概念の変容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 10:19 UTC 版)
ロシア革命において、レーニンが「どんな法律によっても、絶対にどんな規則によっても束縛されない、直接暴力で自ら保持する無制限の権力」(レーニン『プロレタリア革命と背教者カウツキー』)としてプロレタリア独裁を規定し、彼の指導を批判したカール・カウツキー『プロレタリアートの独裁』に反論した。だが実際には、彼の指導する共産党支配は次第に、立法と執行が一体になったソヴィエト型政体、ひいては一党制や、法にもとづかない「反革命」弾圧・「粛清」をおこなう権力を意味するものへ変質していき、さらに1918年4月28日には『ソヴェト権力の当面の任務』で「個人の独裁はきわめてしばしば革命的階級の独裁の表現者であり、担い手であり、先導者であった」として個人の独裁も肯定し、鉄道管理などで企業内に無制限な個人独裁全権(ワンマン経営)を与えた。そして、スターリンがマルクス・レーニン主義を定式化する際にレーニンにおいては社会主義社会への移行段階とされていたプロレタリア独裁段階の社会そのものを社会主義社会とする理論化をおこない、この規定の承認をコミンテルンの加盟要件の一つとしたために、ソ連とその流れをくむマルクス主義においては、プロレタリアート独裁とは、職業革命家による前衛党つまりは共産党の一党支配を意味するものとなった。 一方、コミンテルンから排除された左翼共産主義者や評議会共産主義者は、プロレタリア独裁の概念をあくまでプロレタリア大衆の自発的なイニシアチブによるものと主張し、ソ連型の「プロレタリア独裁」を否定した。
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