投資信託 日本における投資信託の歩み

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投資信託

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 16:06 UTC 版)

日本における投資信託の歩み

太平洋戦争と財閥解体

1937年7月、藤本ビルブローカーが藤本有価証券組合を結成した。組合員が運営することが難しいので藤本証券が世話役を買ったところ、信託類似の行為であるとして業界と政府当局の反対により打ち切られた。1940年6月25日、大蔵省は寛大な指令を出した。「今後は信託会社と連携し、委託者の募集の斡旋、信託会社の証券投資事務の範囲内において、ユニット・トラストの形における投資信託に関与することは差し支えなし」というので、野村証券が認可を求めたところ1941年11月13日大蔵省が認可した。野村投信は太平洋戦争緒戦の戦果による株価高騰で含み益を得た。

1942年9月、藤本、山一、小池川島屋共同の5社が、合弁で創設した日本投資信託(1950年から東京信託銀行)を特定金銭信託の受託者として、一斉に投資信託業務をスタートした。1943年まで順調に毎月募集された。

1944年4月設定分からは、国民貯蓄組合の斡旋する貯蓄の対象となって、1ユニットにつき元本一万円までは収益が非課税とされたので、募集額が飛躍的に増大した。これらクローズド型ファンドは、軍需産業をはじめ外地の会社の証券にも投資をしていたので、敗戦にともない大打撃を受けた。逆コースで株式市況が立ち直ると、各社とも朝鮮戦争勃発までに全額償還した[24]

野村の投信は戦時投資信託設定総額の47%を占め、二位の山一のほぼ2倍であった。組み入れ証券のうち、国債は額面100円に市場価格は75円程度、株式には時価不明のもの、許可なしでは処分できない外地会社・制限会社もあり、社債もほとんど市場性がない閉鎖機関・企業再建整備会社の発行社債であり、顧客と損失補填を契約していたこともあって償還は延期されていた[25]

1951年6月、証券投資信託法が施行された。この制度は財閥解体による株式の肩代わり機関として始まった[15]奥村綱雄GHQ経済科学局のアリソン次官を黙認させ、法案審議では池田勇人蔵相が必要性を強弁していた[26]。施行後すぐ野村、日興、山一、大和の4社が登録した[27]。大阪屋証券(現・岩井コスモ証券)と大井証券(現・新光証券)が7月と9月に登録した[27]。彼らが募集したのは単位型であったが、無記名式を新たに採用し、買い取りと一部解約を制度化し、契約から資産構成を解放し、戦前の損失補填特約を廃した[27]池田・ロバートソン会談のときにデフレ政策がとられて株価が大きく下がり、1955年まで運用成績は低迷した[27]。すでに設定されていた追加型は1956年1月から信託期間が無期限となった[27]

証券不況と国際投信

1958年、7証券会社が投信業務の免許を得て、証券会社の兼営による委託会社は14社となった[28]。翌1959年、大手証券4社が新委託会社を設立し、兼営という利益相反問題に応じた[28]。昭和30年代には好景気を背景に株式投信が人気を呼び、増加する資金が株式を需要し株価を上昇させるという循環がみられた。

1961年1月には日興証券と庭山慶一郎の発案で公社債投信が大衆向けに発売された[28]。4月に公社債発行条件が引き下げられると、ファンドは利回りを確保するため新発債の組み入れ比率を80%から50%に下げた[28]。7月には公定歩合が引き上げられ、公社債投信は解約が増加した[28]。組み入れ公社債は証券会社が引取った[28]。1963年に当時大蔵大臣だった田中角栄も公社債投信を支援した。同年株式投信の残存元本は1955年比で20倍の1.17兆円となっていた[28]。時代人は「池の中のメダカが鯨になった」というたとえを残している。ある証券会社の支店は懸垂幕で「銀行よさようなら、証券よこんにちは」なる文句を掲げた[29]。やがて流動性を失った公社債が引き金となり証券不況が起こった[28]

