 UTC 版)

沿革

(沿革節の主要な出典は公式サイト[7]

1882年(明治15年)に大隈重信が創立した東京専門学校が前身である。その後1902年(明治35年)に早稲田大学と改称、さらに1920年(大正9年)2月5日に大学令に基づく大学設立が認可された(これは慶應義塾大学と共に私立大学として初[8])。

年表

東京専門学校(1884年5月)
大隈英麿(東京専門学校初代校長)
前島密(第2代校長、日本における郵便制度の創設者の一人)
坪内逍遥(文学科を創設)
鳩山和夫(第3代校長、外務次官・衆議院議長を歴任)
市島謙吉(早稲田大学初代図書館長。随筆家としても知られる)
天野為之(初代商科長・第2代学長)
高田早苗(早稲田大学初代学長・第3代総長)
  • 1781年(天明元年)- 佐賀藩第8代藩主鍋島治茂が儒学者の古賀精里に命じ藩校「弘道館」を設立。
  • 1844年(弘化元年)- 早稲田大学創立者大隈重信が弘道館入学。
  • 1856年(安政3年)- 大隈重信、蘭学寮に入学。
  • 1865年(慶応元年)- フルベッキ、大隈重信が、長崎に佐賀藩校「致遠館」設立。フルベッキから英語を学ぶ。
  • 1881年(明治14年)10月 - 明治十四年の政変
  • 1882年(明治15年)
  • 1883年(明治16年)
    • 5月 - 講師教員学生合同懇親・大運動会、飛鳥山に開催(運動会の始まり)[14]
    • 9月 - 予科を設置(修業年限1年)。政治経済学科を「政治学科」と改称。理学科を廃止して土木工学科設置。
  • 1884年(明治17年)
    • 6月 - 学生団体「同攻会」を結成。
    • 7月 - 第1回卒業式を挙行。
  • 1885年(明治18年)
    • 6月 - 評議員会、神田移転案を否決。
    • 9月 - 高等科(のちの研究科)を設置。土木工学科の学生募集を停止。
    • 12月 - 校友会を結成[15]
  • 1886年(明治19年)
    • 1月 - 小野梓死去。
    • 5月 - 校外生制度を発足させ、『早稲田講義録』を発行。軍入隊時の田中角栄も校外生のうちの一人であった。
    • 8月 - 私立法律学校特別監督条規制定。
    • 9月 - 学部制を施行し政治学科・法律学科・英学科をそれぞれ政学部・法学部・英学部と改称。修業年限を4年に延長。
  • 1887年(明治20年)
    • 5月 - 大隈重信の寄進により赤煉瓦の大講堂落成(図書室が同講堂1階に移転)。
    • 9月 - 政学講義会、東京専門学校出版局と改称(早稲田大学出版部の前身)。
  • 1888年(明治21年)
    • 3月 - 五大法律学校連合大討論会に参加[16]
    • 6月 - 文部省令「特別認可学校規則」公布にともない学部制・高等科の廃止。修業年限3年の政治科・法律科(司法科=第一法律科)・行政科(第二法律科)・英学本科・兼修英学科を設置。
  • 1890年(明治23年)
  • 1891年(明治24年)
    • 9月 - 政学部・法学部・文学部の3学部制を復活。
    • 10月 - 『早稲田文学』創刊。
  • 1893年(明治26年)
    • 8月 - 各地の校友会と連携して巡回学術講演会を開催。
    • 9月 - 研究科を新設(修業年限2年)。
  • 1895年(明治28年)4月 - 早稲田倶楽部(体育部の前身)発会。
  • 1896年(明治29年)
    • 1月 - 早稲田法学会発足。
    • 11月 - 早稲田文学会発足。
  • 1897年(明治30年)
    • 2月 - 体育部規則を制定。
    • 3月 - 早稲田学会設立、機関誌『早稲田学報』発刊。七徳堂(体育館)開館。
  • 1898年(明治31年)
    • 9月 - 文学部に史学科新設。
    • 11月 - 東京府知事、東京専門学校の社団法人化を認可。
  • 1899年(明治32年)
  • 1900年(明治33年)
  • 1901年(明治34年)
  • 1903年(明治36年)
    • 4月 - 高等予科を第一(政治経済学科)、第二(法学科)、第三(文学科)、第四(商科、新設)に分割。
    • 9月 - 高等師範部(現:教育学部)設置。
    • 10月 - 早稲田社会学会結成。
    • 11月 - 最初の早慶野球戦三田綱町球場で開催。
  • 1904年(明治37年)
  • 1905年(明治38年)
    • 4月 - 野球部が安部磯雄部長引率のもと日本の野球チームとして初のアメリカ遠征に出発(26戦7勝19敗、6月帰国)。
    • 9月 - 清国留学生部を設置(1910年廃止)。
    • 学習院元院長田中光顕より『礼記子本疏義』第59 1巻(国宝)が寄贈[22]
  • 1906年(明治39年)
    • 2月 - 東亜同仁会(会長大隈重信)、東京同仁医薬学校(校長岡田和一郎)を早稲田大学構内に設置。
    • 11月 - 応援の過熱により早慶野球戦中止(1925年復活)。
  • 1907年(明治40年)
    • 4月 - 校長・学監制を廃し、総長・学長制を採用。大隈重信総長(名誉職)・高田早苗学長が就任。
    • 10月 - 校歌制定(作詞:相馬御風、作曲:東儀鉄笛)。大隈重信、大学敷地の所有地寄附を表明。大隈像(初代)建立。
    • 11月 - 東京同仁医薬学校付属の早稲田同仁医院開設。
明治末期の神楽坂(戦前の早大生の遊び場は神楽坂であった)[23]
