葬儀、世論の反響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 02:35 UTC 版)
「エメット・ティル」の記事における「葬儀、世論の反響」の解説
人種感情に起因する殺人事件が数十年に渡り南部中で起こったが、この14歳の少年を取り巻く厳しい南部のカースト社会制度の環境を知らないまま、ティルは成長した。ティルの事件は、北部と南部の行政慣習の違い、ミシシッピー州の社会的状況に伴う人種隔離政策等、多くの問題点を浮上させる大きなきっかけとなった。そして、この事件を非難する「NAACP 全米黒人地位向上協会」に対する、クー・クラックス・クランとも関連があると指摘される「白人市民会議(英語版)」との冷戦抗争を、全米、海外のメディアがセンセーショナルに報道を続け、世界が注目する所となった。 ティルが行方不明になった時、地元新聞「グリーンウッド・コモンウェルス」は素早くその事件を3面記事に掲載し、他のミシシッピー紙も迅速にその報道をコピーした。 遺体が発見されたと言う報道がなされ、翌日に、ティルと母親がクリスマスの日に共に微笑みながら写っている写真が「ジャクソン・デイリー・ニュース」と「ヴィックスバーグ・イブニング・ポスト」紙上に掲載され、「ティルの殺人に関連した人物は恥を知るべきだ」と言う社説を掲載した。それは、「今や、ミシシッピーを愛する全ての市民は、チンピラ貧困層の白人が我々の良識を破壊する前に、行動を起こすべき時だ」と訴えかけていると読めた。そして、「ミシシッピー社会を失墜させているのは黒人ではなく、暴力を容認している『白人市民会議』の様な白人が原因だ」と論じている。 ティルの遺体には着衣が施され、ライムに覆われ、松木の棺に納められ、埋葬の準備が施された。遺体には、ミシシッピーにある間に防腐処理が施されたものと思われる。ティルの母親、メイミー・ティル・ブラッドレーは、ティルの遺体をシカゴに戻す事を希望し、ミシシッピーでの埋葬を阻止するため、イリノイ州とミシシッピー州当局及び地域担当に、息子が確実にシカゴに戻される様に働きかけを行った ミシシッピーでは医師による検死は行われなかった。 ミシシッピー州知事、ヒュー・L・ホワイト(英語版)は当初、この事件を遺憾に思い、地域が積極的に事件の捜査、起訴を継続しなければならないと主張した。そして、完全な捜査の実施と「ミシシッピー州はこの様な行いを容認しない」事を約束する電報をNAACPに送信した。また、デルタ地区の、白人、黒人の住人は共に、ティルの事件から距離を置き、この状況に嫌悪感を示した。地元新聞の社説は、異論なくこの殺人を非難した 。 だが、すぐにティルの事件に対する各方面の対応の矛盾が表面化した。白人市民会議理事長のロバート・パターソンは、「人種隔離主義こそが黒人の安全を保障していたにもかかわらず、その秩序をNAACPが破壊した事実こそが、ティルを死に追いやったのだ」と嘆いて見せた。これに対し、NAACP理事長のロイ・ウィルキンズ(英語版)は、この事件をリンチ殺人事件として断じ、ミシシッピーが殺人を通して白人優越主義を維持しようとしていると非難した。ティルの母メイミーは取材に対し、「ミシシッピー州が、息子の殺人犯人の捜査に対し財政的援助を行うべきであり、その為の法的援助を求める」と語った。だがこの発表は、「ミシシッピー州が事件そのものへの賠償責任を負わなければならない」と言ったと取られる誤解を生む事となった。 ティルの遺体がシカゴの「A. A.レイナー葬儀所」に到着した時、メイミー・ティル・ブラッドレーは、ティルの遺体を確認すると主張して譲らず、その死臭が周辺おおよそ2ブロック先まで漂ったと言われている。彼女は「これ以外に、この中に何があるのか皆さんに分かって頂ける方法がありません、これしかない。世界中がこれを見てほしい!」と語り、棺のふたを開いたまま葬儀を行う事を決めた。数万人がシカゴにある「ロバーツ教会(Roberts Temple Church of God in Christ)」での葬儀に参加し、ティルの遺体を見るために列を作り、数日後にはさらに数千人が葬儀に参加した。