1967年8月、投信法改正でファミリーファンドの根拠となる「みなす投資信託」が認められた。ファミリーファンドは子投信を消費者に販売して、その資金で親投信を買うという仕組みである。FOFがトップダウンの投信ピラミッドならば、このファミリーファンドは逆にボトムアップのそれであった。ユーロクリアの設立された1968年には単位型・追加型投信がともに元本額を回復した[30]

1969年2月、野村証券とN・M・ロスチャイルド&サンズメリルリンチが共同出資で、いわゆる太平洋ファンド(Pacific Seaboard Fund)を設立した。この純資産額は3200万ドルで、日本株ほか太平洋沿岸諸国の銘柄が1800万ドルを占めた。3月、東京バロールというルクセンブルクの日本株専門投信が設立された(純資産額2100万ドル、全額日本株投資)。4月、金利平衡税が従来の18.75%から11.25%に引き下げられた。これとニューヨーク株式市場の不振と見通しの悪さから、5月からミューチュアル・ファンドが日本の証券市場に買出動してきた。キーストン・カストディアン(Keystone Custodian Funds, Inc.)やドレフュス・ファンド(Dreyfus Fund)、そしてフィデリティ・インベストメンツが日本株を組み入れ注目されたのである。9月、ドレフュス・ファンド(純資産24億ドル)が1億ドルを日本株へ一挙に投下してきた。翌1970年1月、連邦準備制度が日本株式投資に対するガイドラインを強化した[31]

太平洋ファンドの投資顧問は、少なくとも日仏投信(1964年3月設定)と野村証券(1969年1月10日大蔵省認可)である。

当時、外人投資の中心は欧州の投信であった。彼らは日本の比較的かぎられた優良株・成長株に集中投資をして、ユーロクリア創立以降の市場価格形成において完全に主導権をとった。こうして株価収益率概念が日本市場に定着した[32]

資本自由化による機関化

1970年2月以降、佐藤政権下で日本株価の堅調を見た国際投信による買い越しが続いた。4月30日、バーナード・コーンフェルド率いるIOSの経営危機をきっかけとして海外投資家による大量売りがおこった(いわゆるIOSショック)。世界的に株価暴落、日経平均株価も8.7%下げた[33]。日本は外国人による政府短期証券の取得を禁じ、また非居住者による非上場公社債・公社債投信の取得も禁じ(1971年)、もっとすすんで外国人が対日証券投資を純増できなくした(1972年)[32]。しかし投信は解約にめげるどころか資本自由化を迫ってきた。日本側の措置は1973-4年を通して全廃された[32]

1971年5月4日、野村投信委託が日本初の国際投信(国際合同投信)を150億円で設定した[34]。この投資顧問は、ドレフュスとモルガン・グレンフェル(現ドイツ銀行)であった[34]オイルショックの1972年11月、外国投信の国内販売が自由化された[30]。翌1973年からファミリーファンドは設定額を次第に減らした[30]。1973年1月29日には大和証券がドレフュス・ファンドを日本国内で販売開始した[34]。1976年1月、ファミリーファンドは無期限だった信託期間を有期に改めるなどの改善策がとられた[30]。翌1977年には株式投信の57%を占めた[30]。新商品も開発の主軸が単位型から追加型へ移っていった[30]

1980年に発売された中期国債ファンドが、一ヶ月据え置き後出し入れ自由[注釈 16]、銀行預金を上回る実質金利で一ヶ月複利などの商品性を持つことから人気商品となった。証券会社は預金類似商品の開発などにより投資信託の大衆化を図った。組み入れ証券は傾向が1970年代とさして変わらず、供給量を直接取引が抑えてくれいてた一流企業の株式や公社債であった。このような官民癒着に外資が便乗した。

1985年、住友銀行が買収したゴッタルド銀行(Gotthard-Bank)が、イトマン発行外債の主幹事をやるということで銀証分離が骨抜きにされた[35]。この同年4月には日本電信電話日本たばこ産業が民営化され、株式は即座に機関化された。5月21日、長期信用銀行第一証券ベアリングス銀行の三社が日本の機関投資家対象の投資顧問業について全面提携することで合意した[34]。1986年12月、東京がオフショア市場として開放された。そしてリクルート事件が日本の機関化を正当化した。

