迷い家
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迷い家(まよいが、マヨイガ、マヨヒガ)は、東北、関東地方に伝わる、訪れた者に富をもたらすとされる山中の幻の家、あるいはその家を訪れた者についての伝承の名である。この伝承は、民俗学者・柳田國男が現在の岩手県土淵村(現・遠野市)出身の佐々木喜善から聞き書きした話を『遠野物語』(1910)の「六三」「六四」で紹介したことにより広く知られるところとなった[1]。
『遠野物語』によれば、迷い家とは訪れた者に富貴を授ける不思議な家であり、訪れた者はその家から何か物品を持ち出してよいことになっている[2]。しかし誰もがその恩恵に与れるわけではなく、「六三」は無欲ゆえに富を授かった三浦家の妻の成功譚となり、「六四」は欲をもった村人を案内したせいで富を授かれなかった若者の失敗譚を描いている[3]。
また語源や表記については、「マヨヒガ」とは遠野での呼称であることが『遠野物語』および佐々木喜善の著作「山奥の長者屋敷」(1923『中学世界』に掲載)に記されている[2]。これをもとに現在のさまざまな文献では現代仮名遣いに改めた「まよいが」や当て字の「迷い家」などと表記されている。
「迷い家」伝承
「迷い家」伝承の筋は柳田國男の『遠野物語』のテキストを元にしたものが多い。しかしその他にも『遠野物語』の情報提供者である佐々木喜善自身が綴ったテキストや、どちらにも取り上げられなかった地元の伝承など、細部の異なる話もまた存在している[4]。
柳田國男の「迷い家」
現在よく知られるバリエーションは『遠野物語』の「迷い家」である。これは佐々木喜善から聞き書きされたものであるが、聞いたままの話ではなく、柳田により手を加えられた部分も少なからず存在する[5]。
『遠野物語』
六三 小国の三浦某と云ふは村一の金持なり。今より二三代目の主人、まだ家は貧しくして、妻は少しく魯鈍なりき。この妻ある日門(カド)の前を流るゝ小さき川に沿ひて蕗を採りに入りしに、よき物少なければ次第に谷奥深く登りたり。さてふと見れば立派なる黒き門(モン)の家あり。訝しけれど門の中に入りて見るに、大なる庭にて紅白の花一面に咲き鷄多く遊べり。其庭を裏の方へ廻れば、牛小屋ありて牛多く居り、馬舎ありて馬多く居れども、一向に人は居らず。終に玄関より上がりたるに、その次の間には朱と黒との膳椀あまた取出したり。奥の坐敷には火鉢ありて鉄瓶の湯のたぎれるを見たり。されども終に人影は無ければ、もしは山男の家では無いかと急に恐ろしくなり、駆け出して家に帰りたり。此事を人に語れども実と思う者も無かりしが、又或日我家のカドに出でゝ物を洗ひてありしに、川上より赤き椀一つ流れて来たり。あまり美しければ拾ひ上げたれど、之を食器に用ゐたらば汚しと人に叱られんかと思ひ、ケセネギツ(雑穀を収納する櫃)の中に起きてケセネを量る器と為したり。然るに此器にて量り始めてより、いつ迄経ちてもケセネ尽きず。家の者も之を怪しみて女に問ひたるとき、始めて川より拾ひ上げし由をば語りぬ。此家はこれより幸運に向ひ、終に今の三浦家と成れり。遠野にては山中の不思議なる家をマヨヒガと云ふ。マヨヒガに行き当りたる者は、必ず其家の内の什器家畜何にてもあれ持ち出でゝ来べきものなり。其人に授けんが為にかゝる家をば見する也。女が無慾にて何物をも盗み来ざりしが故に、この椀自ら流れて来たりしなるべしと云へり[6]。
