甘粛省建設委員会への異動とは? わかりやすく解説

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甘粛省建設委員会への異動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 11:45 UTC 版)

胡錦濤」の記事における「甘粛省建設委員会への異動」の解説

1974年9月15日新華社通信が「黄河流域青銅峡ダム発電所工事がほぼ完成した」という旨のニュース配信した813支局進めていた八盤峡ダム発電所工事終盤入り翌年には竣工する見られていた。このころ胡錦濤は、上司たちとの人間関係会社での評判良好であり、このままでいけば将来昇進期待されていた。しかし、813支局水力発電所所属土木工事会社であり、各地転勤して工事を行う必要があるため、自分の家庭生活に大きな影響与えることになることを胡錦濤悩んでいた。813支局甘粛省政府土木管理部門建設委員会官僚接待に当たることがあったが、そのうち胡錦濤建設委員会副主任の張延青と親しくなるある日胡錦濤付き添われダム工事視察した張延青は、胡錦濤昼食取っている最中に、ダム工事終了した後の胡錦濤予定聞いた未定であることを答えると、張延青は胡錦濤に対して建設委員会来て自分秘書になる気はないか」と打診した。この申し出胡錦濤大い喜びその場即答した人事の手続き難しいのではないかと心配する胡錦濤に対して、張延青は手続きのことは自分任せるよう答えたその後八盤峡ダム工事現場人事異動辞令届き胡錦濤甘粛省建設委員会への転勤正式に決定する。こうして胡錦濤甘粛省建設委員会異動し、張延青の委員会主任専属秘書として働くことになる。この転勤胡錦濤人生で最も重要な転換点見られている。 張延青は山西省出身で、共産党古参幹部である。胡錦濤にとっては官途における最初恩人であり、彼の口添え無ければ転勤無かっただろうと見られている。それゆえ胡錦濤は張延青に絶え恩義感じており、毎年正月になれば張延青に電話をかけて新年の挨拶述べ甘粛省出張する者があれば栄養剤健康食品などの土産託して届けさせている。 1974年8月胡錦濤は八盤峡ダム発電所から甘粛省建設委員会移り、張延青の秘書として働く。仕事場から30メートルほどのところにある職員宿舎借り家族4人で2DKのアパート暮らし始める。職場では上司言われ仕事黙々とこなした報告書挨拶文などの原稿作成胡錦濤主な仕事であった1975年、同委員会副主任昇進する。ちょうどその頃失脚から返り咲いた鄧小平によって「より革命的で、より若く、より知識があり、より専門的な次世代指導者育成することを目指すプログラム実行され、それによって多く有能な若手党員見出された。同年、張延青は胡錦濤半年観察したのち、勤務態度がまじめで、上司忠実で、同僚評判もよい胡錦濤を、主任の単国棟に推薦し幹部会議の討論経て設計管理部長任命した。このときの胡錦濤33歳で、建設委員会ではもっとも若い次長となった。なお、後に中国最高権力者地位就いた胡によって国務院総理指名されることになる温家宝は、この当時甘粛省地質局地調査測量隊・思想政治副主任務めていた。当時同僚によれば胡錦濤次長昇進したのちも以前変わらず仕事精を出し勤務時間守り同僚愛想がよく、さわやかではきはきとした仕事ぶりで、中間管理職となったことを鼻にかけるような態度は少しも見せなかったという。次長昇進した胡は、幹部チーム率いて蘭州市永登県六福郷へ赴き、農民たちに社会主義教育宣伝活動行った胡錦濤らは政治思想教育のための資料数多く用意してきたが、農民たちの関心事は、詩歌朗読理論よりも、少しでも多く食料作り腹いっぱい食べることであったそのこと知った胡は、机上の空論宣伝よりも、もっぱら生産力回復第一義とする鄧小平実務路線従った1975年5月29日鄧小平毛沢東3項目、「ソ連反対主義への修正」、「安定団結」、「経済発展」の3つ各分野指針とする指示出し経済発展軌道乗せようとする胡錦濤六福郷の社会主義教育プログラム責任者として、ソビエト連邦侵入備えることの重要性説いて政治理論書の学習指示し一方で幹部チーム率いて農作業かんがい用水路の整備力を入れて農民たちを食糧不足から脱却させようとした。この教育プログラム半年わたって行われリーダー務めた胡は政治活動の経験を積む形となったプログラム終了後、胡は設計管理部指導管理加わり始めたその後中国各分野における経済活動活発化したことで、甘粛省建設委員会蘭州市インフラ整備力を入れ始める。甘粛省建設委員会胡錦濤に対して蘭州市養鶏場乳製品製造工場、青少年文化センター建設工事計画審査基礎工事現場総監督を任せた胡錦濤3つのプロジェクト企画審査建設用地選定会議開き設計から建設用地選定基礎工事建設施工管理完成後の検査までのすべての段階における責任者定めて責任の所在明確にした。各段階において工事できばえ対す請負制実施し品質管理厳格にし、建築物欠陥残さない措置取った3つの建設プロジェクト順調に進行し2年足らず完成にこぎ着け各施設とも使用開始が可能となった1980年胡錦濤建設委員会次長から副主任栄転し、副局長クラス幹部となる。清華大学時代から胡錦濤の上司であり、胡耀邦のかつての部下であり、甘粛省委員会副書記の劉冰という人物と胡は親密間柄となった胡錦濤は暇さえあれば劉冰を訪ね仕事について指示仰いだ有能な若手党員一人として、胡は甘粛省党委第一書記である宋平推薦により、1980年中国共産主義青年団甘粛省委員会書記就任した。かつてインフラ整備建設工事宋平視察した際にその案内役務めたのが胡錦濤であり、宋平胡錦濤に対して好印象抱いたという。

※この「甘粛省建設委員会への異動」の解説は、「胡錦濤」の解説の一部です。
「甘粛省建設委員会への異動」を含む「胡錦濤」の記事については、「胡錦濤」の概要を参照ください。

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