1910年の早稲田大学(中央校庭から北側を見た光景)
  • 1908年(明治41年)
    • 2月 - 理工科と医科を創設するための第二期拡張基金150万円の募集発表。穴八幡下の4,096坪を購入(現・戸山キャンパスの一部)。
    • 4月 - 第五高等予科(理工科)発足。
    • 5月 - 第二期拡張計画のため皇室から3万円を下賜される。学校組織を財団法人とする。
  • 1909年(明治42年)
    • 7月 - 第二期拡張計画において理工科優先、医科後回しの方針を決定。
    • 9月 - 大学部理工科機械学科、電気学科開講。
  • 1910年(明治43年)
    • 5月 - 校外教育部設置。
    • 9月 - 大学部理工科採鉱学科、建築学科開講。
  • 1911年(明治44年)
    • 5月 - 早稲田工手学校開校。恩賜記念館竣工。
    • 11月 - 理工科製図教室・実験室竣工。政治学会(学生団体)発足。
    • 東京同仁医薬学校および付属同仁医院廃止。在校生を千葉金沢医学専門学校に移す。
大正初期の早稲田大学の正門
(奥の赤煉瓦の建物は恩賜記念館)
早稲田大学の学生たち(1915年)
  • 1914年(大正3年)
石橋湛山早稲田騒動で天野派の総帥として活躍、1956年に早大出身者で初の内閣総理大臣となる)
  • 1915年(大正4年)
  • 1916年(大正5年)
    • 5月 - 第一から第五の高等予科をそれぞれ高等予科第一部、第二部、第三部、第四部、第五部と改称する。
    • 10月 - 第2次大隈内閣総辞職。御大典事業の一環として、鴻池善右衛門鴻池銀行東京支配人蘆田順三郎、鴻池監督を務めた原田二郎(学苑校賓)と連名で軽井沢の土地2万坪を早稲田大学に寄贈[25]
    • 12月 - 大隈夫人銅像問題起こる。
    • プロテスタンツ(恩賜館組)[26] による母校改革運動起こる。
  • 1917年(大正6年)
    • 4月 - 高等予科の修業年限を2年に延長。
    • 6月 - 早稲田騒動が新聞で報じられ、世間の関心事となる[27]
    • 9月 - 革新団(天野為之支持派)による校門占拠事件発生。大学部理工科応用化学科設置。
    • 11月 - 維持員会、天野為之の講師および維持員辞任を承認。
  • 1918年(大正7年)
  • 1919年(大正8年)
    • 1月 - 大学基金募集開始(目標額150万円)。
    • 2月 - 民人同盟会結成。
    • 4月 - 文学科を哲学・文学・史学の3専攻制とする。
    • 6月 - 大学令実施準備委員会を設置。
    • 11月 - 建設者同盟結成(民人同盟会から分派)。
    • 9月12日 - 東京府に早稲田大学設立認可申請[28]
    • 9月19日 - 『官報』にて早稲田大学校外生新学年募集[29]
  • 1920年(大正9年)
    • 2月2日 - 天皇裁可(上奏裁可書文書番号No.23)を受ける[30][31]
    • 2月5日 - 大学令による早稲田大学の設立が文部大臣に認可される(文部省告示第36号)[32]
    • 2月14日 - 豊多摩郡役所が早稲田大学設立認可を大学に通知[33]
    • 3月31日 - 早稲田大学学則、文部大臣の認可を得る。政治経済学部法学部文学部商学部理工学部大学院早稲田高等学院を置き、学部と高等学院の修業年限を3年とする[34]
    • 4月1日 - 各学部第1学年及び高等学院第1学年を開設[35]
    • 4月 - 専門部に商科(3年制)を新設。
  • 1921年(大正10年)
    • 4月 - 早稲田高等学院を第一部(3年制・文科と理科)・第二部(2年制・文科のみ)の2部制とする。女子12名を聴講生として受け入れる。
    • 12月 - 暁民共産党事件により民人同盟会消滅。
  • 1922年(大正11年)
    • 1月 - 創立者大隈重信死去。日比谷公園で行われた国民葬に教職員・学生参列。
    • 3月 - 高等予科廃止。
    • 4月 - 早稲田高等学院第一部・第二部を第一早稲田高等学院(戸山)・第二早稲田高等学院(大学構内)に改組。
    • 11月 - 第1回ラグビー早慶戦を開催(三田綱町グラウンド、早0 - 慶14)[36]
  • 1923年(大正12年)
    • 1月 - 文化同盟結成(建設者同盟の学内団体)。
    • 3月 - 総長・学長制を名誉総長・総長制に改め、名誉総長に大隈信常、総長に高田早苗が就任(5月)。旧大隈邸を大隈会館と命名。
    • 4月 - 大学院発足。
    • 5月 - 早大軍教事件起こる。
    • 6月 - 研究室蹂躙事件(第一次共産党事件の発端)起こる。
    • 9月 - 関東大震災で旧講堂倒壊。被災者のために法律相談部と建築相談部を設置。
    • 12月 - 第1回ラグビー早明戦を開催(戸塚球場、早42 - 明3)[37]
  • 1924年(大正13年)
    • 4月 - 早稲田専門学校(夜専、政治経済科・法律科・商科)開校。
    • 5月 - 専門部および高等師範部が高等学校大学予科と同等以上と認定される。
建設中の大隈講堂
  • 1925年(大正14年)
    • 3月 - 専門学校令による大学部廃止。
    • 8月 - 早稲田専門学校が高等学校大学予科と同等以上と認定される。
    • 9月 - 東京六大学野球連盟発足。西武鉄道から北多摩郡保谷村所在土地約25,000坪を入手(現在の東伏見キャンパス)。