六四 金沢村は白望の麓、上閉伊郡の内にても殊に山奥にて、人の往来する者少なし。六七年前此村より栃内村の山崎なる某かゝが家に娘の聟を取りたり。此聟実家に行かんとして山路に迷ひ、又このマヨヒガに行き当たりぬ。家の有様、牛馬鶏の多きこと、花の紅白に咲きたりしことなど、すべて前の話の通りなり。同じく玄関に入りしに、膳椀を取出したる室あり。座敷に鉄瓶の湯たぎりて、今まさに茶を煮んとする所のやうに見え、どこか便所などのあたりに人が立ちて在るやうにも思はれたり。茫然として後には段々恐ろしくなり、引返して終に小国の村里に出でたり。小国にては此話を聞きて實とする者も無かりしが、山崎の方にてはそはマヨヒガなるべし、行きて膳椀の類を持ち来り長者にならんとて、聟殿を先に立てゝ人あまた之を求めに山の奥に入り、こゝに門ありきと云ふ処に来れども、眼にかゝるものも無く空しく帰り来りぬ。その聟も終に金持になりたりと云ふことを聞かず[7]。
佐々木喜善の「迷い家」
『遠野物語』のほか佐々木喜善が自ら綴ったものもある。彼は「山奥の長者屋敷」(1923『中学世界』)、「隠れ里」(1931『聴耳草紙』)と題して二種の「迷い家」を発表している。これらはどちらも金沢村出身の若者を主人公にしていることから、『遠野物語』「六四」と同根の話であると思われる。しかしこちらの方が若者の人物像や迷い家に至るまでの描写が克明に描かれている[8]。
「山奥の長者屋敷」『中学世界』
次には、矢張り桐の花と関係ある隠れ里(土地ではマヨヒガ)の話をしませう。
金沢村(上閉伊郡)の産でだといふ若者(二十四五歳位)が私の家の近所に聟に来ました。それは四五年前のことなのですが、此の若者がどうも生れつき少々小足りない方なので、私が村に一年ばかり居つて離縁され、今では同じ土淵町の中ですが、字が違ふ所に復入聟して居ります、其の男の物語つた話。
「己ら家は昔から狩人筋であつたのだから、己なども十四五の時から山さ行つてた。祖父も親父も立派な鉄砲を持つてゐたのし、その鉄砲こそお前様に見せたい程のものだ。(斯う言つて彼は得意そうに微笑しました。)己まだこちらさ来ねえ時、一人で白見山さ行つたことがあつたつけ。さうすると彼の南向きのある洞を遠くから眺めて見ると、なんだが霞でもうからむやうに美しい花こが咲き群がつて見えるものだから、可怪しく思つて其れを目的に行つて見れば、其処はなんともかんとも言はれない酒張とした所で、大きな岩が立つてゐて、其の岩の小穴から綺麗な水が湧てゐた。そして其の湧水のほとりに赤く塗つた桶があつたから、これは此の辺に人の家でもあるべかなと思つて、岩をめぐつて少しばかり行つて見ると、大きな黒い門がありますけ。可怪しく思つて其の門から入つて行くと、赤い鶏がたくさん遊んでゐたり、片方の厩には、青馬だの栗毛だのゝ馬がゐる、そして大きな構への家があるものだから玄関から上つて見たが、人が誰も居る気振りもない。四辺があまりに立派なものだから家のなかを彼方此方を歩き廻つて見ますとな、赤いまうせんを敷いた座敷があつて、其処には唐銅の火鉢に火がおきて鉄瓶が懸つて湯がたぎつてゐたところもあればまた客来様もあるものと見えて朱膳朱椀が多勢前揃へ並べられてある座敷もありますけ。己はあまり見てゐて、其の家の人達になど見付けられたら盗人だべと思はれべえと思つて、どこか其所を出はつて庭さ出ると、前の鶏どもが驚いて其処らを飛び歩くから、己は門から出て此処闇と遁げて来ました。さうするといつの間にかいつも通つて知つてゐる路のとこにさ出てゐましたつけ。
それから、ひょつと彼れは泥棒の棲家ではないかと思つたから、追手のかゝらねえうちにと一生懸命に走せて人里の方さ還つて、そして家さ来て其の話をすると、みんなは何のことだ其れはマヨヒガと謂うてお前に運を授けるところだつたものを、なんたらお前はよくよく運のない奴だ。何故其所から椀か鶏か馬か何んでもよい、一つ持つて来なかつた。なんたらあつたらことをした。さあ今一かへり此れから其所に歩べと言われて、此度は家の人達村人だの多勢で行つて、其処を尋ね探して見たがどうしても見つからなかつた。
