1~10世紀
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 02:42 UTC 版)
1世紀 — ヘロンが負の数の平方根に関する最初の言及を行う。 3世紀頃 — アレクサンドリアのプトレマイオスがアルマゲストを著す。 250年 — ディオファントスが未知数に対して与える記号を使用し、「算術」を著す。この書籍は代数学に関する初期の論文の一つである。 263年 — 劉徽が円周率πに対して割円術(中国語版)(取り尽くし法を用いた円周率計算法)を使用する。 300年 — インド数学において、10進法の計量数としての0の初期の導入が行われる。 300年~500年 — 中国の剰余定理が孫子により発見される。 300年~500年 — そろばんの計算法の記述が孫子により行われる。 340年頃 — アレクサンドリアのパップスが自身のパップスの定理(英語版)やパップス=ギュルダンの定理を自著に記す。 400年頃 — バクシャーリー写本がジャイナ教の数学者により著される。この書籍では様々な段階の無限を含む無限に関する理論を記述しており、族や2を底とする対数を扱い、平方根を10進法11桁まで求める。 450年 — 祖沖之が円周率πの値を小数第7位まで求める。 500年 — アリヤバータが「アリヤバータ=シッダーンタ」を著す。この書籍ではまず三角関数とその概算値を求める計算方法を導入している。また、正弦関数や余弦関数の概念を定義し、正弦関数の値や余弦関数の概算値(0度から90度まで3.75度ごとの値)を与えている。 6世紀 — アリヤバータが日食や月食に関する天文学的な定数に対する正確な計算を与え、円周率πを小数第4位まで求める。 また、現代とほぼ同様の方法を取ることで一次方程式に対する数値解を求める方法を得ている。 550年 — ヒンドゥー教の数学者が位取り記数法において0に数的表現を与える。 7世紀 — バースカラ1世(英語版)が正弦関数に対し有理数による概算値を与える。 7世紀 — ブラーマグプタが2次不定方程式の解法を発明する。これは天文学の問題をとくために代数学を使用した初の例となった。彼はまた、様々な惑星の運行や場所の計算、太陽や月の出没、朔、満ち欠けの計算に対する方法を考案した。 628年 — ブラーマグプタがブラーマ・スプタ・シッダーンタを著す。この書籍では0の概念が明確に説明されており、現代の位取り記数法を用いたインドの数記法が完全に整備された。また、この書籍では正の数と負の数を扱う規則や平方根の値を求める方法、一次方程式や二次方程式の解を求める方法、級数の和に関する規則、ブラーマグプタの二平方恒等式、ブラーマグプタの定理に関しても取り上げている。 8世紀 — ヴィラセナがフィボナッチ数列に関する規則を与える。切頭体の体積問題に無限回の分割を用いる方法を与え、底2の対数を扱いその仕組みを知る。 8世紀 — シュリダーラが球の体積の公式と二次方程式の解の公式を与える。 773年 — カンカーがインドの算術天文学やインドの数記法を説明するため、ブラーマグプタのブラーマ・スプタ・シッダーンタをバグダードに持ち込む。 773年 — アル・ファザイーがハーリフ・アッバーシード・アル・マンスール王の命によりブラーマ・スプタ・シッダーンタをアラビア語に翻訳する。 9世紀 — ゴヴィンダシュヴァーミがニュートン・ガウスの補間公式を発見し、アリヤバータの正弦関数表の分数形式を与える。 810年 — 知恵の館がバグダードに建設され、ギリシア語やサンスクリット語の数学書のアラビア語への翻訳が開始される。 820年 — ペルシア人の数学者フワーリズミー(代数学の父)が約分と消約の計算の書(英語版)(ヒサーブ・アル=ジャブル・ワル=ムカーバラ、Al-Jabr)を著す。この書籍は後に「代数」(アル・ジャブル、代数学の英語名Algebraの語源となった)として各言語に翻訳、版を重ねる。この書籍では代数学において一次方程式や二次方程式に対し解を求めるための体系化した方法論を述べている。算術に関する彼の書籍の翻訳により、西洋では12世紀にアラビア数字による10進法の記数法が紹介されることとなる。アルゴリズムという単語は彼の名前(ラテン語ではAlgorizmiと表記された)から採られたものである。 820年 — マーハーニー(英語版)が立方体倍積問題のような幾何学的問題を代数学の問題へと変換する方法を考案する。 850年頃 — キンディーが暗号理論に関する自著において暗号解読や頻度分析について考察する。 895年 — サービト・イブン・クッラ: 散逸している彼の書籍の内唯一残っている断片には、3次方程式の解法と性質が記されている。彼はピタゴラスの定理も一般化し、友愛数(それぞれが互いの約数の和であるような2つの数)の組を発見することにより、サービト数(英語版)を発見する。 900年頃 — エジプトのアブー・カーミル・シュジャー・イブン・アサラム(英語版)が x n ⋅ x m = x m + n {\displaystyle x^{n}\cdot x^{m}=x^{m+n}} のような記号による数の記述を理解し始める。 940年 — アブル・ワファーがインドの記数法を使用して函数の根を得る。 953年 — アラビア数字を用いた算術において、「数を計算式上で動かし、移項した数を消す必要性が出てきた」ため、初めて塵板(持ち運びのできる黒板)の使用を必要とするようになった。アブー・ウッ=ハサン・アッ=ウクリーディスィー(英語版)が筆と紙を使用することによりこれらの方法を修正した。次第に、10進法を利用可能となった長所が地域全体に広まり標準的な表記法となり、これが世界に広まった。 953年 — カラジー(英語版)が幾何学的解法から完全に独立した代数学的解法を編み出し、現代の代数学の核となる解法の算術分類へと置き換える。彼は x {\displaystyle x} 、 x 2 {\displaystyle x^{2}} 、 x 3 {\displaystyle x^{3}} 、・・・、 1 / x {\displaystyle 1/x} 、 1 / x 2 {\displaystyle 1/x^{2}} 、 1 / x 3 {\displaystyle 1/x^{3}} 、・・・といった単項式を人類で初めて定義し、これらの任意の2つの四則演算積に対し規則を定義した。彼は代数学の学校を創始、この学校は何百年にも渡り栄える。また、彼は冪乗が整数の場合に対する二項定理も発見した。これは「10進法に基づく数値解析の発展において重要な要素となった」。 975年 — バッターニーがインドにおける正弦関数や余弦関数の概念を拡張し、正接関数、正割関数、余割関数のような他の三角関数も導入する。また、以下のような公式を発見する sin α = tan α / 1 + tan 2 α {\displaystyle \sin \alpha =\tan \alpha /{\sqrt {1+\tan ^{2}\alpha }}} 、 cos α = 1 / 1 + tan 2 α {\displaystyle \cos \alpha =1/{\sqrt {1+\tan ^{2}\alpha }}} 。
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