神戸新聞社宛ての手紙
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「神戸連続児童殺傷事件」の記事における「神戸新聞社宛ての手紙」の解説
6月4日、神戸新聞社宛てに赤インクで書かれた第二の声明文が届く。投函したのは6月3日の午後だったため、手紙を書いたのは6月2日の夜だったとAは供述している。内容はこれまでの報道において「さかきばら」を「おにばら」と誤って読んだ事に強く抗議し、再び間違えた場合は報復するとしたものだった。また自身を「透明なボク」と表現し、自分の存在を世間にアピールする為に殺人を犯したと記載している。この声明文には発見された男児に添えられていた犯行声明文と同じ文書が同封されていた。最初の犯行声明文は文章を一部修正した形で報道されたが、神戸新聞社に届いた声明文に同封されていた犯行声明文は修正前と同じ文章だった。具体的には文章の5行目は「人の死が見たくて見たくてしょうがない」だが、「人の死が見たくてしょうがない」と変更して報道された。神戸新聞社に届いた文面には、事件に関わった人物しか知ることができない「人の死が見たくて見たくてしょうがない」と書かれていたため、この声明文はいたずらではなく犯人によるものだと確定された。いわゆる秘密の暴露である。Aは声明文を書くにあたって、次のような犯人像をイメージして書いた。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}高校時代に野球部に所属したことがある三十歳代の男。父親はおらず、母親からは厳しいスパルタ教育を受けながら、学校では相手にされず孤立している。学校関係の職場で働いていたが解雇され、今は病身の母親と二人暮らし。学校時代にいじめにあったので、自分を「透明な存在」と思うようになり、そんな自分を作り出した義務教育を怨んでいる。被害妄想と自己顕示欲が人一倍強く、社会を憎み、密かに復讐を考えている。 —一橋(2011)、p.312 しかし、Aは「はっきり言って調子づいてしまった、新たに手紙を書けば、僕の筆跡が警察に分かってしまうと思ったが、僕自身、警察の筆跡鑑定を甘く見ていた。『あれで捕まるんやないか、失敗したなぁ』と思ったが、どうしようもなかった」と供述している。捜査関係者によると「もともと、数多く著作からの寄せ集めだから、原本は簡単に割り出せなかったが、Aが浮上して彼の作文などを調べたら、すぐに同一人物の筆致だと分かったよ。特に『懲役13年』という作文は大いに参考になった」という。また、用紙の余白に「9」という数字を書いたことについては「僕が1番好きな数字が9であり、切のいい数字が10だと思っているので、その一つ前がいいからだ」と供述しているが、Aが浮上した段階で間接証拠の一つとして使われていた。なお、Aの作文と二つの犯行声明文の筆跡鑑定を行ったが、鑑定結果は「類似した筆跡が比較的多く含まれているが、同一人の筆跡か否か判断することは困難である」というものだったため逮捕状を請求出来なかったという。 Aの供述では、「本当は僕が男児を殺したり、男児の首を正門前に置いていたにも関わらず、あたかも僕の他に犯人がいるとして、その犯人像を僕がイメージして、その犯人像になり切って手紙を書くことにした」、従って「僕が書いた手紙の内容は、あくまでも僕がイメージした犯人像が持っている動機を書いたものであり、いわば僕の作文であって、僕が〇〇君を殺した理由とは全く異なっている」。神戸新聞社への手紙を書くにあたっては、あらかじめ下書きをしてから書き進めた。下書きを書いたノートは後に燃やしている。 神戸新聞社へこの前ボクが出ている時にたまたま、テレビがついており、それを見ていたところ、報道人がボクの名を読み違えて「鬼薔薇」(オニバラ)と言っているのを聞いた人の名を読み違えるなどこの上なく愚弄な行為である。表の紙に書いた文字は、暗号でも、謎かけでも当て字でもない。嘘偽りないボクの本名である。ボクが存在した瞬間からその名がついており、やりたいこともちゃんと決まっていた。しかし悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行動はとらないであろう やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいないだが単に復讐するだけなら、今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、何も得ることができないそこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人に相談してみたのである。すると彼は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすれば得るものも失うものもなく、それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界を作っていけると思いますよ。」その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した。しかし今となっても何故ボクが殺しが好きなのかは分からない。持って生まれた自然の性(さが)としか言いようがないのである。殺しをしている時だけは日頃の憎悪から解放され、安らぎを得る事ができる。人の痛みのみが、ボクの痛みを和らげる事ができるのである。最後に一言この紙に書いた文でおおよそ理解して頂けたとは思うが、ボクは自分自身の存在に対して人並み以上の執着心を持っている。よって自分の名が読み違えられたり、自分の存在が汚される事には我慢ならないのである。今現在の警察の動きをうかがうと、どう見ても内心では面倒臭がっているのに、わざとらしくそれを誤魔化しているようにしか思えないのである。ボクの存在をもみ消そうとしているのではないのかね ボクはこのゲームに命をかけている。捕まればおそらく吊るされるであろう。だから警察も命をかけろとまでは言わないが、もっと怒りと執念を持ってぼくを追跡したまえ。今後一度でもボクの名を読み違えたり、またしらけさせるような事があれば一週間に三つの野菜を壊します。ボクが子供しか殺せない幼稚な犯罪者と思ったら大間違いである。———— ボクには一人の人間を二度殺す能力が備わっている ———— 6月28日、現場近くに住むAに朝から任意同行を求め、事情を聞いていたところで犯行を自供。Aは当初犯行を否認していたが、取調官が第一の犯行声明文のカラーコピーを取り出して、「これが君の書いたものであるということは、はっきりしている。筆跡が一致したんや」と突きつけると、声を上げて泣き出し、自供を始めた(前述のように実際にはAの筆跡が一致したという証拠はなかった)。午後7時5分、殺人及び死体遺棄の容疑でAを逮捕。同時に、通り魔事件に関しても犯行を認めた。
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