お前は此の辺から、かうして向うの洞を見た時その花群が見えたのか、なんて木さ登つたり岩さ上つたりして眺めて見ても、もうそんな山も洞も見えればこそ、みんなには何トボケてけつかる。此の小馬鹿の話を真にして来たばと言つて皆は笑ふし、己もさう言はれると夢見たやうな心持だつた。」
「あゝあゝ、真に己ら言ひ落としたが、其の家のある桐の林には一面に桐の花が咲いたり散つたりしてゐたつけ」と其の若者が言ひました。極く近頃に聞いた話です。
「隠れ里」『聴耳草紙』
シロミ山の「隠れ里」のことは「遠野物語」の中にも出て居るが、あれとは亦別な話をして見やう。此山の東南の麓の金沢と云ふ村に某と云ふ若者があつた。此男或時山へ行くと、どの辺の谷の奥果であつたか、とにかく未だ嘗つて見たことも聞いたこともない程大きな構への館に行き当つた。其家のモヨリは先づ大きな黒門があつた。その門を入つて行くと鶏が多く居た。それから少し行くと立派な厩舎があつて其中には駿馬が六匹も七匹も居た。裏の方に廻つて見ると炉には火がどがどが燃えてをり、常居へ上ると其所には炭火がおこつて居る。茶の間には何かのコガ(大桶)があり、座敷には朱膳朱椀が並べられて、其次の座敷には金屏風が立て廻されて、唐銅火鉢に炭火が取られてあつたが何所にも人一人居なかつた。さうして見て歩るくうちに、何となく恐ろしくなつて其男は逃げ帰つた。
(その男は少々足りない性質であつた。村の和野の善右衛門と云ふ家へ聟に来たが、或年の五月に田五人役とかで灰張りへ遣ると、一番上のオサの水口へ、五人役振りの灰を山積さして置いて来た。どうしてそんな事をしたと訊くと、なあに上のオサの水が、五人役の田にかゝるべから、同じ事だと言つたので離縁になつた。)
(此話は其男の友人の村の百姓爺の大洞万三丞殿から聴いたものであつた。)[9]
その他の「迷い家」
柳田・佐々木両者の書き記したもののほかにも「迷い家」伝承が土淵町琴畑部落に存在することは、遠野市出身の民俗学者・菊池照雄が指摘している。彼によれば「遠野から白見山をめざすときには、土淵町琴畑がその入口となるが、琴畑川の川上から巨大な桐の花や椀が流れて来るので、不思議に思った村人が川に沿って奥山に至り、マヨイガを発見したという伝承が、ここにも残っている」という。しかし柳田や佐々木のような説話としての体裁をとった詳細なテキストは残されていない。
「迷い家」についての諸論考
この「迷い家」には多くの研究者が関心を寄せており、さまざまな論考が存在する。
伝承者たちの心意
その中には「迷い家」を語り継いできた伝承者の心情を主題にしているものがある。竹内利美は「ユートピアとしてのかくれ里」(1969『伝統と現代』)にて「六三」を取り上げて村落民のユートピア観を論じている。彼は立派な門構え、紅白の花、豊富な家畜、朱と黒の膳椀という福禄円満な生活を模した情景を「小楽土」と称して評価した。この論考は宮田も「ユートピア思想」(1977『講座・比較文化』第6巻)に引用している。曰く、同じ地平線のレベルにあるマヨヒガのことを「いつしかそういう機会がひょんな時に訪れるのだろう」と信じさせてくれる「素朴なユートピア観」であると論じた[5]。
参考文献
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- 青木俊明2003「マヨイガ」石井正己『遠野物語辞典』岩田書院
- 赤坂憲雄1987「幻像としての常民」『現代詩手帖』第30巻第4号 思潮社
- 同1994『遠野/物語考』宝島社
- 同2010『増補版 遠野/物語考』荒蝦夷
- 石井正己2000a『遠野物語の誕生』若草書房
- 同2000b『図説遠野物語の世界』河出書房新社
- 同2002『遠野の民話と語り部』三弥井書店
- 同2009『「遠野物語」を読み解く』平凡社新書
- 石井正己ほか2004『日本のグリム 佐々木喜善』遠野市立博物館