住専とREIT、そして年金

もはや募集・運用主体においても組み入れ証券においても、日本だけに的を絞って研究することが難しくなった。

バブル景気には株式投信が著しく増加を示し、1989年には58兆円(公社債投信含む)に上った。株式投信は為替差損を避けがたかったので基準価額は低迷し、多くの投資家が損失をこうむった。バブルが崩壊した1991年頃から公社債投信がじわりと増加し始めた。一部のアナリストや学者がサブプライム・ローンを論じたこともあり、投資信託の選択の難しさは評価会社へのニーズにつながった。そこで1996年、藤沢久美によって日本初の投資信託評価会社アイフィス(1999年にスタンダード&プアーズ社に売却)が設立された。少し立ち止まり、増加していた公社債投信の組み入れ証券は何か、一部の日本人がサブプライム・ローンに関心を寄せていたのはなぜか、という問いを立ててみよう。これに大切な示唆を与えてくれるのが1996年6月に破綻した住宅金融専門会社である。ノンバンクとしての資金調達は、自らが保有する不動産担保証券を、外国投資顧問が十年前から参入している信託銀行に信託し、オープンエンド化した信託受益権を機関投資家に販売することによって行っていた。

1997年に系列の証券会社や投信運用会社が銀行の一部スペースを借りて販売窓口となる形(店舗貸し方式)で投資信託の販売が解禁された(金融ビッグバン[注釈 17]。1998年12月から銀行窓口での投資信託販売が解禁された。これを皮切りに、銀行生命保険損害保険会社、信用金庫、信用組合、農業協同組合郵便局などが参入し、販売競争が激化している[注釈 18]。やがて、ゼロ金利政策で預貯金ではきわめてわずかの利息収入しか得られないこと、2002年の定期性預金についてのペイオフ解禁、2005年の全面解禁により、大口預金者が毎月分配型投資信託に注目するようになった。2007年、日本郵政公社が民営化にともない機関化された。野村総合研究所のファンドマークによると、2008-9年世界金融危機で日本の投信は海外不動産投資信託の組み入れ額を2兆円から1兆円に下げたが、そのあとは単純増加傾向で2011年に5兆円、2015年に8兆円も組み入れている。

2012年LIBOR不正操作事件においては、投信手数料がLIBORに連動する上場投資信託が存在した。これを特に教訓とすることなく、日銀は国際証券集中保管機関と上場投資信託の普及をねらっている。2012年には多くの厚生年金基金が解散に追い込まれたので、代わりに確定拠出年金が投信の売り込み先となっている。


