金正男の告白本
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2004年9月25日、北京首都空港で朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)の外務省副局長宋日昊の出待ちをしていた報道陣の前に、当時の北朝鮮最高指導者であった金正日の長男である金正男が姿を表した。現場に居合わせた記者らは金正男に声をかけるとともに名刺を渡した。 五味もその中の1人であったが、金正男から電子メールが送られてきたことから複数回メールのやり取りを交わした。しかし、そのやり取りの後は両者の連絡は久しく絶えていた。 2008年頃から金正日の健康不安が伝えられる中、異母弟の金正恩が金正日の後継となり三代に渡る北朝鮮の権力世襲が行われる既定路線に不満を持つようになった金正男は、2010年9月の第3回朝鮮労働党代表者会で金正恩が後継者として事実上公式化されたころから日本メディアと接触するようになった。 金正男は五味にも同年10月22日に6年ぶりとなるメールを送り、三代世襲の公式化から1年が経つ2011年10月10日に自分とのやり取りを公開してほしいと伝えた。 これを受けた五味は最終的に150回ほどのメール交換だけでなく、2回に亘る合計7時間の独占インタビューを設けることに成功した。 五味は取材を受ける相手として自分が金正男に選ばれた理由を、ほとんどの者が北朝鮮の後継者レースから外れた金正男のことを政治的に重要でないと考える中、自分のみが真摯な関心を持って自分の時間と資金を割きながら取材と記事の執筆を続けたジャーナリストであったからだとしている。 五味はこれらの取材を元に、金正男の告白本として『父・金正日と私』を金正日死去の翌月である2012年1月に出版した。2010年10月のテレビ朝日によるインタビューなどで北朝鮮の権力世襲に対して金正男が否定的な見解を持っていることは既に公にされていたが、同書によって「この世界で、正常な思考を持っている人間なら、三代世襲に追従することはできません」などと世襲を強く批判する金正男の発言や金正日も三代世襲に否定的だったとする証言が公開された。また同時に、日本をはじめとする国外に対する金正男の理解の深さについても明らかとなり、その内容については海外からも大きな関心を集めた。同書は第44回大宅壮一ノンフィクション賞候補作品となった(ただし、受賞は逃した)。
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