横領と有罪判決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 16:57 UTC 版)
「ヨハンナ・ヴァン・ベートーヴェン」の記事における「横領と有罪判決」の解説
1811年7月19日、ヨハンナは依頼に基づき真珠のネックレスを20,000フローリンで売却することに合意する。この真珠は3人の人物の共有財産であった。コヨヴィッツ婦人(ヨハンナに売却のためにネックレスを与えた人物)、エリーザベト・デュシャトー(- Duchateau)、ヨーゼフ・ゲスヴァルトの3人である。ヨハンナは家に強盗が押し入った様を偽装し、蓋のない道具箱を破壊して食器棚を開け放った。「強盗」が発見された同日夜、彼女は真珠を手提げ袋に隠した。その後、彼女は以前自分のもとで給仕をしていたアンナ・アイゼンバッハに罪を着せて告発したのである。警察はアイゼンバッハを数日間にわたって尋問したものの、証拠不十分で釈放となる。 1811年8月初旬、ヨハンナが真珠の数珠飾りのひとつを身に着けているのが見つかる。警察の尋問により、彼女はとうとうアーロン・アビネリという男に、他の2つを4,000フローリンで売り渡したことを白状した。夫のカスパールの尽力により、彼女は8月12日に警察の拘束から釈放された。真珠は最終的には元に戻された。 裁判は12月27日に開始された。そこでヨハンナが様々な人物に計数千フローリンの借金をしていたことが明らかとなる。彼女は政府の役人であった夫が自分に金を渡してくれないのだと不平を述べた。1811年12月30日、ヨハンナは横領と中傷の両方につき有罪判決を受けた。後者はアンナ・アイゼンバッハに虚偽の告発を行ったことによるものであった。 裁判所はヨハンナに対し、1年間の「真剣な収監」を言い渡した。これの意味するところは、鉄製の足枷をはめられ、食事は肉類ぬき、裸の板敷の上で就寝、看守以外との会話禁止である。夫が介入したことにより判決は徐々に軽くなり、まず2か月になったかと思うと、続いて1か月のみとなり、最後には皇帝への請願により裁判の開始前に過ごした時間で終わりということになってしまった。この犯罪歴も1804年の窃盗と同じく、後のベートーヴェンとの法廷での争いで非難されることになる。 この事件の後もヨハンナと夫は分不相応な暮らしを続け、借金を重ねていった。1818年にはヨハンナは、1813年に夫と主に購入したアルザーフォアシュタット(英語版)郊外の邸宅を賃貸ししていた部分も含めて売りに出してしまうが、それでも借金は解消されなかった。
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