総本家駿河屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 00:38 UTC 版)
かつては、代々岡本善右衛門を襲名していた文字通り「駿河屋」の本家である。 紀州藩となる前の旧藩時代から続いた御用菓子司で、江戸時代には年二十五石の扶持を受け御用菓子を納めていた。 先述したとおり「練羊羹」の元祖として高い知名度を誇っていたほか、紀州徳川侯上洛の際の道中食として供されたこともある「本ノ字饅頭」など有力な和菓子を製造・販売していた。 1876年(明治9年)に開催された第一回パリ万国博覧会に伏見店から「練羊羹」を出品して金賞を受賞し、後に「練羊羹」などの輸出も手掛けるなど早くから海外への展開も図った。 1944年(昭和19年)3月27日に資本金19.5万円で「駿河屋食品工業株式会社」を設立して法人化した。 その後、1946年(昭和21年)に「京都伏見総本家駿河屋」と合併して経営統合し、1950年(昭和25年)7月に「株式会社駿河屋」に社名変更した。 そして、1953年(昭和28年)5月に株式を店頭公開し、1961年(昭和36年)10月に東京証券取引所および大阪証券取引所の第二部に上場した。 伝統ある「羊羹」や「饅頭」、煎餅などの和菓子のみならず、プリンやカステラなどの洋菓子の製造・販売にも行うようになった。 地元の和歌山県のみならず大阪府や京都府などにも店舗を展開したほか、最盛期には東京都内にも営業拠点を置き、輸出も手掛けた。 最盛期の1992年(平成4年)3月期には年間売上高約60.25億円を上げ、無借金の堅実な経営を行っていた。 しかし、バブル崩壊の影響で消費が低迷したことなどから、1994年(平成6年)以降は8年連続で売上が減少して赤字に陥ることになった。 そのため、経営再建に取り組んだものの、業績の低迷から株価も下落が進んで2003年(平成15年)5月には東京証券取引所から時価総額が10億円未満で上場を廃止する基準に抵触する恐れがある銘柄として公表されただけでなく、同年には担保枠が一杯になっているとして主力銀行のUFJ銀行から季節資金以外の追加の融資に応じないとの通告を受ける状況となった。
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