概念の変遷
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「テクノロジーアセスメント」の記事における「概念の変遷」の解説
1970年代にはテクノロジーアセスメントに対する2つの考え方があったとされる。1つは、技術発展を予測しようという1960年代初頭からの流れに沿ったもの。もう1つは気づきを与える(awareness)TAとして、技術開発の潜在的に望ましくない社会的・経済的影響に意識を持とうというものであり、早期警報(early warning)という言葉とともに初期のTA(伝統的TA)を象徴する概念として知られている。 1970年代前半からTAの実践が米国や日本で盛んになった反面、伝統的TAの概念は1970年代半ばには揺らぐことになる。この理由として、1つは、コリングリッジのジレンマが、理論的考察とともに実践でも明らかになってきたことである。このジレンマは技術は十分に発達し幅広く用いられるまでその影響は十分に予測できないこと(情報の問題)と、予測できるようになるまで技術が社会に埋め込まれると技術の方向性を調節したり変化させにくいこと(力の問題)からなる。もう1つは、意思決定者にいわゆる「客観的な」情報を提示することにこだわり、TAなどの活動は科学の問題であると同時に政治の問題であるということへの意識が足りなかったことである。 こうした問題への反省から、新しいTAはより活動的で戦略的な意識を高めるようになり、これまでの伝統的TAが「番犬」であったのに対して、「追跡犬」と称されるようになった。これは戦略的TAと呼ばれ、1970年代後半から発展した概念である。特定の関係者に焦点を当てることで、社会的目標やニーズを見極め、技術開発を望ましい変化へと戦略的に管理していくというものである。 さらに、1990年代に入り、原子力や遺伝子組み換えの問題を背景に欧州で議会TA機関の活動が盛んになると、一般市民による意思決定への参加や課題設定の重要性がクローズアップされるようになった。これにより参加型TA(participatory TA; pTA)が誕生し、コンセンサス会議やフォーカスグループ、市民陪審、シナリオワークショップなどの手法がデンマークやオランダを中心に発達した。参加型TAはアセスメントの過程をより透明にし、公的議論や社会的学習を促進する目的で行われる。日本でも1990年代末より、主にコンセンサス会議という手法に注目する形で民間や政府系機関で実施されるようになり、一般に広まった。 参加型TAが主に新しいTAのあり方を実践的に規定していることに対し、構築的TA(constructive TA; CTA)は概念的に規定している。ここで「構築的」とは2通りの意味合いがあるとされ、1つは技術の与える影響を予見しながら技術のあり方を構築していくことと、もう1つは技術開発とそれが適用される環境を整備していくことにより、アセスメントのあり方を構築していくという意味がある。従来のアセスメントのように分析だけではなく、介入も含めた統合的な活動ということになる。これは科学技術社会論(STS)と進化経済学の繊細な統合であり、振興的な政策機能と規制的な政策機能とを架橋するものでもある。予見、社会的学習、再帰性という3つの基準を持つ。 その他のTA概念や実践として以下がある。 協働的TA(interactive TA; iTA) より問題解決志向を持った参加型TAであり、あらゆる関係者の参画により民主主義を重視するという点で構築的TAと異なる。また、参加者の権力関係の差異を最小限にするように設計される。 リアルタイムTA(real-time TA; RTTA) 技術マップと公共価値マップによって新たな問題を発見し、(1) 技術についての市民と科学者の理解・価値を歴史的に追跡し、(2) 複数の未来像を提示し市民の選好を見て、それらについて話し合うことで市民と科学者とのコミュニケーションを強化する。 討議的TA(discursive TA) 議論的TA(argumentative TA)とも。国民や政治の目にさらされながら、科学技術を社会的に形作っているアクターの規範的な前提やビジョンをはっきりさせることを目的とする。単に技術変化の側面を見るばかりでなく、科学技術の幅広い影響と、特定の技術の発展がなぜ正統で望ましいのかという根本的な規範的な問題をも扱う。 イノベーティブTA(innovative TA) 構築的TAが技術発展のシステム的性格を軽視しているとし、イノベーションに着目する。共通の短期的目標と長期的ビジョンを確立することを目指し、技術的可能性と社会適用性のバランスを探る。 倫理的TA(ethical TA; eTA) 継続的な対話と低コストなアセスメントの繰り返しを行う。技術のライフサイクル全体を俯瞰し、野心的な未来像を否定する。多様な参加者を募り、結果についても広くコミュニケーションする。
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概念の変遷
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「モンゴリアン」概念は1785年にドイツ・ゲッティンゲン大学の学者であるクリストフ・マイナースによって初めて導入された。マイナースは人類を「タルタル・コーカサス人」と「モンゴリアン」の2つの人種に分け、前者は美しく、後者は「身体と精神が弱く、悪徳で美徳に欠けている」と信じていた。 その後、ブルーメンバッハがDe Generis Humanis varietate Nativa (ヒトの自然的変種)1795年改訂版で、人類を五大人種(コーカシア/白人種、モンゴリカ/黄色人種、エチオピカ/黒人種、アメリカナ/赤色人種、マライカ/茶色人種)に分けたことで広まった 。 過去には次のような説もあったが、DNA分析の結果などから現在は否定されている。 ユーラシア大陸東部に居住したモンゴロイドは、既に絶滅したとされる北京原人やジャワ原人の子孫であるという説。 なお、「モンゴロイド」という概念は、数世紀前の人種差別に基づく古い分類であり、最新の科学的な根拠に基づいていない分類である、とする見方もある。
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