提案された延長計画
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「IRTノストランド・アベニュー線」の記事における「提案された延長計画」の解説
マリン・パーク(英語版)(現在キングス・プラザ(英語版)となっている場所)まで、ユーティカ・アベニュー(英語版)に建設するまったくの新線か、ノストランド・アベニュー(英語版)とフラットブッシュ・アベニュー(英語版)のデュアル・コントラクトの一環として建設されたばかりのIRTノストランド・アベニュー線を使って延長することが計画されていた。これとは別に、ノストランド・アベニュー線をさらにノストランド・アベニューに沿ってシープスヘッド・ベイまで伸ばす案もあった。 1919年1月に公共事業委員会は、ロングアイランド鉄道のマンハッタン・ビーチ支線(英語版)を使ってノストランド・アベニュー線をコニーアイランドまで延長する決定をした。この延長は、コニーアイランドへの旅客は、ブルックリン・ラピッド・トランジットを利用した場合にかかる2倍の運賃を負担せずに行けるようになるということを意味した。これ以前は、フラットブッシュ・アベニューの南にヤードの建設が検討されていたが、この延伸線と一緒にヤードの建設もできることになった。マンハッタン・ビーチ支線は電化する必要があった。接続工事には25万ドルがかかると見積もられた。マンハッタン・ビーチ支線の敷地に貨物列車用の追加の2本の線路を建設する必要があった。この追加線路の費用を含めて合計95万ドルがかかるとされた。 ノストランド・アベニュー線は、1929年にIND第2路線網の一環としても延長が計画されていた。路線はキングス・ハイウェイまで地下で延伸し、そこからアベニューSまで高架線として延伸され、費用は740万ドルを見込んでいた。アベニューSより南では、ヴーリーズ・アベニューへ、構想されていたユーティカ・アベニュー線と共用の複々線の構造で延伸し、その費用は320万ドルを見込んでいた。 1939年には、アベニューTまでは地下鉄として、そこからは高架線としてシープスヘッド・ベイ(英語版)のヴーリーズ・アベニューまで、ノストランド・アベニュー線を延長する計画がされた。1946年には、ニューヨーク市交通委員会(英語版)が地下鉄網を市域末端まで拡大する10億ドルの計画を発表し、その一環として再びノストランド・アベニュー線はヴーリーズ・アベニューまでの延長が計画された。 1951年9月13日、評価委員会は交通委員会の5億ドルの計画を承認した。その一環としてノストランド・アベニュー線は、シープスヘッド・ベイ(英語版)のヴーリーズ・アベニューまで延長されることになった。 1954年3月に、交通局はノストランド・アベニュー線をアベニューUまで5170万ドルかけて延長する案を含む、6億5800万ドルの建設計画を発表した。 ノストランド・アベニュー線は、新たに設置されたメトロポリタン・トランスポーテーション・オーソリティが1968年に発表したプログラム・フォー・アクションにおいて、再び南側への延長が計画された。当時急成長していたミル・ベースン(英語版)やスプリング・クリーク(英語版)といった地区に数回に分けて延長することになっていた。IRTイースタン・パークウェイ線のロジャーズ・ジャンクションは、二層になっているイースタン・パークウェイ線の線路からノストランド・アベニュー線が平面で分岐していく構造であるため、ラッシュ時には深刻なボトルネックとなっていた。路線網の拡大に向けて、ロジャーズ・ジャンクションの容量を増やすために、立体交差が建設されることになっていた。当初の計画では、IRTノストランド・アベニュー線はフラットブッシュ・アベニュー-ブルックリン・カレッジ駅からフラットブッシュ・アベニュー(英語版)に沿って伸ばして、キングス・プラザ(英語版)にあるアベニューUに新しい現代的な終点駅を設けることになっていた。この延長工事には6000万ドルがかかると見込まれていた。他の案としては、アベニューHでトンネルを出てノストランド・アベニュー(英語版)に沿って伸ばして、シープスヘッド・ベイ(英語版)のアベニューWまたはヴーリーズ・アベニューに終点を設ける計画があった。この2番目の計画は、この路線の当初の建設計画の一環として提案されていたものであった。1969年6月3日に評価委員会が承認したルート29-C(ノストランド・アベニュー案)では、キングス・ハイウェイ、アベニューR、アベニューWの3か所の駅を新設し、アベニューWの南側に車両留置施設を建設することになっていた。どちらの延長計画であっても、フラットブッシュ・アベニューでの折り返しが必要でなくなるため、遅延が減少し運行効率が改善されるものとされていた。 