大きく損傷を受けたティルの遺体写真は全米に配信され、特に黒人系雑誌「ジェット誌(英語版)」と「シカゴ・デフェンダー(英語版)」ではその厳しい論調と共に、多くの世論の反響を巻き起こした。ネイション誌(英語版)とニューズウィークの論説によれば、シカゴの黒人社会でも「ここ近年来、聞いた事がない類の事件」として伝えられている。 ティルの遺体は、1955年9月6日にシカゴの近郊アルシップ(英語版)にあるバー・オーク墓地(英語版)に埋葬された。ティルに関するニュースは、全米両海岸の隅々まで広まった。シカゴ市長リチャード・J・デイリー(英語版)とイリノイ州知事ウィリアム・スタットン(英語版)は共にこの事件に介入し、正義が行われる様ミシシッピー州知事のホワイトに訴えた。 だがその後、ミシシッピー州内の新聞報道のトーンが劇的に変化した。シカゴの葬儀所で暴動が起こったと言う虚偽のニュースが新聞に載った。軍服を着て微笑んでいるブライアントとミランの10年前に撮られた写真が掲載され、キャロライン・ブライアントの美しさと美徳が紙面で絶賛された。事件に怒った州外の黒人と北部の白人達が(ミシシッピー州内に)侵入したと言う噂がたち、これを真に受けたレフロア郡保安官が侵入者を連行しようとする行動がとられた。地域の事業家で外科医、ミシシッピー州内で最も裕福な黒人の一人であり、公民権推進運動リーダーでもあったT. R. M.ハワード(英語版)は、「もし黒人を虐殺した事が許されるならば、『第2の南北戦争』になるだろう」と警告を発した。ロイ・ウィルキンズのコメントの後あたりから、(南部)白人層の意見が変わり始めた。歴史研究家のスティーブン・ホイットフィールドは、「北部側の意見や影響を拒否しようとする、一種の強迫観念に似た南部特有の『閉鎖性』が、ミシシッピー州内の白人達に特に強く見られる」と語っている。 「タラハシー独立州」とあだ名が付くほど、この独自の風潮が特にタラハシー郡で深く、前保安官によれば「ここの住人は自分のやりたい様にする」ので郡の治安を維持するのが難しかったと言われる。 最初にティルの遺体を検視し、ミランとブライアントの起訴を担当した、タラハシー郡保安官のクラレンス・ストライダーは、9月3日の発表で、タラハシー川から引き上げられた遺体がティルの物かどうか疑問であり、その時点でまだ生きていた可能性があると表明し、(状況は容疑者にとって)「良好だ」と述べた。ストライダーの説によれば、遺体は(恐らく)NAACPによりそこに置かれ、T. R. M.ハワードが共謀し、後から指輪を遺体に装着した(のだろう)と述べた。 ストライダーは、自らのミシシッピーの人々に関する報道発表の後、状況が変わる事を希望したが、後に「最後に自分がしたかった事は、キツツキを守る事だった。だが選択の余地は無かった」と述べた。 検察官ハミルトン・コールドウェルによれは、「白人による黒人男性への暴力行為が、白人の女性を侮辱したと言う理由で行われた場合、(裁判において)検察側の主張が通ると言う確信がなかった」にもかかわらず、ブライアントとミランは殺人罪で起訴された。地元ミシシッピーの黒人向け新聞はこの告発に驚き、なおかつ(北部の新聞)「ニューヨーク・タイムズ」と同様に、この決定を称賛した。検察官ジェラルド・チャタム(英語版)による、「たとえどの様な有力な証拠があっても有罪の評決を獲得する事が非常に困難であり心配だ」とするコメントを、NAACPが憂慮していると言う発表が、北部の紙面で大きく報道された。当初、資金面でブライアントとミランは弁護士を雇うのが困難であったが、サムナー法律事務所の5人の弁護士が、「プロボノ」として援助活動を申し出た。 (ブライアントとミランを支援するための)募金箱がデルタ地区の商店や公共の場に設置され、最終的に弁護費用1万ドルを集めた。
※この「葬儀、世論の反響」の解説は、「エメット・ティル」の解説の一部です。
「葬儀、世論の反響」を含む「エメット・ティル」の記事については、「エメット・ティル」の概要を参照ください。
- 葬儀、世論の反響のページへのリンク