金正日の伴侶に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 07:12 UTC 版)
1970年代半ば、「喜び組」の接待役の1人となった。そこで金正日に見初められて、彼の「3番目の妻」となった。きっかけは金正日の秘密パーティーに参加して、彼の横に座ったことだったという[5]。1977年ごろ、金正日と同居を始め、1981年に金正哲、1984年に金正恩、1988年に金与正をもうけた。2001年に亡命してアメリカに渡った妹の高英淑は、当時、高容姫の子どもたち全員の世話をしていた。高容姫が次期指導者として党と軍で昇進を重ねる金正日の付き添いで多忙をきわめていたからである。なお、高英淑の証言によれば、金正恩は母高容姫が「遊んでばかりいないで勉強しなさい」と叱ると食事をしなかったという。 美しい踊り子から実質的なファースト・レディとなった高容姫は、同時にたいへんな野心家でもあった。彼女は子ども時代の金正恩を「金星大将」と呼んでいた。高容姫と子ども時代の金正恩が一緒に写っている写真には、大将位をあらわす肩に四つ星の軍服を着た、頬の赤い6歳くらいの正恩将軍と、彼の方に身を乗り出している母の姿がみえる。モスクワに長期間滞在し、体調をくずして気分のすぐれない状態のつづいた成蕙琳に対し、高容姫は金正日のそば近くにいて伴侶として寵愛を受けた。「トムとジェリー」「ドナルド・ダック」といったアニメーションが朝鮮語に吹き替えられ、幼い子供たちが視聴する時間帯に突如放送が始まったのは、高容姫が金正日に陰で影響をあたえた結果だともいわれている。
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