インダストリアル・デザイン
インダストリアルデザイン
産業デザインまたは工業デザイン。略称IDともいう。この言葉と実務は1910年代にアメリカで生まれた。当時確立されつつあった大量生産、大量販売の方式を有効に働かせて、生産を販売にうまく結び付けるには、消費者の要望を反映させた製品づくりが求められた。このため従来の技術者に代わって、製品の色彩や形態、機能や使い勝手、生産性や市場性などを総合的に調整してデザインする仕事が求められ、その実績が築かれてきた。そして第2次世界大戦後IDは世界各地に広まっていき、現在の豊かな社会と生活の実現に貢献している。自動車デザインもその一分野である。産業界での創造活動をインダストリアルアートと表現する場合もある。
インダストリアルデザイン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/08 22:24 UTC 版)
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インダストリアルデザイン(英: industrial design)は「工業デザイン」または「工業意匠」とも呼ばれ、産業分野における工業製品の設計や造形を担うデザイン分野である。
概要
18世紀末に、イギリスで起きたいわゆる産業革命によって、クラフト的伝統を受け継ぐ「応用美術」や「趣味」といった意味としての「デザイン」と明確に使い分けられるようになった。機械生産による大量生産・大量消費社会への転換を背景に生まれ、1930年代中頃に「画家」「技師」「市場調査員」といった総合的な特徴を持ち合わせた職能を近代的「工業デザイナー」とする国際的コンセンサスが形成された。
「デザイナーという用語は十九世紀を通じて曖昧模糊とした霧に包まれていた。その仕事の割り切った説明をすれば美術家、建築家、工匠のものであり、また技師、発明家、方法論者」がインダストリアルデザインを担うデザイナーの姿であるといえる[1]。
歴史
「インダストリアルデザイン」という語は、1920年代のアメリカで使われ始めたといわれる。もともとは設計と意匠形状の設計は技術者が共に手掛けていた。レイモンド・ローウィらの活動により1920年代末から1930年代には、デザインの優劣が製品の売り上げさえ左右することが次第に認識されるようになった。インダストリアルデザイナーは大量生産・大量消費の時代を迎え、短期間のモデルチェンジなど、市場の倫理や要望を消化し反映するという必要から出現した職業である。当初は美術家、建築家、工芸家などが顧客である企業の委託を受け、プロジェクト単位で関わることもあった。
「アメリカが工業デザイナーを生み出したのは、製造というよりはむしろ販売を目的としてであって、それに絡む商品は、もはや『応用、あるいは装飾芸術』と全体的に呼べないものであった。第一次大戦数年後のアメリカ合衆国の勢いは新産業にねざしており、いわば製品自体の存在価値が科学と工学の進歩にもっぱら依存していた。」「企業はデザイナーを美容師のように考えている。ある会社が開発したペンを見せられて、デザイナーが出来ることといえば『色を黒にして、赤のラインを回しなさい』ということぐらいである。(ポルシェのデザイナー)」一方で、「デザイナーはいまも人間工学や製品の美的な質であれ、社会的、心理的充足であれ、文化的な豊かさに影響するという面で、数々の方法によって生活の質的向上に貢献できるユニークな位置にいる」のである。[1]
自動車産業における呼称
自動車産業では、英語圏における呼び名「stylist」または「styling designer」を使用する事が世界的に共通化しつつある。これは英語圏においては、開発推進設計者を「engineer」、設計担当を「designer」、意匠開発を「stylist」としており、国際間の開発協力の中で誤解を防ぐためである。
脚注
関連項目
- 日本インダストリアルデザイナー協会 - 1952年に創立した全国組織の工業デザイナーの協会。通称:JIDA。
- インダストリアルデザイナー
- グッドデザイン賞 - 1957年に旧通商産業省が開始した工業デザインの賞
- iFデザイン賞 - 優れた工業デザインを選定
- レッド・ドット・デザイン賞 - ノルトライン・ヴェストファーレン・デザインセンターが選定を行っているデザイン賞
- アールデコ
- バウハウス
- インタラクションデザイン
- ユーザインタフェース設計
インダストリアル・デザイン
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「岡本太郎」の記事における「インダストリアル・デザイン」の解説
宇宙人東京に現わる(映画、1956年)- 宇宙人のデザインを担当。 近畿日本鉄道 ラビットカー(近鉄6800系電車など)シンボルマーク「ラビットマーク」(1957年)- 日本で初めての高加減速車両のマーク。当時は鉄道関連のマークに著名画家を採用する例は極めて少なかった。 近鉄バファロー球団シンボルマーク(1959年)- 近鉄物流のマークとしても使われた。 映画タイトルロゴ「母」(1963年)- 新藤兼人監督作品。東宝配給。 映画タイトルロゴ「鬼婆」(1964年)- 新藤兼人監督作品。東宝配給。 東京オリンピック参加メダル (1964年) 卓上ライター《火の接吻》(1969年) オリエンタル中村(現・名古屋三越 栄店)光るレリーフ大壁画のデザインを用いた包装紙(1971年) 札幌オリンピック記念メダル(ブロンズ、1972年) TAROきもの(和服デザイン、1975年)- 京都じゅらくより発売。 ウィスキー・グラス《顔》(1976年)- キリンシーグラムよりノベルティとして3月と9月に2種類頒布。 ピッチャー《水差し男爵》(ガラス、1977年)- キリンシーグラムのノベルティ。 ティーセット《夢の鳥》(磁器、1977年)- 三郷陶器より発売。 トランプ(1977年)- 講談社より発売。 第23回 国際眼科学会シンボルマーク(1978年)- 同学会の記念切手のデザインも手がける。 アイスペール《まつげ》(ガラス、1978年)- キリンシーグラムのノヴェルティ。付属のトングのデザインも手がける。 ペーパーナイフ《いのち》(ステンレス、1979年)- 慶應義塾大学の第121回卒業記念品(非売品)。製造は株式会社青芳製作所。 《お好み手皿》(ガラス、1979年) - キリンシーグラムのノベルティ。 《TARO鯉》(鯉のぼり、1981年)- 「東レ」と、こいのぼりの老舗「太郎鯉」との共同企画。 ネクタイ(1982年)-「菱屋」から発売。 電電公社 テレホンカード(1982年12月)-テレホンカード第1号をデザイン。 《人間ボトル》(陶、1985年)- キリンシーグラム製ブランデー『シャトラン』と、モルトウィスキー『エンブレム』の2種類の洋酒ボトル・デザイン。つくば万博記念発売。 レコードジャケット・デザイン(1985年)- 8月6日の広島平和コンサート開催記念頒布盤(非売品) 腕時計デザイン(EXCEED、1986年)- シチズン時計の製品。岡本は同社のCMにも出演。 JR発足記念メダル《出発》(1987年)- 銀製、銅製の2種類。 映画タイトルロゴ「神々の履歴書」(1988年)- 前田憲二監督作品。「神々の履歴書製作委員会」配給。 西日本鉄道 夜行高速バス車両 ・車体デザイン。 (「どんたく号」・「はかた号」等、1989年) エキスポランド入場券の絵(年不明)
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