    • 10月 - 早慶野球戦復活(戸塚球場)。図書館(現2号館)と学生会館、製図教室、第一高等学院プール(高石記念プール)[38]、正門竣工。
  • 1926年(大正15年/昭和元年)
    • 5月 - 早大学生消費組合開店(東京学生消費組合の最初の支部)。
    • 10月 - 理工学部実験室・研究室(13号館)竣工。
  • 1927年(昭和2年)
    • 1月 - 大山郁夫教授解職(大山事件)。図書館に横山大観下村観山の壁画「明暗」を設置。
    • 10月 - 大隈講堂が落成。早大出版部事務所竣工。専門部各科に科長を置く。
撤去される前の正門(1932年)
大隈像と大隈講堂
田中穂積(第4代総長)
専門部・高等師範部校舎
(1935年竣工、現1号館)
  • 1928年(昭和3年)
  • 1929年(昭和4年)4月 - 雄弁会解散反対、学生自治権要求デモ発生。
  • 1930年(昭和5年)10月 - 早慶野球戦切符事件起こる。
  • 1931年(昭和6年)
    • 5月 - 文学部校舎竣工(旧8号館、2002年解体)。
    • 6月 - 戸塚球場で日本初のテレビジョン実験放送成功。早慶戦で第六応援歌「紺碧の空」(作詞:住治男、作曲:古関裕而)を初演奏。
    • 東伏見運動場に文学部旧校舎を移築、体育各部の合宿所となる(グリーンハウスの名称で1988年まで使用)[39]
  • 1932年(昭和7年)
    • 4月 - 学則改正により選択科目を大幅に増やす。高等師範部の1年制予科を廃して3年制本科を4年制に改める。
    • 5月 - 野球部、東京六大学野球連盟から脱退(9月復帰)。
    • 10月 - 創立50周年式典を挙行。大隈重信像(2代目、現在のもの)および高田早苗像建立。
  • 1933年(昭和8年)
    • 1月 - ラグビー部、初の全国制覇達成(花園、早稲田27 - 3同志社)[40]
    • 3月 - 創立50周年記念事業を発表(老朽校舎改築および理工学部中央研究所設置を表明)。
    • 4月 - 本部校舎竣工(旧3号館南側、2011年解体)。
    • 11月 - 武道館開館。
  • 1934年(昭和9年)4月 - 政・法校舎竣工(旧3号館北側、2011年解体)。
  • 1935年(昭和10年)
    • 4月 - 理工学部各学科に工業経営分科を新設。科外講演部設置。
    • 6月 - 専門部・高等師範部校舎竣工(現・1号館)。
    • 大学正面入口から門柱・門扉を撤去(無門の門となる)。
  • 1936年(昭和11年)
    • 7月 - 東伏見プール竣工。
    • 9月 - 理工学部応用化学実験室竣工。
  • 1937年(昭和12年)
    • 4月 - ヘレン・ケラー来校、大隈講堂で「私の住む世界」と題する講演を行った[41]
    • 9月 - 理工学部実験室竣工。
  • 1938年(昭和13年)
    • 3月 - 甘泉園を買収。
    • 4月 - 文学部哲学科に芸術学専攻設置。理工学部に応用金属学科設置。特設東亜専攻科を設置(2年間のみ)。
    • 6月 - 教員の満70歳停年制を採用(1943年実施)。
    • 10月 - 大隈重信生誕百年記念祭挙行。商学部校舎竣工(旧11号館、2006年解体)。鋳物研究所設置[42]
  • 1939年(昭和14年)4月 - 女子学生4名が初めて学部へ入学。専門部工科開設。
  • 1940年(昭和15年)
    • 1月 - 文学部教授津田左右吉辞職(津田事件)。
    • 夏 - 理工学部研究所(現:理工学総合研究センター)を設置。
    • 秋 - 法学部に東亜法制研究所設置。
    • 10月 - 学徒錬成部を設置。
    • 11月 - 興亜経済研究所(現:アジア太平洋研究センター)を設置。
    • 12月 - 報国碑を建立(1946年撤去)。
  • 1941年(昭和16年)
    • 4月 - 小平錬成道場を久留米道場、東伏見体錬道場を東伏見道場、戸塚球場を戸塚道場、第一高等学院運動場を戸山道場と改称。
    • 8月 - 早稲田大学報国隊を結成。
    • 10月 - 早稲田工手学校が青年学校と同等以上の学校と認定される。
  • 1942年(昭和17年)
    • 4月 - 理工学部電気通信学科開設。高等師範部に国民体錬科開設。
    • 10月 - 体育会の学徒錬成部への統合が完了。
  • 1943年(昭和18年)
    • 4月 - 第一・第二高等学院の修業年限をともに2年に短縮する。
    • 10月 - 理工学部に石油工学科、土木工学科、工業経営学科を開設。出陣学徒壮行早慶戦を行う。
  • 1944年(昭和19年)
    • 3月 - 興亜経済研究所と東亜法制研究所とを統合して興亜人文科学研究所を設立。
    • 4月 - 専門部および専門学校の商科を経営科と改称(戦後旧称に戻す)。専門部工科に航空機科、電気通信科、鉱山地質科学科を開設。
焼失した恩賜記念館(1945年
  • 1945年(昭和20年)
    • 5月 - 太平洋戦争下の空襲により大隈会館、恩賜記念館、第一高等学院(戸山)などを焼失。
    • 8月 - 終戦により学徒勤労動員解除。
    • 10月 - 学生ホール再開。
    • 11月 - 体育会復活。
