金正日政権
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先軍政治という言葉が北朝鮮のマスメディアに登場したのは金正日が朝鮮労働党中央委員会総書記に就任した1997年(主体86年)である。そして、金正日は先軍政治について「先軍政治は私の基本的な政治方式であり、我々の革命を勝利に導くための、万能の宝剣です」と述べたとされる(『労働新聞』1999年6月16日付記事)。また、「人民軍隊は我々の革命の柱であり、チュチェ革命偉業完成の主力軍です」と述べたとされる。こうしたことから、社会主義建設においてプロレタリアートの役割を最重視するマルクス・レーニン主義とは根本的に異なる。 「プロレタリア独裁#概念の変容」および「金正日#最高指導者として」も参照 そして、北朝鮮で出版された文献をみると、他の社会主義国は、労働者階級の党(共産党など)がまず建設され、それに基づき軍が建設されるという「先党後軍」の「先労政治方式」を採っているが、北朝鮮では逆に、金日成主席によって朝鮮人民軍の前身である朝鮮人民革命軍がまず創建され、祖国解放を成し遂げた後に朝鮮労働党が創建され、続いて軍を正規武力に強化発展させ、建国偉業を成し遂げたとしている。 詳細は「東北人民革命軍#沿革」および「朝鮮人民軍#創設」を参照 また、ソ連やルーマニアの社会主義政権崩壊を例に挙げ、それらの国々では軍事の問題を正しく解決しなかったことで、軍が反革命に同調してしまい、政権崩壊に導いたと分析している。 「ソ連地上軍#ソ連の崩壊後」および「ルーマニア革命 (1989年)#前史」も参照 先軍政治が北朝鮮のメディアで喧伝されるようになるにつれ、金正日による軍の視察も盛んに報じられるようになった。そして、2002年9月17日、金正日が日朝平壌宣言に調印した際も、「朝鮮労働党総書記」ではなく「朝鮮民主主義人民共和国国防委員会委員長」という肩書を用いた。こうしたことから、北朝鮮問題のアナリストである重村智計は、朝鮮労働党の支配がすでに形骸化しており、党が軍を指導するのではなく、軍が党を指導する状態になっている、即ち事実上の軍事政権と化していたと指摘した。ただし、実際は金正日が事実上部長兼務だった党中央委員会政務局組織指導部が権勢を振るっていたことから、党中央の軍に対する統率支配はその後も維持されていたとする分析もある。 詳細は「朝鮮民主主義人民共和国#支配政党と軍の関係」および「朝鮮労働党組織指導部#概要」を参照
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