第5話「真実」
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「チェルノブイリ (テレビドラマ)」の記事における「第5話「真実」」の解説
放射線障害に侵されるレガソフだったが、RBMK原子炉の欠陥を修理するとの言質をチャルコーフから取り付け、IAEA本部へは欠陥を伏せ、職員のミスが原因である旨の報告を行う。チェルコーフKGB第一副議長は、裁判が終わり次第、レガソフを表彰し、所長に昇進させると言うが、修理の実施については言を左右して答えない。ホミュックは、来る裁判で招かれた科学者に真相を告げ、修理を求める声を上げさせるしかないと説くが、レガソフは御用学者たちを信ずる気にはなれない。 1987年7月、共産党中央委員会と最高会議幹部会による裁判がチェルノブイリにて開催される。証人として出廷したシチェルビナ、ホミュック、レガソフの3人によって、ブリュハーノフ、ディアトロフ、フォーミンら被告3名の罪状が明らかにされる。途中、シチェルビナが咳込んで退席したため、裁判は30分間の休廷となる。あわてて後を追ってきたレガソフに、シチェルビナは吐血を拭ったハンカチを見せ、余命1年を宣告された旨を告げる。単なる捨て石だったゆえに事故処理の責任者とされたと自嘲する。しかしレガソフは、原子炉爆発の事態収拾など、他の誰にもできなかったと励ます一方で、真実を告発する意思を固める。 時を遡って事故発生当日の朝、出勤したディアトロフは、失敗続きで未完となっている安全性試験が終了すれば、ブリュハーノフ所長が栄転し、フォーミン技師長が所長に昇格するも、技師長に昇格するのはディアトロフでなく、シトニコフである可能性が高いと告げられる。電源喪失の事態を想定し、出力を下げてタービンの惰性回転による電力で、非常用ディーゼル発電機が起動するまでの約1分間、冷却水を送り続けられるかを試す、竣工に必要なテストであるが、功を焦る3人は未完のまま、3年前に竣工証明書に署名してしまっている。おりしもキエフ電力局からは、月末を控えて工場生産に影響を及ぼさないよう、テストの実施を10時間遅らせるよう指令がある。10時間遅れた結果、テストに関する知識を持たない夜勤組に全てが委ねられる。アキーモフやトプトゥーノフが初めて目にする指示書は、作業手順の多くが説明なく線で消されている。あわてて日勤組の技師に電話をかけると、線が引かれる前の指示に従えと助言される。苛立ち、安全規則を無視してテスト強行のための指示を出し続けるディアトロフに対し、不安を募らせるアキーモフだったが、一切の反論は許されない。この間、低出力運転が続けられていた原子炉では、蓄積されたキセノンが中性子を吸収して反応を阻害し、出力が上がりにくくなっている(キセノンオーバーライド)。そこへテストに向けて出力低下操作が行われたため、原子炉はいったん停止寸前に陥る。出力を回復させるため、制御棒のほとんどが炉心から引き抜かれるが、それでもテストの条件を満たすまでには出力が回復しない。システムの警告を無視して、いよいよテストが開始され、タービンが停止される。冷却水が炉心に回らなくなって温度が上昇し、キセノンが消滅すると、今度は逆に、出力が急上昇する。あわてるアキーモフとトプトゥーノフは緊急停止をはかりAZ-5ボタンを押下して全制御棒が炉に挿入されるが、制御棒先端の黒鉛が逆に反応を促進し、自重1000トンある炉心の蓋が許容量の10倍を超えた圧力によって吹き飛ばされ、炉心に流れ込んだ酸素が水素(高熱によって被覆管から発生する)と灼熱の黒鉛に結び付き、大爆発が発生して建屋を吹き飛ばした。 法廷では、ディアトロフがレガソフの証言を否定する。求める証言を得た裁判長と検察官は証言を終えさせようとするが、これをレガソフが拒み、すかさずシチェルビナも証言を続けさせるよう指示する。