    • 12月 - 学友会復活。理工学部機械工学科の航空力学科と航空機科を廃止、石油工学科を燃料化学科と改称、専門部工科航空機科を運輸機械科と改称、早稲田高等工学校航空機科を廃止。
  • 1946年(昭和21年)
    • 2月 - 興亜人文科学研究所を人文科学研究所と改称。
    • 4月 - 第一・第二高等学院の修業年限をともに3年とする。高等師範部国民体錬科を体育科と改称、社会教育科を新設。
    • 5月 - 総長公選規定を含む校規を制定、島田孝一が総長に就任(9月)。理事会、学生自治会の設立を承認。
    • 10月 - 政治経済学部に新聞学科を増設。
  • 1947年(昭和22年)4月 - 学生自治会発足。
  • 1948年(昭和23年)
    • 4月 - 米国に亡命していた大山郁夫復職。専門部政治経済科に自治行政専攻を設置。
    • 7月 - 新制早稲田大学の設置認可を文部大臣に申請。
    • 11月 - 早稲田工手学校廃校。
  • 1949年(昭和24年)
    • 3月 - 旧制第一・第二早稲田高等学院が廃校、在校生は新制大学の学部1・2年生に移行。
    • 4月 - 学制改革に伴い、新制早稲田大学を設置[43]。新制早稲田大学高等学院開校。旧制の学部・専門部・高等師範部・専門学校・高等工学校の学生・生徒募集を停止。体育部を新設。
    • 5月 - 『早稲田大学教旨』を改訂、「立憲帝国の忠良なる臣民」を削除[6]
    • 7月 - 高田馬場駅-大学正門間にスクールバス運行開始。
  • 1950年(昭和25年)
    • 8月 - 北海道と東北地方で第1回社会教育講座を開催。
    • 10月 - 早稲田大学事件起こる。
  • 1951年(昭和26年)
    • 2月 - 学制改革に伴う学校法人への組織変更認可[44]
    • 3月 - 旧制学部最後・新制学部最初の卒業式を挙行。
    • 4月 - 旧制の高等師範部、専門学校を廃止。新制の早稲田大学大学院6研究科(修士課程)を設置。
    • 10月 - 旧制の専門部、高等工学校を廃止。
  • 1952年(昭和27年)
    • 4月 - 体育会と体育部を統合して体育局を設置[45]
    • 5月 - 「5月8日早大事件」起こる。
    • 10月 - 共通教室校舎(現10号館)竣工。
  • 1953年(昭和28年)
    • 5月 - 大学院博士課程を設置。
    • 7月 - 戦後最初の海外留学生を派遣。
    • 11月 - 第1回統一早稲田祭開催。
  • 1954年(昭和29年)
大隈講堂から見た大学構内
(昭和30年代)[46]
大浜信泉(第7代総長)
アルゼンチン大統領アルトゥーロ・フロンディシの来校(1961年)
  • 1955年(昭和30年)
    • 2月 - 外国学生特別選考制度発足。
    • 4月 - 大隈記念社会科学研究所開設。
    • 11月 - 校友会館竣工(大隈庭園内)。
  • 1956年(昭和31年)
    • 2月 - 生産研究所(現:アジア太平洋研究センター)を設置。
    • 8月 - 高等学院が練馬区上石神井に移転。
    • 10月 - 放射性同位元素研究室竣工(理工学研究所)。
  • 1957年(昭和32年)
  • 1958年(昭和33年)
    • 3月 - 早稲田大学出版部、通信講義録事業を廃止。
    • 4月 - 比較法研究所を設置。
    • 5月 - 大隈記念学術褒賞と小野梓記念賞を制定[47]
  • 1959年(昭和34年)
    • 7月 - 語学教育研究室(現:語学教育研究所)を設置。
    • 10月 - 電子計算室(現:メディアネットワークセンター)を設置。
甘泉園(早稲田大学が一時期所有していた)
  • 1960年(昭和35年)
  • 1961年(昭和36年)
    • 3月 - 大学院工学研究科を理工学研究科と改称。
    • 4月 - 第二理工学部の学生募集を停止。第一理工学部の鉱山学科を資源工学科と改称。
    • 9月 - 第二共通教室(22号館)竣工。
    • 11月 - 天野為之生誕百年記念祭を開催。
  • 1962年(昭和37年)
  • 1963年(昭和38年)
    • 4月 - 国際部を設置。
    • 7月 - 大隈記念社会科学研究所を社会科学研究所に改組。
    • 12月 - 早稲田実業学校が系属校となる。
  • 1964年(昭和39年)
    • 4月 - 教育学部に理学科(数学専修・生物学専修・地学専修)を新設。教育学科に体育学専修を増設。
    • 12月 - 営団地下鉄東西線早稲田駅開業。
  • 1965年(昭和40年)
    • 4月 - 第二法学部および第二商学部、学生募集を停止。理工学部に物理学科を設置。
    • 6月 - 『早稲田大学史記要』発刊。
    • 10月 - 早大闘争起こる。
大久保キャンパス(現:西早稲田キャンパス
大隈庭園
  • 1966年(昭和41年)
    • 4月 - 第二政治経済学部、学生募集を停止。社会科学部を設置。第二政治経済学部、学生募集を停止。社会科学部を設置。第一文学部を2類18専攻制に、第二文学部を2類7専攻制に改める。
    • 11月 - 15号館新築、4号館増築工事竣工。
  • 1967年(昭和42年)
    • 2月 - 16号館(教育学部)竣工。
    • 4月 - 大久保キャンパス(現:西早稲田キャンパス)が完成、第一・第二理工学部が移転。
    • 大隈庭園を学生に開放。
