源氏物語巻名目録での巣守
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源氏物語には単独の文書として、または写本の冒頭や末尾に、あるいは注釈書・梗概書や源氏物語系図の一部として源氏物語の巻名をその読むべき順序に従って並べた「源氏物語巻名目録」と呼ばれている文書が古くからいくつも存在するが、その中には現在一般的に知られている「源氏物語54帖」に含まれない巻名を記しているものがしばしばあり、その中に「巣守」なる名前の巻に言及しているものが数多く存在している。 高野山正智院旧蔵「白造紙」中の『源シノモクロク』橋本進吉によって紹介された正治年間(1199年~1201年)ころに成立したと見られる平安時代の歌人藤原資隆が著した故実書『簾中抄』の一異本とされるものであり、冷泉家時雨亭文庫において発見された写本に近い内容を持つ宮内省本など5本を底本に校合し1900年(明治33年)から1903年(明治36年)にかけて近藤活版所から出版された『改定史籍集覧』の第23冊に収録された流布本とは大きく異なる内容を持っている。この写本は流布本には含まれていない源氏物語の巻名目録を含んでおり、この源氏物語の巻名目録は最近まで内容を確認できた文献の中では最も古い源氏物語の巻名目録であったが、調査のため東京帝国大学国語研究室が借り受けていたところ1923年(大正12年)9月、関東大震災により焼失してしまい、現在は当時撮影した写真だけが残っているとされている。 現在の54帖と同じような巻名を記しているが、宇治十帖の巻々については「ウチノミヤノ」として改めて1から巻数を数えており、夢浮橋のあと「コレハナキモアリ」と記し、その後「コレカホカニニチノ人ノツクリソヘタルモノトモ サク(ラ)ヒト サムシロ スモリ」と記している。 『源氏小鏡』「源氏大鏡」と並ぶ源氏物語の代表的な梗概書の一つであり、標題も内容もさまざまに異なるものが存在するが、この中に巣守関係の記述を持つ写本・版本がいくつか存在する。 「紫式部により書かれた54帖に入らない巻」として名前を挙げられている。「住守」と表記されており、「桜人」、「狭筵(サムシロ)」とともに各2帖あるとされている。(桃園文庫旧蔵本) 紅梅巻の巻末において「五十四てうのほか」に清少納言が造り添えた巻として「すもり」を挙げている。(古活字版) 「雲隠・巣守は石塔に入れて竹生島に納められ給へり」との記述がある。(日比谷図書館蔵本) 『源氏古系図』(宮内庁書陵部蔵)系図末尾の雑載部分の歌の作者を男女別に挙げた部分で「桜人」、「狭筵」、「巣守」については歌を入れないとの注記がある。池田亀鑑はこの記述はこれらの巻は本来の源氏物語のものでないという判断に基づくのであろうとしている。 『源氏系図』(岩瀬文庫蔵)巻末に「およそ源氏の物語は天台の六十巻をへうして作るゆへに六十てうなりしを、いかなるにかすもりの巻なといふをのけられたり。それより今の世には五十四てうなり。」との記述がある。 『源氏物語注釈』(宮内庁書陵部蔵)院政期の成立と見られる巻名目録、「源氏物語のおこり」に続いて3つの注釈書を合わせた外題が付されていない源氏物語の注釈書であり、仮に「源氏物語注釈」や「源氏物語古注」と呼ばれている。54帖に含まれない源氏物語の続編的巻々の名前として「さくら人」、「さむしろ」、「すもり一」、「すもり二」、「すもり三」、「すもり四」、「やつはし」、「さしぐし」、「はなみ」、「さが野一」、「さが野二」の11帖を挙げている。 