注釈

  1. ^ 集団投資スキーム(collective investment scheme)は二項有価証券という、第一項証券とは別物に分類される。投資事業組合や、ファンドないし投資ファンドも多くの場合第二項有価証券である。
  2. ^ リスクとリターンの程度を標準化した尺度の一つに、経済学ノーベル賞を受けたウィリアム・フォーサイス・シャープの開発したシャープ・レシオがある。これは、期待されるリターンから無リスク資産の利回りをマイナスし、引き受けているリスク(標準偏差)で割ったものであり、正で大きな値をもつものほど、運用が効率的であることになる。また、分母をベータリスクとするとトレイナーの測度となる。投資信託の場合、評価指数はシャープ・レシオが使われるケースが多い。
  3. ^ NAV、Net Asset Value、よく価格と誤記される。基準価額は、ファンドに組み入れられている株式や債券などの資産の時価総額を合計した純資産総額(資産-負債)を投資信託の受益権総口数で割り計算される一種の指数であり、純資産に連動しているが、後述のように分配金を配当すれば基準価格は下落し、収益を内部留保すれば上昇するものであり、「高基準価格=成績の良いファンド」と言う判断にはそぐわない。1口1円で設定された投資信託は、1万口あたりで公表されている。追加型投資信託の基準価額については、運用会社・販売会社のウェブサイトや窓口に掲示されている他、日本経済新聞朝刊(1/1-1/4と祝祭日の翌日を除く火-土曜)に全銘柄が、大手全国紙朝刊では一部銘柄が掲載されている。運用会社のサイトでは、一番情報が早く得られ、その日の内に当日の基準価額を知ることが出来る。単位型投資信託の基準価額については、購入した販売窓口(証券会社など)に問い合わせが必要である。
  4. ^ たとえば、基準価額が2万円で1:2の受益権の再分割を行った場合、基準価額が1万円になり保有口数は2倍になる。
  5. ^ ファンドの受益権の発生、消滅、移転をコンピュータシステムにて管理する
  6. ^ 投信購入時に一定割合(1~5%程度)の手数料があらかじめ徴収され、実質的に元金が目減りした状態で始まる制度
  7. ^ 投資にかかわる情報の迅速な入手およびその解析・対応行動に必要な手間隙を肩代わりしてくれる。
  8. ^ 個別株式では原則として売買単位株数が決められており、例えば時価310円の株でも1,000株が売買単位なら31万円ないと投資できない[4]が、オープン型の投資信託では端数の口数を購入(売却)可能で、例えば基準価格が1,200円なら1万円で8.333口、基準価格が1,250円に値上がりしたら同じく1万円で8口,、1,500円なら1万円で6.667口というように柔軟に購入でき、比較的小額の一定金額を定期的に拠出する長期の積立型貯蓄・投資に適しており[5]ドル・コスト平均法による危険低減とも相性が良い。さらに、個人の零細な資金では、単位株数程度を頻繁に売り買いすると証券会社の売買手数料負担が馬鹿にならなくなってくるが、投資信託ではものによっては数十万人の投資家から巨額の資金を集めて大きな単位で投資を行うので、相対的に費用が少なくてすむ。
  9. ^ 日本で上場されていない外国会社の株式などを購入するには原則としてその会社が上場している国の証券会社などに口座を持たねばならない。その口座開設のための手間や資格(居住者・非居住者など)、送金、税務処理等一切をプロへ一任できる。勉強・資金・費用・危険などの負担がなくなるだけでなく、分散投資にもなる。
  10. ^ 個別株式などが買った1分後に売れるのとは異なり、オープン型の投資信託でも毎日市場終了後に計算されるその日の基準価格が決定されるまで売買できない。また、多くのオープンエンド型ファンドでは最低保有日数(例えば30日)を定めており、これより少ない期間で売却すると罰金を課せられる。これは、短期間の売買を繰り替えされると、その支払いのための現金を常に確保しておかねばならず、多くの投資家から資金を集めて投資するという本来の目的が損なわれ、またその手続きの費用が投資資金から支払われるために投資資金が無意味に目減りして行くのを防止するためである。
  11. ^ 世の中に「タダめし(free lunch)」は存在せず、金融機関は販売手数料が入るから投資信託を販売し、運営会社・ファンドマネージャは信託報酬が入るから投資信託を運営・運用することは明らかで、これらの費用の源泉は投資家の拠出する投資資金である。投資家は、投資信託の購入に当たって、すべての商品購入と同様、その効果と費用・価格を比べて判断しなければならない。
  12. ^ 通常、投資信託を購入するのは、投資を本業としない一般大衆投資家や年金組合などの団体である(投資家の年齢や投資スタイルを基にして、個別銘柄ではなく推奨する複数の投資信託の組み合わせに投資する「投資信託の投資信託(Fund of Funds)」すなわち「複数の投資信託を組み合わせた定食型投資信託」も存在する[6])が、「プロのファンドマネージャに信託するのだから高収益だろう」と言う期待に反して、例えば市場の状況を分析するための種々のインデックスがあるが、インデックスを上回る高収益を出している投資信託はまれであり、むしろ多くの投資信託はインデックスに届かない収益しか実現できていない[7]。これは過去から証券取引委員会が指摘している事実だが、投信業界は個人投資家の運用成績と比べるべきだと反論している。
  13. ^ 危険分散とは、色々な方面に分散して投資することであり、その中の一つの投資先が大儲けになっても、他の投資先が追従しなければ全体としてその大儲けは薄まってしまうことは明らかであり、その逆に大損も薄めるのが危険分散の目的であるから当然である。
  14. ^ 一般に投資に初心者が投資を始めるときは長期の投資、例えば優良株を買って数年から10年単位で保有することを勧められる。しかし投資信託で働くプロの投資家(ファンドマネージャ)はこれができない。「信託報酬だけ受け取って何もしないでいる」という潜在的または顕在的な批判を避けるため、ファンドマネージャ(運用責任者)はデイトレーディングのような投機的売買を実行する傾向があると言われる。投資対象の売買に関わる費用は投資家から集めた運用資金から拠出され、結果的にその投資信託の基準価格を押し下げる。投資信託の中には、積極的な(短期売買が多い)運用を表明する「アクティブ型」と消極的運用(長期保有傾向)を表明する「パッシブ型」を標榜するものがあり、一見「アクティブ型」の方が高収益を期待できるように感じられるが、実態は同じ分野の投資先を持つ投資信託を比べるとパッシブ型の方が結果的に高収益である例が少なくない(アクティブ型の方が信託報酬も高めの傾向がある)[8]
  15. ^ 広義の投資ファンドには投資事業組合をふくむが、ヘルマン博士がそれを発明したのである。現在、任意組合リミテッド・パートナーシップなどいくつかの形態が存する。
  16. ^ 正確には30日未満の解約には信託財産留保金が必要
  17. ^ 従来、投資信託は、リスク商品の取り扱いを禁じられていた銀行生命保険会社では販売が認められず、事実上証券会社の専売特許であった。
  18. ^ もっとも、投資信託ではないが商品性が投資信託に似た商品(変額保険変額年金保険など)を扱う日本生命のように、投信販売の取り扱いを中止する企業も現れている。
  19. ^ 2006年7月の純資産増加ランキングのうち、毎月分配型が8本、年6回配当型が2本入っている