- 石内徹(編)1996a『柳田國男「遠野物語」作品論集成』(Ⅰ)大空社
- 同1996b『柳田國男「遠野物語」作品論集成』(Ⅱ)大空社
- 同1996c『柳田國男「遠野物語」作品論集成』(Ⅲ)大空社
- 同1996d『柳田國男「遠野物語」作品論集成』(Ⅳ)大空社
- 伊能嘉矩1926『遠野方言誌』郷土研究社
- 今市子2007「マヨヒガ」『百鬼夜行抄』第10巻 朝日新聞
- 岩本由輝1983『もう一つの遠野物語』刀水書房
- 同1995「『遠野物語』初稿を読んで(三)」『平成6年度 博物館講座 講義集4』遠野市立博物館
- 大塚英志(原作)、森美夏(作画)2004「マヨイガ考」『北神伝綺』上巻 角川書店
- 大藤時彦1969解説『遠野物語』角川文庫
- 小澤俊夫ほか1999『鈴木サツ全昔話集』福音館書店
- 小田富英1982「初校本『遠野物語』の問題」『國文學』第27巻 一月号
- 小野和子、庄司幸栄1992『佐々木健の語りによる 遠野郷宮守村の昔ばなし』世界民話博実行委員会
- 風丸良彦2008『遠野物語再読』試論社
- 菊池照雄1983『遠野物語をゆく』伝統と現代社
- 同1989『山深き遠野の里の物語せよ』梟社
- 菊池照雄、富田文雄1992『「遠野物語」を歩く』国宝社
- 國貞五郎2000『昔話ふるさとへの旅』King Records
- 小池ゆみ子2002『正部家ミヤ昔話集』古今社
- 後藤総一郎(監)、遠野常民大学(編)1997『注釈 遠野物語』筑摩書房
- 佐々木喜善1972[1964]『聴耳草紙』筑摩書房
- 同1986『佐々木喜善全集』(Ⅰ)遠野市立博物館
- 同1987『佐々木喜善全集』(Ⅱ)遠野市立博物館
- 同2003『佐々木喜善全集』(Ⅳ)遠野市立博物館
- 佐々木喜善(著)、石井正己(編)2009『遠野奇談』河出書房新社
- 杉山康彦1978「『遠野物語』を読む」『言語』第7巻1号 大修館書店
- 同1984「遠野物語の時空」『日本文学』第33巻第1号 日本文学協会
- 世良正利1989「小論『遠野物語』-異人論の視点から」『民衆文化の構成と展開』
- 竹内利美1969「ユートピアとしてのかくれ里」『伝統と現代』第17号 学燈社
- 竹村祥子1987「『遠野物語』における「事実」の意味」『人文研紀要』中央大学人文科学研究所
- 遠野市史編修委員会1974-77『遠野市史』第1-4巻 万葉堂書店
- 百目鬼恭三郎1983「百目鬼恭三郎が選ぶ50冊の文庫18遠野物語」『週刊文春』第25巻30号 文藝春秋
- 内藤正敏1978『聞き書き遠野物語』新人物往来社
- 同1994『遠野物語の原風景』筑摩書房ちくま文庫
- 永藤靖2007「〈異界〉から遠野物語を読む-流動化する世界像-」『文藝研究』第101号明治大学文学部
- 野村純一[ほか]編著1992『遠野物語小事典』ぎょうせい
- 野村純一、三浦佑之、宮田登、吉川祐子(編)2007『柳田國男事典』勉誠出版
- 富木友治1970「柳田國男―遠野物語をめぐりて―(一)」『芸能』第12巻第3号3/10
- 三浦佑之1987『村落伝承論』五柳書院
- 同1998「『遠野物語』と文学」『柳田國男事典』勉誠出版
- 三浦佑之、赤坂 憲雄2010『遠野物語へようこそ』ちくまプリマー新書
- 宮田登1977「ユートピア思想」『講座・比較文化 第6巻 日本人の社会』研究社出版
- 同1984「ムラとユートピア」『日本民俗文化大系 第8巻 村と村人―共同体の生活と儀礼―』小学館
- 同2006『ユートピアとウマレキヨマリ』吉川弘文館
- 森敦1975「たたなずく山の遠野」『民俗の旅-柳田國男の世界』12/10読売新聞社
- 柳田國男1990[1910]「伝説の系統及び分類」『柳田國男全集』第7巻 ちくま文庫
- 同1997[1910]「遠野物語」『柳田國男全集』第2巻 筑摩書房
