金正男からの絶縁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/18 05:03 UTC 版)
五味は、告白本出版の前年である2011年(平成23年)1月28日に、金正男へのインタビュー内容を記事にして東京新聞に掲載し、三代世襲を批判するだけでなく、(金正恩が関わっていたとされる)デノミネーションの失敗を指摘した上で、北朝鮮は中国式の改革開放を進めるべきとする、金正男の発言が公にされた。その記事に関して警告を受けたことで自身に対して厳しい本国情勢と時勢の変化を見て取った金正男は、五味との交流をなおも続けたものの、政治に関する話題は意識的に避けるようになった。 なお、このとき五味は「次回会う機会があれば、取材を離れて、友人としてお付き合いいたしましょう。」と提案し、金正男は「友人とお会いすることには同意します。平壌の方から警告もあったことですし、インタビューには応じない考えです。(五味が記事にした)前回のインタビューについてあまり考えなくてもいいですよ。時期が時期だけに、平壌も敏感になっているのでしょう。平壌の心情が分かったので、注意します。良い週末を。」と五味を気遣いながら取材から離れた付き合いを継続することに応じている。 同年12月17日の金正日死去と前後して自身の立ち位置が更に不安定になると、金正男は父の喪が明けた後に告白本の出版時期について慎重に考えたい意向を示すようになり、12月31日にはメールで「ご理解をお願いします。北朝鮮の政権が、私に危険をもたらす可能性もあります。」とその時点での出版を止めるよう五味に要請した。しかし、既に出版準備を進めていた五味は「北朝鮮が17年間統治した指導者を失い、どの方向に向かうかはっきりしない中で、長男の意見を広く世間に伝えるほうが意味がある」「正男氏のイメージが変わり、多くの人が関心を持つようになれば、逆に正男氏にうかつなことはできなくなる」として出版を強行した。金正男は五味に対して「本を出すなら、われわれの関係は終わりだ」と伝えて連絡を絶った。 告白本出版に当たって行われた日本外国特派員協会での会見で、五味は「(東京新聞を)リタイヤしたら、彼の本当の友達になれると期待している」と述べていたが、告白本の出版以降に金正男が五味からの電話やメールに応答することはなく、両者の交流が再開されることはなかった。なお、五味と同様に金正男とコンタクトを取りながらもその公表を控えていた朝日新聞の峯村健司と金正男の関係は告白本出版後も継続していた。また、時期は不明であるが告白本出版後、フリーライターの李策が記事にしないことを条件にコンタクトを試みたところ、金正男は「記者はそう言いながら、結局は書くじゃないか」と頑なに拒んだ。 金正男へのインタビューに同行していた五味の妻も告白本出版には反対しており、金正男との連絡が途絶えて以降、「(金正男は)とてもやさしそうな人だった。本が出てショックを受けたんじゃないの。あの人となら一生の友達になれたと思う。」と五味を窘めていたという。
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