レガソフはいまだ16基が運転中のRBMK原子炉の欠陥が、KGBと共産党中央委員会によって隠蔽されてきたと告発する。法廷は静まり返る。「危険な橋」を渡ったレガソフは、閉廷後、別室に連行される。そこに現れたチェルコーフは、「科学者の愚かしさ」を非難するも、世界的に有名なレガソフを処刑はせず、社会的に抹殺し、放射線障害で寿命が尽きるのを待つことになると告げる。ただ、シチェルビナとホミュックの2人も真相告発に協力していたことを察しながら不問にする。2人はレガソフがKGBによっていずこともなく連行されるのを遠く見守る。 事故発生の2年後、独りで「嘘の代償」を問い続けたレガソフは、失意の中で自ら命を絶った。エピローグにおいて、実写映像と共に字幕で数々の事実が語られる。 レガソフの死後、その回想録がソ連の科学界で広く知られることとなった。また、レガソフの自殺によって回想録は黙殺できないものとなる。結局、ソビエト連邦政府はRBMK原子炉の設計上の欠陥を認め、チェルノブイリのような事故の再発を防ぐため、ようやくRBMK原子炉に対して改良が行われた。 事故処理に当たったレガソフは、多くの科学者たちに支えられており、その中の数人は政府の説明に異を唱えたことが原因で収監された。ホミュックはそうした科学者たちを象徴する存在として創作された人物である。 シチェルビナは事故から4年後、1990年に亡くなった。 ブリュハノフ、ディアトロフ、フォーミンの3人の被告たちは、10年の強制労働を命じられた。フォーミンは出所後、ロシアにあるカリーニン原子力発電所に勤務した。ディアトロフは放射線関連の病により、1995年に亡くなった。 事故発生時の火災消火に当たった消防士たちの衣服は現在もプリピャチの病院の地下にあり、今なお危険な量の放射線を放っている。 リュドミラは夫と娘を亡くした後、数度発作に襲われて倒れ、もう子供を産むことができないと宣告された。しかしそれは間違っており、彼女は現在キエフで息子と暮らしている。 事故発生時、橋に集まって死の灰が降る中火災を見物していた人々は、その全員が亡くなった。現在、その橋は「死の橋」と呼ばれている(ただし、これは現在単なる都市伝説であることが有力視されている)。 メルトダウンの間、一ヶ月間昼夜を問わずトンネル掘削に従事した400人の炭鉱夫のうち、100人は40歳を迎える前に亡くなった。 地下貯水槽の水を抜いた3人はその後死亡したと報じられたが、実際は入院後全員が生き延びた。そのうちの2人は現在も存命である。 事故処理のために延べ60万人が徴用され、その多くが放射線障害で亡くなったが、ソビエト連邦政府はそれに関する公式記録を残していない。 事故によって発生した立入禁止の放射能汚染エリアは、ベラルーシとウクライナにまたがる2600平方キロメートルに及ぶ。事故によって約30万人もの住民が避難させられ、その際には「避難は一時的なもの」とされたが、現在も戻ることは許可されていない。 2017年、4号炉を覆う新しい構造物(新安全閉じ込め構造物)が総工費20億ドルをかけて建造された。これは100年間放射性物質を閉じ込めるよう設計されている。 事故後、ウクライナとベラルーシではガンの罹患率が飛躍的に上昇した。その中で最も高かったのは子供たちだった。 チェルノブイリ原子力発電所事故の実際の犠牲者数は(恐らく)永遠に不明である。概算では4000人から9万3000人とされる。なお、ソビエト連邦が発表した公式な犠牲者数は、1987年から変わらず31人のままである。 そして最後に、「事故で苦しんだ全ての人と、犠牲になった全ての人に捧ぐ(In memory of all who suffered and sacrificed. )」という字幕が映された後、クレジットタイトルとなる。
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