源氏物語巻名目録での巣守とは? わかりやすく解説

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源氏物語巻名目録での巣守

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/05 21:11 UTC 版)

巣守」の記事における「源氏物語巻名目録での巣守」の解説

源氏物語には単独文書として、または写本冒頭末尾に、あるいは注釈書梗概書源氏物語系図一部として源氏物語巻名をその読むべき順序に従って並べた源氏物語巻名目録」と呼ばれている文書古くからいくつも存在するが、その中には現在一般的に知られている「源氏物語54帖」に含まれない巻名記しているものがしばしばあり、その中に巣守」なる名前の巻に言及しているものが数多く存在している。 高野山正智院旧蔵白造紙」中の『源シノモクロク橋本進吉によって紹介され正治年間1199年1201年)ころに成立したと見られる平安時代歌人藤原資隆が著した故実『簾中抄』の一異本とされるものであり、冷泉家時雨亭文庫において発見され写本近い内容を持つ宮内省本など5本を底本校合1900年明治33年)から1903年明治36年)にかけて近藤活版所から出版された『改定史籍集覧』の第23冊に収録され流布本とは大きく異な内容持っている。この写本流布本には含まれていない源氏物語巻名目録含んでおり、この源氏物語巻名目録最近まで内容確認できた文献の中では最も古い源氏物語巻名目録であったが、調査のため東京帝国大学国語研究室が借り受けていたところ1923年大正12年9月関東大震災により焼失してしまい、現在は当時撮影した写真だけが残っているとされている。 現在の54帖と同じよう巻名記しているが、宇治十帖の巻々については「ウチノミヤノ」として改めて1から巻数数えており、夢浮橋のあと「コレハナキモアリ」と記しその後「コレカホカニニチノ人ノツクリソヘタルモノトモ サク(ラ)ヒト サムシロ スモリ」と記している。 『源氏小鏡』「源氏大鏡」と並ぶ源氏物語代表的な梗概書一つであり、標題内容もさまざまに異なるものが存在するが、この中巣守関係の記述を持つ写本版本いくつか存在する。 「紫式部により書かれ54帖に入らない巻」として名前を挙げられている。「住守」と表記されており、「桜人」、「狭筵サムシロ)」とともに各2帖あるとされている。(桃園文庫旧蔵本) 紅梅巻の巻末において「五十四てうのほか」に清少納言造り添えた巻として「すもり」を挙げている。(古活字版) 「雲隠巣守石塔入れて竹生島納められ給へり」との記述がある。(日比谷図書館蔵本) 『源氏古系図』(宮内庁書陵部系図末尾雑載部分歌の作者男女別に挙げた部分で「桜人」、「狭筵」、「巣守」については歌を入れないとの注記がある。池田亀鑑はこの記述はこれらの巻は本来の源氏物語のものでないという判断に基づくのであろうとしている。 『源氏系図』(岩瀬文庫巻末に「およそ源氏物語天台六十巻をへうして作るゆへに六十てうなりしを、いかなるかすもりの巻なといふをのけられたり。それより今の世には五十四てうなり。」との記述がある。 『源氏物語注釈』(宮内庁書陵部院政期成立と見られる巻名目録、「源氏物語のおこり」に続いて3つの注釈書合わせた外題付されていない源氏物語注釈書であり、仮に「源氏物語注釈」や「源氏物語古注」と呼ばれている。54帖に含まれない源氏物語続編的巻々の名前として「さくら人」、「さむしろ」、「すもり一」、「すもり二」、「すもり三」、「すもり四」、「やつはし」、「さしぐし」、「はなみ」、「さが野一」、「さが野二」の11帖を挙げている。 『光源氏物語本事』(島原松平文庫蔵注釈書幻中類林』の中から本文写本に関する事項抄出した書物であると考えられる本書では、「庭云、この五十四は本の帖数也、のちの人桜人すもりさかの上下さしくしつりとのの后なといふ巻つくりそへて六十帖にみてむといふ。本意天台の解尺をおもはへたるにや」と記している。 『源氏六十三首之歌』(島原松平文庫蔵源氏物語巻名を順に読み込んでいった62からなる歌集である。第56首目以降源氏物語失われた巻名として伝えられているさまざまな巻名読み込んでいるが、その第57首目には「あわれ也軒端の竹に鶯の巣守と成し得るかい子は」と「巣守」が読み込まれている。 『光源氏一部謌』(島原松平文庫蔵)幻巻巻末注記に、「すもり五帖、桜人二帖、嵯峨野三帖以上山路露十帖是也などと云ものちにつくりそへられたる本也 それもいまは世にわたらす。廿五より廿七かほる中将へうつるへし、その間八九年とみえたり」とある。 『山路の露』(九条稙通自筆本本書自体に「すもり」の外題付けられており、さらに奥書において「清少納言造り添えた巻」として、「桜人」、「狭筵」、「巣守」の3帖が挙げられている。稲賀敬二は「巣守」が「山路の露」の異名であった可能性があるとしている。 『源氏秘義抄』(宮内庁書陵部桂宮本・室町時代末期書写南北朝時代成立と見られる源氏物語注釈書冒頭巻名一覧において貌鳥法の師といった異名外伝的な巻名とされるものに言及する他、巻末において、「一すもり」、「二すもりのやつはし」、「三すもりのさしくし」、「四すもり花見」、「五さかのみや一」、「六さかのみや二」の6帖を「すもり六帖」とし、赤染衛門作であるとしており、現行の54帖にこの6帖を加えた60帖を源氏物語であるとしている。 『大乗院寺社雑事記源氏物語注釈書花鳥余情』の著者一条兼良の子であり奈良興福寺大乗院門跡であった尋尊大僧正1450年宝徳2年)から1508年永正5年)にわたる日記尋尊大僧正記」を、続く大乗院門跡であった政覚および経尋の1527年大永7年)までの日記合わせたのであるが、その文明10年7月28日1478年8月26日)の条において、源氏物語のおこり主要な伝本主要な注釈書などについて触れているが、その中で54からなる源氏物語巻名挙げた後に清少納言源氏物語書き加えた巻として「桜人」、「巣守」、「八橋」、「さしぐし」、「花見」、「嵯峨野上」、「嵯峨野下」を挙げている。 『源氏物語願文漢文中に源氏物語巻名読み込んでいった「源氏供養表白」や「源氏物語表白」に類似した内容を持つ願文であるが、全ての巻名網羅しているわけではなく、また文中での巻名並べ方が巻序に従っていない上に独特の異名呼ばれている巻が多いという特徴を持つ。 「釈迦此の方出でて、水鳥の「憂」を□せしめ、弥陀彼の国にありて、更に「胡蝶」の愚夢を驚かす。」という記述を持つが、この「憂」が「巣守ではないかと言われている。 『雲隠六帖抄』『源氏雲隠抄』と呼ばれることもある浅井了意による江戸時代初期雲隠六帖注釈書である。巻名やその並べ方に異説載せており、そこに古本巣守古本桜人影響受けている可能性指摘されている。通常の雲隠六帖巻序が「雲隠巣守桜人法の師雲雀子、八橋」であるのに対して、「(雲隠)、八橋、差花見嵯峨野巣守」とする本があり、「花見桜人は同じ、雲雀子と嵯峨野は同じ、巣守八橋は同じ、差法の師は同じである」との注を加えている。また作者不明古系図の奥に、「桜人巣守八橋、さしくし、花見嵯峨野上下」が清少納言加えた巻であるとの記述があることを伝えている。

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