『光源氏物語本事』(島原松平文庫蔵)注釈書『幻中類林』の中から本文や写本に関する事項を抄出した書物であると考えられる本書では、「庭云、この五十四は本の帖数也、のちの人桜人すもりさかの上下さしくしつりとのの后なといふ巻つくりそへて六十帖にみてむといふ。本意は天台の解尺をおもはへたるにや」と記している。 『源氏六十三首之歌』(島原松平文庫蔵)源氏物語の巻名を順に読み込んでいった62首からなる歌集である。第56首目以降に源氏物語の失われた巻名として伝えられているさまざまな巻名を読み込んでいるが、その第57首目には「あわれ也軒端の竹に鶯の巣守と成し得るかい子は」と「巣守」が読み込まれている。 『光源氏一部謌』(島原松平文庫蔵)幻巻巻末の注記に、「すもり五帖、桜人二帖、嵯峨野三帖以上山路露十帖是也などと云ものちにつくりそへられたる本也 それもいまは世にわたらす。廿五より廿七かほる中将へうつるへし、その間八九年とみえたり」とある。 『山路の露』(九条稙通自筆本)本書自体に「すもり」の外題が付けられており、さらに奥書において「清少納言が造り添えた巻」として、「桜人」、「狭筵」、「巣守」の3帖が挙げられている。稲賀敬二は「巣守」が「山路の露」の異名であった可能性があるとしている。 『源氏秘義抄』(宮内庁書陵部蔵桂宮本・室町時代末期書写)南北朝時代成立と見られる源氏物語の注釈書。冒頭の巻名一覧において貌鳥や法の師といった異名や外伝的な巻名とされるものに言及する他、巻末において、「一すもり」、「二すもりのやつはし」、「三すもりのさしくし」、「四すもり花見」、「五さかのみや一」、「六さかのみや二」の6帖を「すもり六帖」とし、赤染衛門作であるとしており、現行の54帖にこの6帖を加えた全60帖を源氏物語であるとしている。 『大乗院寺社雑事記』源氏物語の注釈書『花鳥余情』の著者一条兼良の子であり奈良興福寺の大乗院門跡であった尋尊大僧正の1450年(宝徳2年)から1508年(永正5年)にわたる日記「尋尊大僧正記」を、続く大乗院門跡であった政覚および経尋の1527年(大永7年)までの日記と合わせたものであるが、その文明10年7月28日(1478年8月26日)の条において、源氏物語のおこり・主要な伝本・主要な注釈書などについて触れているが、その中で54帖からなる源氏物語の巻名を挙げた後に清少納言が源氏物語に書き加えた巻として「桜人」、「巣守」、「八橋」、「さしぐし」、「花見」、「嵯峨野上」、「嵯峨野下」を挙げている。 『源氏物語願文』漢文の中に源氏物語の巻名を読み込んでいった「源氏供養表白」や「源氏物語表白」に類似した内容を持つ願文であるが、全ての巻名を網羅しているわけではなく、また文中での巻名の並べ方が巻序に従っていない上に独特の異名で呼ばれている巻が多いという特徴を持つ。 「釈迦は此の方に出でて、水鳥の「憂栖」を□せしめ、弥陀は彼の国にありて、更に「胡蝶」の愚夢を驚かす。」という記述を持つが、この「憂栖」が「巣守」ではないかと言われている。 『雲隠六帖抄』『源氏雲隠抄』と呼ばれることもある浅井了意による江戸時代初期の雲隠六帖の注釈書である。巻名やその並べ方に異説を載せており、そこに古本巣守や古本桜人の影響を受けている可能性が指摘されている。通常の雲隠六帖の巻序が「雲隠、巣守、桜人、法の師、雲雀子、八橋」であるのに対して、「(雲隠)、八橋、差櫛、花見、嵯峨野、巣守」とする本があり、「花見と桜人は同じ、雲雀子と嵯峨野は同じ、巣守と八橋は同じ、差櫛と法の師は同じである」との注を加えている。また作者不明の古系図の奥に、「桜人、巣守、八橋、さしくし、花見、嵯峨野上下」が清少納言が加えた巻であるとの記述があることを伝えている。
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