- 同1997[1934]「山島民譚集」『柳田國男全集』第2巻 筑摩書房
- 同1997[1935]「遠野物語拾遺」『柳田國男全集』第2巻 筑摩書房
- 同1998[1969]「一目小僧その他」『柳田國男全集』第7巻 筑摩書房
- 山田永1990「異界との交流―古代説話と『遠野物語』の間―」『仁愛国文』第8号仁愛女子短期大学国文学会
- 吉川祐子1996『白幡ミヨシの遠野がたり』岩田書院
- 同1997『遠野物語は生きている 白幡ミヨシの語り』岩田書院
- 吉成勇ほか1992『日本「神話・伝説」総覧』歴史読本特別増刊・事典シリーズ16 新人物往来社
- 米山俊直、樺山紘一2003「柳田國男『遠野物語』」高田宏(編)『対話「東北」論』刀水書房
- 2008.9.2『週刊 歴史のミステリー』31号 デアゴスティーニ・ジャパン
- 2012.2.10『遠野文化友の会会報マヨヒガ』vol.1遠野市立遠野文化研究センター
- 佐々木鏡石、柳田国男 『遠野物語』柳田国男、1910年、48-51頁。doi:10.11501/767944。OCLC 7165366948。『遠野物語』:新字新仮名 - 青空文庫 。2023年1月1日閲覧。
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- 佐々木赳人「「マヨヒガ」伝承に込められた心意の再考 : 柳田國男・佐々木喜善を出発点として」『東北宗教学』第7号、東北大学大学院文学研究科宗教学研究室、2011年、 177-200頁、 doi:10.50974/00002043、 ISSN 18810187、 NAID 120005653329、 OCLC 928616220、 国立国会図書館書誌ID: 024281611、2023年1月1日閲覧。
関連項目
脚注
- ^ 佐々木赳人 2011, p. 177.
- ^ a b 佐々木鏡石 & 柳田国男 1910, p. 50.
- ^ 佐々木赳人 2011, p. 184.
- ^ 佐々木赳人 2011, p. 179.
- ^ a b 佐々木赳人 2011, p. 183.
- ^ 佐々木鏡石 & 柳田国男 1910, pp. 48–50.
- ^ 佐々木鏡石 & 柳田国男 1910, pp. 50–51.
- ^ 佐々木赳人 2011, p. 178.
- ^ 佐佐木喜善 1931, pp. 451–452.
- ^ 柳田国男 1934, p. 264.
迷い家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 05:42 UTC 版)
あまりに身勝手な主人の許を渡り歩いた結果、人間たちを見限った付喪神たち。迷い家に匿ってもらうことで、所有者たる人間から霊力の供給は受けられなくても辛うじて人の姿を保っていられる。ただそれにも限りがあり、命を失わないためにも、また仲間たちを守るためにも「おのごろ祭り」を行うことを目指し、怪異を用いて騒動を引き起こしている。ミウラヒの号令により迷い家ごと一斉に上岡へと侵攻を開始するも作戦は失敗に終わり、あきと、あるみら生き延びた者は命の保証を受ける条件で神側に投降した。その後は斑井の意向により全員つづら殿で軟禁されていたが、のちに解放され新しい所有者候補との引き合わせも行われている。 安次峰 あきと(あしみね あきと) 声 - 坂田将吾 鋏の付喪神。武力に長けている。「おのごろ祭り」を行うことを狙い、今”最も力が弱まっている”とされる土地神・くくりを討伐するため現世に現れた付喪神たち四人組のリーダー格。〔あまそぎ〕を意図的に暴走させることが出来る。本来は雑貨であるあきとの力は武器の付喪神には劣るが、義妹のあるみの未来予知と組み合わせることで高い戦闘力を発揮する。