総本山 金剛峯寺とは? わかりやすく解説

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総本山金剛峯寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 17:06 UTC 版)

金剛峯寺」の記事における「総本山金剛峯寺」の解説

壇上伽藍東北にあり、本坊である主殿が建つ。1869年明治2年)、いずれも豊臣秀吉ゆかりの寺院である学侶方の巌寺と興行人方の山寺 (廃寺)を合併し高野山真言宗総本山金剛峯寺改称した寺紋桐紋巴紋だが豊臣家家紋で、巴は地主神として祀られている天野社の紋である。青巌寺は、文禄2年1593年秀吉亡母菩提のために木食応其命じて建立し、母の大政所剃髪納めたことから当初剃髪寺」とよばれ、のちに「青巌寺」と改称する。「金剛峯寺」の寺号空海経典金剛楼閣一切瑜伽瑜経」から名付けたもので、元来高野山全体を指す名称であったが、明治期以降は、高野山真言宗管長が住むこの総本山寺院のことを「金剛峯寺」と称している。主殿持仏の間には1680年検校文啓の支持制作され本尊弘法大師座像祀られ高野山開創1200年記念大法会2015年4月2日 - 5月21日)で16年ぶりに開帳された。境内広さは48295坪あり、主殿1863年再建)、主殿から長い渡り廊下を渡ると、奥殿(1934年建立)、別殿1934年建立)、新別殿1984年建立)、阿字観道場1967年建立)、蟠龍庭(石庭)などがある。和歌山県指定文化財となっているのは、大主殿一棟奥書院一棟経蔵一棟鐘楼一棟真然堂(廟)一棟護摩堂一棟山門一棟会下一棟の9棟と、それを取り巻くかご塀である。 正門 - 文禄2年1593年再建。かつて正門利用できたのは皇族高野山重職僧だけで、一般僧は右方にある小さなくぐり戸使用した鐘楼 - 元治元年1864年再建考えれている。袴腰入母屋造り経蔵 - 延宝7年1679年)に、釈迦三尊とともに寄進された。火災発生時に類焼しくいよう主殿とは別棟として建てられ重要なものを収蔵していた。 主殿 - 文久3年1863年再建東西 54 m 南北 63 m の書院造建築である。屋根檜皮葺で、屋根上には雨水貯める天水桶よばれる設置され境内火災発生時、屋根にまくことで火の粉による類焼を防ぐ役割があった。大玄関と小玄関があり、大玄関表玄関相当しかつては皇室高野山重職に就いている僧のみが使用した。小玄関は大玄関使用できない上位僧侶使用し一般僧侶裏口使用した大広間 - 重要な法事儀式が行われる間。狩野元信作と伝わる群鶴襖絵がある。 梅の間 - 狩野探幽作と伝わる梅月流水襖絵がある。 柳の間 - 文禄4年1595年)に豊臣秀次自刃したことから「秀次自刃の間」ともよばれている。山本深斉の四季襖絵がある。 書院上段の間 - 天皇上皇参詣した際に応接間として使用された。壁は総金箔押し天井は折上式格天井書院造りで、上段の間上々段の間と装束の間があり、上段右側武者隠しの間(稚児の間)がある。 稚児の間 - 上段の間武者隠しの間で、天皇上皇随行した護衛待機した部屋狩野探斎作と伝わる襖絵があり、旧伯爵副島家より奉安され地蔵菩薩祀られている。 奥書院 - 皇族方休憩所として、上段の間と共に高野山最高の部屋として使用されていた。雲谷等益雲谷等爾作と伝わる襖絵がある。 囲炉裏の間 - 「土を塗り固めて作った部屋」で土室とも呼ばれ部屋中に囲炉裏設けられている。空海自筆と伝わる愛染明王祀られている。 台所 - 江戸期以降実際に使用され大勢僧侶食事作った場所。大釜が3基並び、1基で約7斗(98 kg)、3基で約2000分の米を炊くことができる。 別殿 - 1934年昭和9年弘法大師入定1100年御遠忌大法会記念事業として建立主殿から長い渡り廊下で繋がる。襖絵には、守谷多々志筆による、四季花鳥弘法大師入唐から高野山草創までの風景描かれている。 奥殿 - 1934年昭和9年弘法大師入定1100年御遠忌大法会記念事業として建立。総本山金剛峯寺の前身で、青巌寺合併した興山寺跡地建ち、奥殿が建立されるまでは高野山大学中学があった。 蟠龍庭 - 1984年昭和59年弘法大師入定1150年御遠忌大法会記念事業として造園された日本最大級の2340平方メートル石庭雲海の中で雌雄一対の龍が奥殿を守っている姿を表現している。龍を表す石は四国花崗岩を140個使用し雲海を表す白川砂は京都産を使用。 新別殿 - 1984年昭和59年弘法大師入定1150年御遠忌大法会記念事業として参詣者への接待所として建立鉄筋コンクリート造り入母屋91畳と78畳の二間からなり169畳の大広間として使用できる金剛峯寺内部有料拝観者には新別殿にて茶菓子振る舞われる。 新書院・真松庵 - 1965年昭和40年)の高野山開創1150年記念法会の際、松下幸之助により寄贈され茶室佐藤栄作により「真松庵」と名付けられる1971年昭和46年黒潮国体の際に昭和天皇香淳皇后宿泊した阿字観道場 - 1967年昭和42年金剛峯寺401座主発願建立本道場にて真言宗における呼吸法瞑想法阿字観体験が行われている。 真然堂 - 主殿裏の丘に建つ真然御廟750回忌寛永17年1640年)に建立され1990年平成2年真然大徳1100年御遠忌記念事業解体修理された。元々、真然堂として祀られていたが、解体修理の際に、遺骨入っていた御舎利器が発見されたため、現在、真然廟として整備されている。 鐘楼。右後方見えるのは正門 主殿の大玄関(左)と少玄関(右) 台所 台所 経蔵 蟠龍

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