  • 1968年(昭和43年)4月 - 第二理工学部を廃止、第一理工学部を理工学部と改称。学生相談センターを設置。
  • 1969年(昭和44年)
    • 2月 - 大学問題研究会発足。
    • 8月 - 追分セミナーハウス(現:軽井沢セミナーハウス)竣工。
    • 9月 - 法商研究室棟(9号館)竣工。
  • 1970年(昭和45年)
    • 4月 - 第二文学部、Ⅰ類・Ⅱ類の類別編成を廃止するとともに文芸専攻を増設。
    • 9月 - 建物・校舎の号館表示を変更。
    • 11月 - 第1回ホームカミングデーを開催。
  • 1971年(昭和46年)4月 - 第一文学部、Ⅰ類・Ⅱ類の類別編成を廃止。古代エジプト調査委員会発足。
  • 1972年(昭和47年)
    • 4月 - 理工学部電気通信学科を電子通信学科と改称。
    • 6月 - 大隈重信侯没後50年祭記念講演会および展示会を開催。
  • 1973年(昭和48年)
    • 4月 - 第一政治経済学部を政治経済学部に、第一法学部を法学部に、第一商学部を商学部に改称。第一政治経済学部新聞学科・自治行政学科廃止。理工学部に化学科を増設。理工学研究科応用物理学専攻を物理学及応用物理学専攻に改称。
    • 5月 - 村井資長総長拉致事件発生[48]
    • 7月 - 校規改正(総長三選禁止)。
  • 1974年(昭和49年)7月 - 産業経営研究所を設置。
  • 1975年(昭和50年)4月 - 学債募集開始。
  • 1976年(昭和51年)10月 - 早稲田大学国際交流基金を設定。
  • 1978年(昭和53年)
    • 3月 - 『早稲田大学百年史』刊行開始(1997年完結)。
    • 4月 - 現代政治経済研究所を設置。早稲田大学専門学校開校。
  • 1979年(昭和54年)
  • 1980年(昭和55年)
    • 2月 - 商学部で不正入試が発覚。教職員から逮捕者・自殺者を出した。
    • 11月 - 第二学生会館改修工事完了。
  • 1981年(昭和56年)
    • 4月 - エクステンションセンターを設置。
    • 5月 - 評議員会、新キャンパス用地を所沢市三ヶ島地区と決定(現在の所沢キャンパス)。
    • 10月 - 体育厚生施設(17号館)竣工(旧武道館跡地)。
  • 1982年(昭和57年)
    • 4月 - 本庄高等学院開校。
    • 10月 - 創立100周年記念式典を挙行。スポーツ功労者表彰規程を制定[47]
  • 1984年(昭和59年)
    • 4月 - 第一文学部に学科制が復活、史学科に考古学専修設置。
    • 12月 - 芸術功労者表彰規程を制定[47]
  • 1985年(昭和60年)11月 - エクステンションセンター棟竣工。
  • 1986年(昭和61年)
    • 4月 - 早稲田大学教育総合研究室を開設[49]
    • 10月 - 松代セミナーハウス竣工。
  • 1987年(昭和62年)
  • 1988年(昭和63年)
    • 4月 - 日本語教育研究センターを設置。オープンカレッジを開設。
    • 10月 - 鋳物研究所を各務記念材料技術研究所と改称[42]
  • 1989年(平成元年)11月 - 染谷記念国際会館竣工。
  • 1990年(平成2年)
    • 3月 - 大隈ガーデンハウス竣工。大学院教育学研究科を設置。
    • 4月 - 所沢スポーツホール竣工。
早稲田大学図書館
  • 1991年(平成3年)4月 - 理工学部に情報学科設置。総合学術情報センターが開館。大学院人間科学研究科を設置。
  • 1992年(平成4年)
    • 4月 - 戸山キャンパス図書棟・食堂棟・プール竣工。
    • 11月 - 戸山キャンパス文学部第2研究棟竣工。
  • 1993年(平成5年)
    • 3月 - 理工学総合研究センター棟と研究棟竣工(大久保キャンパス)。
    • 7月 - ビル・クリントンアメリカ合衆国大統領来校。現役の大統領による初の日本の大学への来校となった。
    • 11月 - 菅平セミナーハウス竣工。
  • 1994年(平成6年)
    • 2月 - 大隈会館およびホテル棟竣工(翌月に本部各事務所が1号館から大隈会館に移転)。
    • 4月 - 大学院社会科学研究科を設置。教育学部教育学科体育学専修廃止。2号館(旧図書館)内に高田早苗記念研究図書館開館[50]
    • 12月 - 西早稲田キャンパス整備計画(A,B,C棟の建て替え)に着手、A棟(14号館)の建て替え工事が始まる。
  • 1996年(平成8年)6月 - メディアネットワークセンターを設置。(2014年4月、グローバルエデュケーションセンター (GEC) に移管)
  • 1997年(平成9年)
    • 4月 - 理工学部電子通信学科を電子・情報通信学科と改称。
    • 7月 - アジア太平洋研究センターを設置。
    • 12月 - ハイテク・リサーチセンターが竣工。
    • 同志社大学と国内相互間留学制度・学術交流制度を提携。
  • 1998年(平成10年)
    • 4月 - 理工学部資源工学科を環境資源工学科、材料工学科を物質開発工学科、数学科を数理科学科と改称。大学院アジア太平洋研究科を設置。
    • 5月 - 2号館に會津八一記念博物館が開設[51]
    • 6月 - 国際情報通信研究センターを設置[52]
    • 9月 - 教育総合研究室を教育総合研究所に改組[49]
