信楽焼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 00:40 UTC 版)
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信楽は、付近の丘陵から良質の陶土がでる土地柄である[1]。長い歴史と文化に支えられ、伝統的な技術によって今日に伝えられて、日本六古窯のひとつに数えられている。信楽特有の土味を発揮して、登窯、窖窯の焼成によって得られる温かみのある火色(緋色)の発色と自然釉によるビードロ釉と焦げの味わいに特色づけられ、土と炎が織りなす芸術として“わび・さび”の趣を今に伝えている。信楽の土は、耐火性に富み、可塑性とともに腰が強いといわれ、「大物づくり」に適し、かつ「小物づくり」においても細工しやすい粘性であり、多種多様のバラエティーに富んだ信楽焼が開発されている。
鎌倉時代後期、常滑焼の技術が伝わり[2]、窖窯(あながま)、によって壺、甕、擂鉢などの焼き物づくりが始められ、日本独自の陶器産地としての歴史が展開してきた。
素朴さのなかに、日本人の風情を表現したものとして、室町・桃山時代以降、茶道の隆盛とともに「茶陶信楽」として茶人をはじめとする文化人に親しまれ、珍重されてきたのもその所以である。
江戸時代には、商業の発達にともない、茶壺をはじめ、土鍋、徳利、水甕などの日常雑器が大量に生産され、幕末には陶器製灯明具の一大産地であった。将軍に献上する新茶の茶壷に使われ、大名にも重宝された[3]。明治期には、新しく開発された「なまこ釉」を使った火鉢生産がはじまった。その他、神仏器や酒器などの小物陶器や壺、などの大物陶器も生産され、質量ともに大きな発展を遂げた。
昭和に入り、第二次世界大戦末期には金属不足から陶器製品の需要の高まりとともに、火鉢の全国シェアの80%を占めた[4]。1949年には約300軒の窯元により年間2億円の生産を記録した。しかし1950年代に入ると火鉢が各家庭に行き渡った[5]こと、さらに1970年代にかけて、高度経済成長による生活水準の向上により、電気や石油暖房器具の開発・普及が進み、生活様式の変貌にともない火鉢の需要は減退に見舞われる。しかし、「なまこ釉」を取り入れた、高級盆栽鉢や観葉鉢を生み出すなど品種転換、生産主力の変更に成功する。
信楽焼について、滋賀県工業技術総合センター信楽窯業技術試験場の川澄一司試験場長は「時代ごとに需要を見きわめ、過去の名にしがみつかない。しぶとさが強みです」と話す。
たとえば江戸時代の信楽は茶壺や神具・仏具で知られた。明治に入ると火鉢が主力に。養蚕の盛んだった時代には「糸取鍋」。駅弁の全盛期には「汽車土瓶」。戦争中は陶製の手投げ弾や地雷も製造している[6]。
現在では、日用陶器のほか建築用タイル、陶板、タヌキやフクロウなどの置物、傘立て、庭園陶器、衛生陶器など、大物から小物に至るまで信楽焼独特の「わび」「さび」を残しながら、需要に対応した技術開発が行われ、生活に根ざした陶器が今日も造られている。
他方で、女性陶芸家の草分けとされる神山清子によって、釉薬を用いない自然釉の信楽焼(古信楽)の復元も試みられ、1970年代に成功した。[7]
1976年(昭和51年)に国から伝統的工芸品の指定を受けている。
2007年(平成19年)に丸又窯・丸由窯の登り窯が経済産業省の近代化産業遺産に認定され[8]、2011年(平成23年)に7つの遺跡が滋賀県史跡に認定された。
2017年(平成29年)、信楽焼は越前焼(福井県越前町)、瀬戸焼(愛知県瀬戸市)、常滑焼(愛知県常滑市)、丹波立杭焼(兵庫県丹波篠山市)、備前焼(岡山県備前市)とともに、日本六古窯として日本遺産に認定された[9](日本六古窯 公式Webサイト)。
- ^ “信楽”. 六古窯日本遺産活用協議会. 2019年6月26日閲覧。
- ^ 甲賀市史 第8巻 甲賀市事典. 甲賀市. (2016年12月12日). pp. 390-393
- ^ “他抜く愛敬 名陶の里 信楽高原鉄道”. 朝日新聞社DIGITAL. 2019年7月5日閲覧。
- ^ “信楽陶器”. 滋賀県 (2008年8月19日). 2013年9月28日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2013年9月25日閲覧。
- ^ 「信楽焼二割安 生産も昨年の約七割」『日本経済新聞』昭和25年12月8日3面
- ^ 朝日新聞2019年10月28日朝刊、天声人語
- ^ 朝ドラ『スカーレット』の原点。信楽の火と土が、ここまで私を生かしてくれた〈神山清子の半生・後編〉 婦人公論 2019年11月15日、2019年12月15日閲覧
- ^ 近代化産業遺産群33. 経済産業省. (2007)
- ^ 衛藤達生; 金澤恵子 (2017年1月29日). “日本遺産認定、県内から2件 忍びの里、甲賀・三重県伊賀 きっと恋する六古窯、甲賀など6市町 /滋賀”. 毎日新聞 2017年4月29日 地方版 2019年6月26日閲覧。
- ^ 信楽の都市創造性と社会デザイン:自然と都市と市民知に関する文化編集分析. 大阪市立大学 都市研究プラザ. (2014-12-25). p. 18 2019年7月5日閲覧。
- ^ おいでやす狸楽巣、信楽町長野・新宮神社・昭和天皇の歌碑
- ^ 朝日新聞2019年10月28日朝刊、天声人語
- ^ 信楽豆知識、ほっとする信楽、信楽町観光協会
- ^ “信楽巨大タヌキ、魔女に化ける…帽子に紫のマント”. 読売新聞 (2019年10月19日). 2019年10月19日閲覧。
- ^ 朝日新聞2019年10月28日朝刊、天声人語
- ^ “信楽たぬきの日”. 信楽町観光協会 (2019年). 2020年7月3日閲覧。
- 1 信楽焼とは
- 2 信楽焼の概要
- 3 特徴
- 4 文化財、関連施設
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