「鋏」としての特殊能力である「縁斬(えんきり)」と呼ぶ攻撃無効化能力を持つ(ただし、一度使うとしばらくは使えない)。 「おのごろ祭り」を行うまでは上岡東中学校の男子生徒に扮していただけでなく、一也らのクラスメイトとして一也・桐葉らの行動を監視していた。ただ、一也たちとは極力接触を避けていたため、桐葉はあきとがクラスメイトだったことに気付いていなかった。 街中のゲームセンターで発生した〔あまそぎ〕に巻き込まれた際に、みまねがつぐももであることが一也と桐葉にバレてしまったことから、それ以上の深堀りをされるのを防ぐため、それからは止むを得ず表向き『みまねの所有者』として振る舞った。また、不本意ながらみまねとともにお悩み相談室のメンバーにも加えられてしまった。 ミウラヒが死に、椀爺の体調が悪いことなどもあり、迷い家がつづら殿預かりになってからは、付喪神達の代表として人間達との交渉に当たっている。一也とはつづら殿で再会した際に、自らの正体と真の狙いを明かした。 斑井の反乱が終わった後は二印のすそはらいである日出小城ひじりと組んでおり、ひじりに使ってもらえて調子がいいらしい。 安次峰 あるみ(あしみね あるみ) 声 - 杉山里穂 水晶玉の付喪神。水晶玉を用いて、未来を占うことができる。長期・長距離の予知は確率が低下する が、近距離・短時間ならほぼ完全な「先読み」が可能。 あきととは同じ蔵で生まれ、同時に付喪神に昇華したため義兄妹の関係にあるが、あきとのことを義理の兄以上に意識している。また、みまねからは日常的に重度なセクハラを受けている。 「おのごろ祭り」を行うまではあきとの妹として、上岡東中学校の女子生徒に扮していた。水島みつりと真中まなの怪異の話では、男子トイレで一也の前に現われ、怪異のヒントを伝えた(原作のみ)。一也からすれば、水島みつりと真中まなの双方を救うことができたが、実際はみつりがまなに殺されるよりも結果的に呪詛を振りまくことになった。 失敗に終わった「おのごろ祭り」のあと神側に投降し生き延びたが、つづら殿に着いてから斑井により傀儡帯で強制的に拘束、使役された。のち九殿武闘会で一也ら親付喪神派が勝利したことで解放されたが、あきととは異なり新しい所有者は決まっておらず、暫定的に央姫が仮の所有者となっている。 八津川 やすき(やつかわ やすき) 声 - 菊池幸利 弓の付喪神。あきと同様、攻撃力は高い。迷い家の門番でもあり、最初、迷い家に辿り着いたあきとたちに対して、情報漏洩(と、みまねに対しての悪影響)を恐れて亡き者にしようとした。あきと曰く「単なる過保護」。無口であまり発言をしないため、何を考えているかはよくわからない。 「おのごろ祭り」を行うまでは上岡東中学校の男子生徒に扮していた。 投降後、つづら殿で封印の札を貼られ拘束されていたところを一也らに助けられる。 美鷹 みまね(みよう みまね) 詳細は美鷹 みまねを参照 響華(きょうか) 詳細は響華を参照 糸信(しのぶ) 詳細は糸信を参照 そそぐ 詳細はそそぐを参照 あざみ 詳細はあざみを参照 ミウラヒ 声 - 露崎亘 迷い家の所有者だが、自らがその迷い家の付喪神でもある。命を保つため、自身同様に所有者のいない付喪神たちを迷い家に匿っている。 付喪神たちに霊力を供給するため土地神の「石片(かけら)」を自ら身体に宿して神となったが、普段はその「石片」の暴走を抑えるため自ら意識を絶ち、即身仏と化している。 だが、その「石片」の効力も弱まってきたことで、迷い家の付喪神の中には命を落とした者だけでなく、人喰いに走る者までも現れ出したことから、最後の賭けとして元の姿に戻り上岡への侵攻を開始するも、あざみによる背後からの不意打ちで「石片」を奪われて死亡した。 丹面(たんめん) 声 - 宮崎敦吉 椀の付喪神。迷い家の長。