    • 12月 - 総合健康教育センターを設置。
  • 2000年(平成12年)4月 - 大学院国際情報通信研究科、オープン教育センター、入学センターを設置。総合研究機構を創設し、教授陣によるプロジェクト研究所を開設・運営する体制を整える[53]
  • 2001年(平成13年)
  • 2002年(平成14年)4月 - 渋谷幕張シンガポール校が早稲田大学系属早稲田渋谷シンガポール校となる[54]
  • 2003年(平成15年)4月 - スポーツ科学部ならびに人間科学部通信教育課程、大学院アジア太平洋研究科国際技術経営専攻(専門職大学院MOT)、大学院公共経営研究科(専門職大学院)、大学院情報生産システム研究科(北九州市)を設置。体育局を競技スポーツセンターに改組[45]川口芸術学校が開校。
  • 2004年(平成16年)
小野梓記念館
63号館(2008年竣工)
11号館(2009年竣工)
整備事業完了後の早稲田キャンパス(2010年4月撮影)
新3号館(2014年竣工)



  1. ^ 早稲田の歴史” (日本語). 早稲田大学. 2019年10月15日閲覧。
  2. ^ 学部・大学院・図書館” (日本語). 早稲田大学. 2019年10月15日閲覧。
  3. ^ 2017年のTHE世界大学ランキング日本版をおさらい”. ㈱ベネッセコーポレーション. 2018年11月30日閲覧。
  4. ^ 早稲田 九州“発祥”私学の雄 慶應、佐賀でライバル初の交流展 産経ニュース、2015年10月18日
  5. ^ a b 早稲田大学百年史 第四巻/第九編 第三章
  6. ^ a b ワセ歴 第5回 創立30周年 建学の理念「教旨」と校旗 ―式服式帽の制定・深紅のガウン姿の大隈総長―
  7. ^ a b 早稲田の歴史”. 早稲田大学. 2019年1月23日閲覧。
  8. ^ 官報』1920年2月6日、文部省告示第36号。
  9. ^ 「当時の大隈さんは、今の若い人達が知つて居る処の七十八十といふ高齢の大隈老侯とは、大分様子が異つて居た。一見した処一寸近よりがたい一大人物と見えたと同時に、何処となしに親みがたい峻烈の感じがした。」(高田早苗半峰昔ばなし早稲田大学出版部、1927年、96頁)
  10. ^ 高田早苗半峰昔ばなし』 早稲田大学出版部、1927年、95-99頁
  11. ^ 中村尚美 『大隈重信』 吉川弘文館、1961年、170頁
  12. ^ 『早稲田大学百年史』 第一巻、429-441頁
  13. ^ 中村尚美 『大隈重信』 吉川弘文館、1961年、174-179頁
  14. ^ 「早稲田スポーツ」以前【第1回】 – 早稲田ウィークリー
  15. ^ 歴史・沿革|早稲田大学 校友会
  16. ^ 同討論会は1890年7月まで13回開催された(専修大学出版局 『専修大学百年史』 上巻、1981年、607-621頁)。
  17. ^ 創部直後は中学チームにも連敗するほどの弱体ぶりだったが(飛田穂洲早稲田大学野球部史』 3-4頁)、初の本格的な対外試合として学習院と対戦し、7対6で勝利。
  18. ^ 試合は、早軍(根拠論文の通り早軍、慶軍と表記する)は三段前田光世を除き早稲田大学の佐竹信四郎を慶軍の主将に置く混合試合であった。早軍の主将松代林太郎二段(早稲田大学)が5連勝し順当に勝ち進むも慶軍の副将藤崎初段(慶應義塾)に敗れる(「早稲田大学柔道部百年史」、「我塾柔道百年の歩みと共に」 小川虎之助 P19)。
  19. ^ 明治35年9月2日『官報』第5750号
  20. ^ ただしこれは翌1903年に発令された専門学校令の発令に先立ち、その特例として大学と称することが私立学校中初めて認められたものであり、大学令による大学となるのは1920年からである。なお、1902年9月1日発効の早稲田大学改称について、専門学校令に特例が存在しない事から精選版日本国語大辞典では1899年に公布された私立学校令に基づくものとしている。
  21. ^ 明治35年12月13日『官報』第5835号
  22. ^ a b 沿革 – 早稲田大学図書館
  23. ^ 早稲田の学生街① 戦前の鶴巻町界隈 –早稲田ウィークリー
  24. ^ a b 世界の道は早稲田に通ず 大隈重信の民間外交 2015年度秋季企画展「大隈重信展──早稲田から世界へ──」より – 早稲田大学 大学史資料センター
  25. ^ 『早稲田大学校賓名鑑』p143
  26. ^ 恩賜記念館に研究室を与えられた若手教職員グループのこと。主なメンバーは大山郁夫、寺尾元彦、宮島綱男村岡典嗣遊佐慶夫服部嘉香、橘静二など。(服部嘉香 『随筆 早稲田の半世紀』 中和出版、23-24頁)
  27. ^ 「早大内訌る 学長問題にて」(『東京朝日新聞』 1917年6月22日)
  28. ^ 東京都公文書「早稲田大学設立認可申請」(早稲田大学の物のみ存在。東京都公文書館に「慶應義塾大学設立認可申請」は存在しない。) 2019年3月11日閲覧.
  29. ^ 大正8年9月19日『官報』第2139号廣告
  30. ^ 国立公文書館デジタルアーカイヴ**
  31. ^ 新設された早稲田大学歴史館では、上奏裁可書に後日決裁の付箋が付いていない事から、面て面上の「1920年の1月の裁可を経て、翌2月に大学に昇格した」(早稲田大学歴史館資料より抜粋)としている。
  32. ^ 『官報』1920年2月6日、文部省告示第36号。
  33. ^ 東京都公文書「早稲田大学設立認可申請」 2019年3月11日閲覧.