出典

  1. ^ 金融広報中央委員会 - 投資信託とは、2008年5月11日閲覧。
  2. ^ 日本経済新聞 なぜ投信だけが購入時手数料を払うのか 2012年2月26日記事 2014年1月10日閲覧
  3. ^ インデックス投資でラクラク投資信託生活 銀行は信用するなという話 2014年1月9日閲覧
  4. ^ 株初心者のためのやさしい用語集 売買単位とは(ばいばいたんい) 2014年1月9日閲覧
  5. ^ 日本経済新聞 投信積み立てのメリット8カ条 2012年4月29日記事 2014年1月9日閲覧
  6. ^ 日本経済新聞 「幕の内弁当」バランス型投信でお任せ投資もアリ 2014年1月15日閲覧
  7. ^ インデックス投資でラクラク投資信託生活 市場平均に勝ち続けることは難しい 2014年1月9日閲覧
  8. ^ 日本経済新聞 投信が売買し過ぎていないか、チェックしよう 2013年4月7日記事 2014年1月10日閲覧
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  10. ^ 投信に学ぶ タダでも喜んではいけない費用あり 投資教育アドバイザー 大江英樹 2014年11月25日 2014年11月25日閲覧
  11. ^ 投信の落とし穴 「分配金=もうけ」とは限らない、2012年12月15日記事、2014年1月3日閲覧
  12. ^ インデックス投資でラクラク投資信託生活 毎月分配型投資信託の落とし穴 2014年1月9日閲覧
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  16. ^ 代田純 『ロンドンの機関投資家と証券市場』 法律文化社 1995年 112、118頁
  17. ^ 杉田浩治 米国投信4分の3世紀の歴史から何を学ぶか 日本証券経済研究所 p.3. 図表1
  18. ^ 杉田浩治 発足から満60年を迎える日本の投資信託 日本証券経済研究所 平成23年5月28日 p.3. 図表1
  19. ^ 福光寛『公社債投資信託の元本割れをめぐって』(非売品)成城大学経済研究所〈成城大学経済研究所研究報告〉、2002年http://id.nii.ac.jp/1109/00002874/  CRID 1130282273240154496全国書誌番号:22147679
  20. ^ 井上武 世界第二の規模を誇るフランス投資信託市場 資本市場クォータリー 2008年4月
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