金正日の死後の関係
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2011年12月17日の金正日の死後、彼の子である金正恩が政権を継いだ。 2年以上が経った2012年3月16日、北朝鮮は金日成生誕100周年を記念して人工衛星の光明星3号を打ち上げることを発表した。この発表は人工衛星の打ち上げが技術的にミサイル発射に繋がるのではないかとのアメリカ人の不安を掻き立てた。これは金正恩の初期の悪戯の始まりであり、問題に対峙する北朝鮮に戻ってきた新しく若い指導者についての憶測を生んだ。アメリカもまたミサイル計画への報復として北朝鮮への食糧支援を中止した。 2012年8月、ダニエル・ラッセル大統領特別補佐官とシドニー・サイラーはグアムから平壌入りし、2日間滞在した。韓国のある外交の情報源は、「明らかに再選を目指していたバラク・オバマ大統領は、 大統領選挙での混乱を最小化するため秘密裏に職員を北朝鮮に派遣していた」と語った。他の分析家は、「そのようなワシントンと平壌の直接対話が将来においても続くことを除外できる者はいなかった」と語っている。 しかしながら、2012年12月11日、北朝鮮は3月に行った失敗とは対照的に、ミサイル発射を成功させた。アメリカは西海岸に届くかもしれない長距離弾道ミサイルの開発を続けていると広く信じられている北朝鮮のその行為を強く非難した。2013年3月29日、金正恩は「ロケットは太平洋の米軍基地を攻撃する準備ができていると宣言する」ことによってアメリカを恫喝した。その宣言は前日に2機のB2ステルス爆撃機が朝鮮半島上空を航行したことに対するものだった。金正恩による攻撃宣言後、4月3日にペンタゴンは進んだミサイル防衛システムであるTHAADの西太平洋への展開を宣言した。チャック・ヘーゲル国防長官は、北朝鮮がアメリカだけでなく日本や韓国にとって「本当のそして明らかな脅威」となっていると語った。アメリカの領土であるグアムへの一連の展開は、ワシントンが北朝鮮との対立を過去数年の危機と同様ではない憂慮すべきものみなした今までにない最も大きな示威行為だった。また、航続距離が長く、スタンドオフの兵器を準備することも提案された。2013年4月12日、韓国のソウルを訪問したジョン・ケリー国務長官は、「北朝鮮を核保有国として受け入れることはない」と語り、北朝鮮によるミサイルの発射は「大きな誤りだった」と述べた。2013年4月18日、北朝鮮はワシントンD.C.またはソウルで開催される場合の対話の条件を提示した。それらの中には国際連合による制裁の停止と米韓合同軍事演習の終了が含まれていた。 2013年4月26日、北朝鮮はある不特定の国家反逆罪を犯したアメリカ人を逮捕したと発表した。アメリカ政府はその人物がケネス・べであることを明かした。2013年5月2日、べは「敵対行為」の罪に問われ、15年の労働強化刑を言い渡された。アメリカは彼の釈放を求めたが、北朝鮮は彼の釈放を求める著名なアメリカ人の訪問を許容するいかなる可能性も拒絶した。以前北朝鮮を訪問したことがあり、金正日の友人となったデニス・ロッドマンもべの釈放を求めるツイートをした。ロッドマンは8月に再び北朝鮮を訪問し、べの解放を試みると語った。2014年5月2日、平壌の朝鮮中央通信は北朝鮮国民によって書かれた4つのエッセー記事を配信した。記事の内容はバラク・オバマ大統領に対する激しい批判と人種差別的な批評だった。 2014年6月、北朝鮮で「敵対行為」を行った2人のアメリカ人が拘束された。2014年7月28日、アメリカ議会下院は2013年の北朝鮮制裁施行法を通過させたが、上院を通過することはできなかった。2014年8月20日、毎年行われる米韓合同軍事演習のさなか、北朝鮮政府の報道官はアメリカのジョン・ケリー国務長官を「羊の皮をかぶった狼」だと言及し、米韓と北朝鮮政府は非難の応酬となった。2015年1月、バラク・オバマ大統領は北朝鮮政府はそのうちに崩壊すると信じていることを示唆した。2016年7月28日、北朝鮮外務省米国課の幹部は、アメリカが制裁対象の個人リストに金正恩を加えたことはアメリカが宣戦を布告したことと同義であり、「レッド・ライン」を越えたと主張した。
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