  34. ^ 早稲田大学百年史 年表大正元年~九年
  35. ^ 『早稲田大学百年史 第三巻』第六編 第一章 大学令の実施、6頁。
  36. ^ 『東京朝日新聞』 1922年11月24日
  37. ^ 『東京朝日新聞』 1923年12月25日
  38. ^ 早稲田ウィークリー 高石記念プール
  39. ^ 早稲田ウィークリー ~第10回~ グリーンハウス 2019年7月17日閲覧
  40. ^ 『東京朝日新聞』 1933年1月4日
  41. ^ 早稲田大学百年史 第四巻/第八編 第十四章
  42. ^ a b 沿革 – 早稲田大学 各務記念材料技術研究所
  43. ^ 国立公文書館ホームページ 早稲田大学設置認可 文書番号・法令番号 校学第99号. 2018年1月23日閲覧。
  44. ^ [1]
  45. ^ a b 概要・沿革・早稲田アスリート宣言 – 早稲田大学 競技スポーツセンター
  46. ^ 『早稲田大学百年史』 第五巻、[第十集] 学苑全景
  47. ^ a b c d Honors and Awards 表彰 – 早稲田大学
  48. ^ 『朝日新聞』 1973年5月8日夕刊
  49. ^ a b 研究所の概要 – 早稲田大学 教育総合研究所
  50. ^ 高田早苗記念研究図書館概要 – 早稲田大学図書館
  51. ^ 早稲田大学會津八一記念博物館
  52. ^ 沿革・概要 – 早稲田大学 国際情報通信研究センター
  53. ^ プロジェクト研究所 – 早稲田大学 総合研究機構
  54. ^ 沿革 – 渋谷教育学園幕張中学校・高等学校
  55. ^ 早稲田大学西早稲田キャンパス8号館|施工実績|清水建設
  56. ^ 研究科概要 – 早稲田大学 大学院会計研究科
  57. ^ 九州大学ホームページ2005年12月22日-九州大学と早稲田大学が「連携に関する基本協定」を締結
  58. ^ 沿革 – 早稲田大学 スポーツ科学研究科
  59. ^ 京都大学ニュースリリース2006年4月10日-早稲田大学と連携協力に関する基本協定を締結
  60. ^ 所長あいさつ – 早稲田大学 高等研究所
  61. ^ 日経BP SHOP|「変革する大学」早稲田大学理工学部2006-2007
  62. ^ 早稲田大学先端生命医科学センター(TWIns)
  63. ^ 胡錦濤国家主席が来校-日中青年へ未来志向の友好語る
  64. ^ 情報化推進レター
  65. ^ 「Quon」は早稲田大学校歌歌詞「現世を忘れぬ 久遠の理想」に由来。
  66. ^ 連携大学院について|カーロボAI連携大学院
  67. ^ 2010年4月 東京女子医大・早稲田大 共同大学院開設について
  68. ^ 2010年4月、初の国私連携共同大学院設置へ
  69. ^ 国際教養大学・国際基督教大学・立命館アジア太平洋大学と連携協定を締結 – 早稲田大学
  70. ^ 神戸BTセンター早稲田大学浅野研究室を開所しました – 早稲田大学
  71. ^ 早川敦子『吉永小百合、オックスフォード大学で原爆詩を読む』(集英社新書 2012年)
  72. ^ 早稲田大学歴史館 – 早稲田文化
  73. ^ 次世代のシンボル早稲田アリーナ竣工 多くの交流機会創出の新拠点に 早稲田大学 2018年12月19日
  74. ^ スポーツミュージアム開館式典 – 早稲田大学
  75. ^ 国際文学館(村上春樹ライブラリー) – 早稲田文化
  76. ^ 東京大学と連携・協力の推進に関する基本協定書締結 - 早稲田大学
  77. ^ 早稲田大学と連携・協力の推進に関する基本協定書締結 - 東京大学
  78. ^ オックスフォード大学と大学間協定締結 - 早稲田大学
  79. ^ University of Oxford signs Memorandum of Understanding with Waseda University - University of Oxford
  80. ^ 2019年度卒業式・大学院学位授与式および2020年度入学式の中止について”. 早稲田大学. 2020年3月8日閲覧。
  81. ^ 2020年度授業開始日程変更について”. 早稲田大学. 2020年3月8日閲覧。
  82. ^ 早稲田大学 学生1人当たり10万円の「緊急支援金」給付へ”. 早稲田大学. 2020年4月28日閲覧。
  83. ^ 大隈庭園は、彦根藩井伊氏高松松平家の下屋敷跡地であった。(「わせだの散歩道 大隈庭園-早稲田ウィークリー」)
  84. ^ 早大生の「本キャンコンプレックス」とは? 現役学生に直撃! - エキサイトニュース” (2015年2月18日). 2019年3月5日閲覧。
  85. ^ 新しくなった「文キャン」 – 早稲田大学” (2015年4月28日). 2019年3月5日閲覧。
  86. ^ 気になるあの場所行ってみた!第4回〜キャンパス編〜 2016/03/10 | ワセダメールマガジン”. 2019年3月5日閲覧。
  87. ^ 喜久井町・戦災者供養観音像が区地域文化財に認定 読売新聞早稲田オンライン
  88. ^ 「エピソード 早稲田大学125話」(早稲田大学出版部)
  89. ^ (PDF) 早稲田大学 CAMPUS DIARY2012 (Report). 早稲田大学学生部. (2012). p. 200. http://www.wasedaweekly.jp/upload/275/DIARY%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%8F%B2%E6%83%85%E5%A0%B1%E7%94%BB%E5%83%8F.pdf 2016年8月23日閲覧。. 
