用例と概念の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 21:42 UTC 版)
『万葉集』には柿本人麻呂の歌として「皇(すめろぎ)は神にしませば天雲(あまくも)の雷(いかづち)の上に廬(いほり)せすかも」とある。奈良朝頃の詔(宣命)では「現御神と……しろしめす」のように「と」が付いて「しろしめす」を修飾する用例が多い。近代では例えば「國體の本義」(1935年)において次のように用いられている。 天皇は、皇祖皇宗の御心のまにまに我が国を統治し給ふ現御神であらせられる。この現御神(明神)或は現人神と申し奉るのは、所謂(いわゆる)絶対神とか、全知全能の神とかいふが如き意味の神とは異なり、皇祖皇宗がその神裔であらせられる天皇に現れまし、天皇は皇祖皇宗と御一体であらせられ、永久に臣民・国土の生成発展の本源にましまし、限りなく尊く畏(かしこ)き御方であることを示すのである。 —『國體の本義』文部省 編纂 内閣印刷局 p.23-4(国立国会図書館) 1941年に文部省が発行した修身の国定教科書(小学校二年生用)には、「日本ヨイ国、キヨイ国。世界ニ一ツノ神ノ国」「日本ヨイ国、強イ国。世界ニカガヤクエライ国」と書かれている。 なお陸軍中将であった石原莞爾は日蓮主義の見地から独特の終末論的な世界観を持っていたが、著書の『戦争史大観』(1941年)には「人類が心から現人神の信仰に悟入したところに、王道文明は初めてその真価を発揮する。」「更に端的に云えば、現人神たる天皇の御存在が世界統一の霊力である。しかも世界人類をしてこの信仰に達せしむる」としている。本書は用紙統制・出版統制が行われている中で検閲を通過して出版されている。 戦後においては正面から天皇が現人神と扱われることは稀であるが、天皇に関係する行事で天候が一時好転した際(昭和天皇の大喪の礼)などに修辞として「御稜威」(みいつ)と書かれる例などもある。
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