横須賀鎮守府参謀長とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 横須賀鎮守府参謀長の意味・解説 

横須賀鎮守府参謀長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:42 UTC 版)

井上成美」の記事における「横須賀鎮守府参謀長」の解説

1935年昭和10年8月1日、再び横須賀鎮守府付となる。少将進級直前である6年目大佐現職離れるのは異例だった11月15日海軍少将進級慣例通りクラスヘッドとして同期最初少将)し、横須賀鎮守府参謀長となる。12月1日米内光政横須賀鎮守府司令長官着任したこの頃井上米内信頼得て以降米内の下で活躍することになる。 詳細は「二・二六事件」を参照 海軍省所在する東京府管轄し麾下実戦部隊有している横須賀鎮守府(以下、横鎮)の参謀長となり、海軍省を『海軍兵力』で守る対策十分に準備できる立場となった井上は、長官米内承認得ていざという時即座に十分な海軍兵力」を東京海軍省差し向けられるように下記のように準備した横鎮所属兵員特別陸戦隊一個大隊編成して、2回召集し顔合わせ訓練行った万一時には海軍省派遣し大臣官房走り使い連絡に当たらせ、または小銃持たせて海軍省警備当たらせるべく、横須賀所在海軍砲術学校要請して砲術学校所属する砲兵20人をいつでも横鎮呼集できるように準備したいかなる場合でも、特別陸戦隊一個大隊東京海軍省急派するため、横鎮所属警備艦である軽巡洋艦那珂艦長昼夜雨雪問わず芝浦急行できるよう研究命じた。 これらの真の目的を知るのは、米内井上先任参謀横鎮トップ3名のみだった。 井上横鎮着任すると、庁舎内に記者控室作ってそこに参考図書備えるなど、新聞記者便宜図った1936年昭和11年2月20日頃、出入り新聞記者から、東京警視庁の前で陸軍夜間演習行ったという情報井上に入る。井上警戒態勢入り2月26日早朝官舎就寝中の井上副官から電話入った。「新聞記者から、本日早朝陸軍反乱起こしたという情報入った」という二・二六事件勃発知らせだった。井上は、幕僚全員鎮守府非常召集するよう命じて自分直ち登庁した。井上が、横鎮に着くと、既に幕僚たちは全員揃っていた。副官から詳細な情報聴いた上で、かねて用意の手打った横鎮砲術参謀自動車で、東京へ実情実視に急派横鎮から海軍砲術学校所属の掌砲兵20人を海軍省急派特別陸戦隊一個大隊用意軽巡洋艦木曽急速出港用意横鎮麾下各部隊自衛警戒井上事前準備功を奏し全ての措置混乱なく実施された。。 午前9時近く長官官舎米内から「俺も出て行った方がいいか」と電話かかってきた。井上は「当面の手全て打ちましたが、やはり長官鎮守府においでの方がよろしいでしょう」と返答した登庁した米内は、井上陸軍反乱部隊宮城占領したどうすべきか問うた。井上は「もしそうなったら、どんなことがあっても陛下比叡横鎮所属)においで願いましょうその後日本国中に号令をかけなさい。陸軍がどんなことを言っても海軍兵力陛下お守りするのだと。とにかく(陛下に)軍艦乗って頂ければ、もうしめたものだ」と即答した特別陸戦隊一個大隊乗せた木曽出港寸前に、軍令部から「待った」がかかった警備派兵には手続要り横鎮長官麾下警備艦管区内を行動させるのにも、軍令部総長天皇命令伝達する形式を踏まねばならないという内容だった。軍令部は「横須賀鎮守府特別陸戦隊(曩<さき>に派遣のものを合せ四(個)大隊基幹とす)を東京派遣し海軍関係諸官庁の自衛警戒任じしめらる」という命令出した。この時点横鎮用意していた特別陸戦隊一個大隊だったので、三個大隊追加編成する必要が生じた。そのため、佐藤正四郎大佐指揮する横鎮特別陸戦隊4個大隊は、その日午後遅くにようやく東京か関の海軍省2012年現在農林水産省本庁舎の場所)に到着した井上にとっては不本意であったが、結果として特別陸戦隊4個大隊(2,000余名)を編成派遣したことで、陸軍反乱部隊歩兵のみで1,500程度)と同規模の陸戦兵力を海軍省配備することができた。 戦後井上二・二六事件当時軍法によると、横鎮所管区域である「神奈川県東京府海岸海面」上で横鎮麾下警備艦行動させるのは横鎮長官権限実施できた。ただし、海軍省警備のために陸戦隊芝浦上陸させるのは、「陸上」は横鎮所管区域はないため、横鎮長官権限越えたかもしれない。これは、横鎮長官有する警備権限解釈、すなわち『鎮守府令』第2条鎮守府所管海軍区警備に関することを掌り」の解釈問題である。結果として軍令部干渉屈してしまったが、「木曽」を芝浦回航するのは、軍令部何を言おうが、横鎮長官権限出来たのだから、直ちにやるべきだった、と悔やんでいる。井上が、海軍省軍務局一課長時代に、生命と職を賭して反対した「省部事務互渉規程改訂」により、改訂前は海軍大臣管轄だった「国内警備艦部隊の派遣」に干渉できるようになっていた軍令部が、横鎮の素早い動き待ったをかけたのは、井上軍務局一課長時代危惧当たったことになる。 11月16日軍令部出仕兼海軍省出仕転じ兵科機関科将校統合問題研究従事海軍大臣永野修身大将特命によって、海軍長年懸案だった「兵科将校機関将校一系化 (兵機一系化)」問題解決専念した1937年昭和12年)、井上は「兵科将校機関科将校両方勤務をこなす少尉候補生育成には、現在の兵学校機関学校修業年限4年でも不足。4年修業年限維持するなら、一系化を促進すべし」という答申書を、海軍次官山本五十六提出した

※この「横須賀鎮守府参謀長」の解説は、「井上成美」の解説の一部です。
「横須賀鎮守府参謀長」を含む「井上成美」の記事については、「井上成美」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「横須賀鎮守府参謀長」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「横須賀鎮守府参謀長」の関連用語

横須賀鎮守府参謀長のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



横須賀鎮守府参謀長のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの井上成美 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS