甘粛省におけるダム建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 11:45 UTC 版)
胡錦濤の恋人である劉永清は、甘粛省にある八盤峡ダム水力発電所への配属が決まった。清華大学の卒業生は、配属決定後はただちに配属先に就くわけではなく、北京近郊の農村部へ行き、農村社会主義教育運動という約1年間の再教育プログラムに参加しなければならない。政治指導員の胡も、低学年の学生を連れて北京近郊の村へ行き、農作業を体験した。1966年4月3日、再教育プログラムを終えた彼らは、一旦大学に戻って一週間の総括を行ってからそれぞれの配属先の会社に赴いた。劉永清は、水利部直属の甘粛省第4ダム建設局813支局に配属され、八盤峡ダム水力発電所の建設現場で仕事を始めた。1968年12月、胡は水利部に配属され、さらに甘粛省にある水利部直属の第4ダム建設局への転出が決まる。胡は省都蘭州に赴き、蘭州から100kmほど離れた劉家峡ダム工事支局土木建築の一般の作業技師として働くことになる。1969年から1974年にかけて、水利部第4工事局でもエンジニアとして働いた。 1970年1月、813支局長の秘書に抜擢され、仕事場も技術課から支局党委員会の事務室に移った。これは技術の仕事から政治工作担当の専門職に転身してテクノクラートになることを意味し、政界進出への第一歩を踏み出す形となった。政治工作担当の専門職への転身は政治上の信頼を示すものであり、胡は自らの出自の問題から開放された。同年2月に上司に結婚申込書を提出し、劉永清と結婚して夫婦となる。八盤峡ダム発電所は国の重点事業の1つとして投資も多かったため、ほかの国営企業よりも職員宿舎が多く、胡錦濤夫婦は結婚からまもなく宿舎を貰うことができた。1971年に長男の胡海峰(清華同方威視技術股份有限公司社長)、1972年に長女の胡海清(新浪前CEO夫人)を儲けている。 813支局長の秘書となってからの胡は、局長以下重役の各種挨拶文の原稿作成の他に、支局の様々な年度報告書の起草作業に勤しんだ。これらの仕事は、毛沢東語録、『人民日報』の社説、政府公表の報告書から文言を適当に切り取れば簡単にできるもので、それがこの当時流行した創作法であった。 1971年、813支局共産党委員会副書記に抜擢された胡は、専任で党務に当たる。第4建設局は水力部所属の企業体で、その下部企業体の813支局のトップは課長クラスに当たり、胡錦濤の肩書は副課長であった。清華大学での政治闘争を経験した胡錦濤は党務の仕事を用心深く務めていた。
※この「甘粛省におけるダム建設」の解説は、「胡錦濤」の解説の一部です。
「甘粛省におけるダム建設」を含む「胡錦濤」の記事については、「胡錦濤」の概要を参照ください。
- 甘粛省におけるダム建設のページへのリンク