  90. ^ 『早稲田大学百年史』 第三巻、755-756頁
  91. ^ 早稲田の象徴「無門の門」の開閉時間 – 早稲田大学 2019年1月16日閲覧
  92. ^ Waseda Weekly”. 2014年9月3日閲覧。
  93. ^ 早稲田大学校歌『都の西北』とイェール大学・学生歌『Old Yale』
  94. ^ (いぬゐ)は翰、斡などとともに、龺部としている。これは、中国の『康熙字典』(後の漢和辞典の規準)に「倝」から形成されていることに端を発する。岩波書店の新漢語辞典(山口明穂竹田晃編)にも龺部として見られる。
  95. ^ 『早稲田大学百年史』第2巻 第4編 第3章 3 祝賀行列、2019年11月22日閲覧。
  96. ^ 『校歌「都の西北」と私』:旧字旧仮名 - 青空文庫
  97. ^ 蘭汀書院編 『学校歌集』 奉公会、1910年、30-31頁
  98. ^ 木村毅 『都の西北─早慶野球戦を中心に』 ベースボール・マガジン社、1978年、217頁
  99. ^ 「紺碧の空」早大応援部に推薦!歌手・伊藤久男のいとこ立役者”. 福島民友 (2020年5月22日). 2020年5月27日閲覧。
  100. ^ 早稲田のマスコット"WASEDA BEAR"女性版 名称募集が保留に −ジェンダー的視点からの反対意見に配慮− ハフィントン・ポスト
  101. ^ グッズも豊富!早稲田大学にいるかわいいゆるキャラ4選 マイナビ
  102. ^ わーおくんの部屋 早稲田大学応援部
  103. ^ 2015年度前期(春学期) 早稲田大学外国人学生在籍数(2015年5月1日現在) (PDF) 早稲田大学留学センター
  104. ^ 留学生受入れ数の多い大学(平成26年5月1日時点の在籍者数) 独立行政法人日本学生支援機構
  105. ^ a b 「国際化拠点整備事業(グローバル30)」―『拠点大学の概要及び採択理由』 (PDF, 文部科学省)
  106. ^ 『現代アジア学の創生-COEプログラム』
  107. ^ 商学研究科ビジネス専攻、ファイナンス研究科に在学中の方へ
  108. ^ a b 『2006年度入学予定のみなさまへ』”. 早稲田大学. 2017年3月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年3月5日閲覧。
  109. ^ 「日本の図書館 統計と名簿」(日本図書館協会)
  110. ^ 早稲田大学エクステンションセンター 八丁堀校 QuonNet
  111. ^ 【大学で学ぼう】早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校 廃校になった小学校の校舎を活用 夕刊フジ
  112. ^ 『20世紀日本人名事典』、大日本印刷ホームページ
  113. ^ 2014年度公認サークル一覧
  114. ^ サークルについて
  115. ^ 公認サークルになるには?
  116. ^ 学生生活調査2007
  117. ^ 早稲田祭公式アカウント - twitter 2016年12月7日(2017年1月7日閲覧)
  118. ^ 早大生なら知っておきたい!「Waseda net portal」活用術 マイナビ 学生の窓口
  119. ^ デルタ航空、早稲田大学の米国留学生に航空券を提供 traicy
  120. ^ 「地元商店街から苦情 学生の負傷もふえる」『朝日新聞』昭和48年(1973年)6月5日朝刊、13版、3面
  121. ^ 早稲田大学が医師会を発足、医師会員は94人日経BP
  122. ^ 大学史資料センター
  123. ^ 稲門人が残した足跡
  124. ^ NHK戦争証言アーカイヴスチャプター5〜出陣の早大生壮行会<皇国民今ぞ蹶起の秋>
  125. ^ 早稲田大学台湾北部校友会が台北帝国大学幣原総長と午餐会や幣原総長が発起人となり高田総長歓迎会を開催している。
  126. ^ 学校法人名が「早稲田大阪学園」に変更されました - 早稲田摂陵中学校・高等学校 2012年4月2日
  127. ^ 摂陵中学校・摂陵高等学校と学校法人早稲田大学 との提携調印に伴う校名変更について Archived 2008年12月2日, at the Wayback Machine.
  128. ^ a b 中学校・高等学校の新規系属校化について - 早稲田大学プレスリリース 2008年6月7日
  129. ^ 佐賀県:早稲田佐賀中学校・高等学校(仮称)の系属校化が決定しました Archived 2008年11月2日, at the Wayback Machine.
  130. ^ 唐津に「早稲田佐賀中・高校」2010年開校 - 『佐賀新聞』2008年06月07日
  131. ^ 大隈重信の最初の妻が江副廉蔵の姉美登であり、廉蔵は大隈と親交が厚かった。学園は江副家が引き継いでいる。
  132. ^ 早大と協定 政策立案活性化 /埼玉 毎日新聞
  133. ^ 熱海の魅力を探る 早大院生が報告会 静岡 毎日新聞
  134. ^ 北九州学術研究都市 学研都市について 北九州学術研究都市概要
  135. ^ 北九州学術研究都市 大学・研究機関・企業
  136. ^ 九州工業大学大学院生命体工学研究科に連携講座ヒューマンメカトロニクスを開設- 安川電機
  137. ^ 国立大学法人 九州工業大学 大学院 生命体工学研究科 構成
  138. ^ 国際交流 早稲田大学
  139. ^ 早稲田大学インキュベーション推進室について(2018年11月13日閲覧)。
  140. ^ 早稲田大学とベンチャーキャピタル2社が提携契約を締結(2018年11月13日閲覧)。
  141. ^ 早稲田大学、ワイヤレス充電型電動バス「WEB-3 Advanced」の公道実証実験を開始
  142. ^ 無線給電ができる電動バス、走行実験開始 日本経済新聞
  143. ^ 早大と約40社が「ネガワット取引市場」創設で経産省と連携 日経BP
  144. ^ 学校法人早稲田大学がSAP University Alliancesに加盟、 研究・授業利用の目的でSAPソリューションを活用|BtoBプラットフォーム 業界チャネル” (日本語). BtoBプラットフォーム 業界チャネル. 2019年12月6日閲覧。
  145. ^ 【THE PAGE】2015年11月03日付 「<STAP細胞問題>小保方氏の博士論文取り消し でも早稲田大学の責任は?」
  146. ^ 『毎日新聞』(2004年4月24日)2017年4月18日国立国会図書館で閲覧。
  147. ^ 三四郎池(育徳園心字池)
  148. ^ 情報学環・福武ホール
  149. ^ 京都大学ホームページ 2020年6月24日閲覧
  150. ^ 日本文化学のグローバル化を目指しUCLAと連携 「柳井正イニシアティブ」を発足します 早稲田大学
  151. ^ 柳井FR社長が母校早稲田に3億円寄付、「国際青年交流センター」構想の実現目指す WWDjapan.com





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「早稲田大学」の関連用語

早稲田大学のお隣キーワード

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   
検索ランキング



早稲田大学のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの早稲田大学 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2020 Weblio RSS