周りからは「椀爺(わんじい)」と呼ばれている長老。あきとらを迷い家に呼び寄せ、そして呼び寄せた真の理由を告げる。 みまねが持つ「既視面鏡」の能力で入浴中のあるみらの裸を見て喜ぶなど、結構スケベ。長老の立場ながらその行動を諌めるため、周りからよく制裁を食らっている。 投降後、つづら殿で封印の札を貼られ拘束されていたところを一也らに助けられるが、霊力が弱まっており身体がかなり衰弱している。 右晶、左晶(うらら、さらら) 靴の付喪神。丹面の左右に控えているお付きの女性。丹面がスケベな行動に出ると、遠慮なく真っ先に制裁を食らわす。ほのかとの戦いでは蹴り技を使い、2人でのコンビネーションによる攻撃で一気に畳みかけようとした。 投降後、つづら殿で封印の札を貼られ拘束されていたところを一也らに助けられる。 千影(ちかげ) 声 - 矢方美紀 槍の付喪神。女武者で、常に甲冑の出で立ちをしている。若々しい外見に反し、迷い家では最古参であり、かつて土地神・磐長姫を討ちとった際、選りすぐりの付喪神108人の中で生き残ることができた3人の中の1人でもある。あきととは稽古や相談を受けるなど姉御肌的な存在だが、未だ一度足りともあきとが千影に勝利したことは無いほどの実力者。面倒見のいい性格で、またその武勇には尊厳を抱かれている。あざみ捕獲の際にも活躍した。 投降後、つづら殿で封印の札を貼られ拘束されていたところを一也らに助けられる。 三条 杖の付喪神。土地神・碧長姫を討ちとった際、選りすぐりの付喪神108人の中で生き残ることができた3人の中の1人。 頭を丸めた僧侶のような風貌で、糸信と共に右手最前列に就いている。 心昭 木槌の付喪神。常に微笑みをたたえた褐色の大男。あざみ捕獲の際にも活躍した。他の付喪神3人を軽々と押さえつける剛力の持ち主。 投降後、つづら殿で封印の札を貼られ拘束されていたところを一也らに助けられる。 男十郎、切姫 男十郎は独楽の付喪神。切姫は小刀の付喪神。迷い家から供給される霊力の不足が進行し、人の姿を保てなくなってしまい原型へと還った付喪神。 玄斧(げんぶ) 声 - 浜田洋平 斧の付喪神。迷い家の限界が近いことから、土地神襲撃の時期を待つことに痺れを切らし、独断的に襲撃を敢行したグループの実質的リーダー格。 豪胆な大男で、あきととも互角に戦う実力者。くくりを守ろうとした黒耀に4人がかりで重症を負わせた。仲間の付喪神たちが次々倒れていくことに心を痛めるなど、仲間想いな面を見せるが、あきとは好きになれなかった。 朱紋橋(しゅもんばし) 橋の付喪神。女性。掌支承(たなししょう)「心渡(こころわたし)」という技で、相手の心の中を見ることができる。そして、それを第三者に見せることもできる。 投降後、つづら殿で封印の札を貼られ拘束されていたところを一也らに助けられる。 扇雅、盾合 声 - 美斉津恵友(扇雅)、菊池幸利(盾合) 扇雅は扇の付喪神。盾合は盾の付喪神。土地神襲撃に加担した付喪神で、いずれも男性。くくりに執着する金山たぐりと二対一で闘うが、一通り力を見られた後、無傷のまま焼き払われ死亡、原身に戻る。 三十郎 轆轤の付喪神。土地神襲撃を訴えていた代表格の玄斧たちが迷い家から離脱したことによって、本来抑えていた急進派が一斉蜂起し、人を喰らい始める。 人を喰らったことで大幅に力を得た一方で、自我を失った妖魔と化した。三十郎もあきとたちの留守中に迷い家の仲間たちを20人殺害する。 ぐらもん、ふしみつ、つちしろ ぐらもんは蓄音機の付喪神。ふしみつは画筆の付喪神。つちしろは植木鉢の付喪神。九殿武闘会にて隷付喪神派から傀儡帯によって「隠し玉」として酷使された付喪神。いずれも結果的に破壊され付喪神としての命を落とす。
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