1972年の夏には、IRTノストランド・アベニュー線のアベニューWへの延長計画の設計が行われていた。1974年11月には、MTAはノストランド・アベニュー線の延長は1993年までに開業すると計画していた。1975年から1976年にかけてニューヨーク市を襲った財政危機により、残されていた計画のほとんどの予算が付かず、そのまま立ち消えていくことになった。1970年代半ばから1980年代初めにかけて完成すると見込まれていた、プログラム・フォー・アクションの路線群は、どれもこの財政危機により縮小か中止されることになった。 1968年に、そして再度1989年に、MTAは現在の配線によって生じる運行上の制約を除去するために、折り返し施設を設けるための空間を確保するよう、フラットブッシュ・アベニュー駅を約1,000フィート(約300メートル)先まで延長する検討を行った。 2008年10月に、地域計画協会の「明日の交通」報告では、ブルックリンのAディビジョンの地下鉄の所要時間や信頼性を改善するために、ノストランド・アベニュー線を2駅伸ばしてキングス・ハイウェイまで延長するべきであるとした。 2016年8月、MTAはノストランド・アベニュー線をフラットブッシュ・アベニューに沿ってマリン・パークまで延長し、キングス・プラザまで列車を運転できるようにすることを検討していると報じられた。
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提案された延長計画
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「インディペンデント・サブウェイ・システム」の記事における「提案された延長計画」の解説
ハイラン市長は、IND最初の路線が完成する以前の1922年の時点で、実際に建設されることのなかった路線を提案している。そうした路線には以下のようなものがあった。 14丁目からヨンカーズとの市境まで、マンハッタンのウェスト・サイドの幹線。14丁目から162丁目までは複々線、そこからダイクマン・ストリートまでは3線、そこから終点までは複線とする。162丁目から190丁目まで、アムステルダム・アベニューを通る複線の支線を設定する。14丁目からBMTカナーシー線へ複線で接続し、さらに複線が南へ伸びてバッテリー・パークにあるループ線まで、またイースト川のトンネルを潜ってブルックリンのアトランティック・アベニューとヒックス・ストリートまで通じる。レッドフックへの路線の計画もあったとされている。 1番街をハーレム川から10丁目までの複々線の幹線。10丁目で路線は分岐する。複線の線路が3番街とバワリーを通って、ブルックリンの新しいラファイエット・アベニューの地下鉄へ通じる。別の複線はシティ・ホールまで走り、そこで折り返しループ線となる。ハーレム川からは、161丁目まで走り3線の路線2本に分岐する。一方はフォードハム・ロードおよびサザン・ブールバードへ、もう一方はウェブスター・アベニューとフォードハム・ロードへ通じ、そこで現在のIRTホワイト・プレーンズ・ロード線に接続して241丁目まで行く。この区間のIRTの高架鉄道はBMTと同じ建築限界で造られており、ハイランの構想する地下鉄網でも同様にBMTの建築限界を採用することを検討していたため、この区間に対して乗り入れのために実施する必要があるのは、プラットホームを削って後退させることだけであった。 125丁目の、現在のヘンリー・ハドソン・パークウェイ(英語版)から東西方向に横断し、イースト川を渡ってクイーンズ区のアストリア(英語版)までの路線。おそらくBMTアストリア線と接続。 クイーンズの、こんにちのIRTフラッシング線のハンターズ・ポイント・アベニュー駅付近から、場所によって複線か複々線により南東方向へ向かい、ブルックリンのラファイエット・アベニューへ達する。そこで路線は分岐し、複線が再び複々線になってラファイエット・アベニューに沿って伸びる。もう一方の複線はフラットブッシュ・アベニューとフランクリン・アベニューに沿って伸びる。 ブルックリン・ボロー・ホール(英語版)からラファイエット・アベニューを通ってベッドフォード・アベニュー(英語版)までの複々線の地下鉄。そこからブロードウェイの下を3線で通りサイプレス・ヒルズまで行き、そこからこんにちのBMTジャマイカ線に沿って走る。この路線は、BMTジャマイカ線の一時期の終点であった168丁目駅(英語版)までの予定であった。この路線はブロードウェイに沿った直下の線を直線的に走る予定で、BMTと旅客を巡って直接的な競合となり、ハイランの意見ではBMTの収入を奪うだろうとされていた。ラファイエット・アベニューの複線の路線は、提案されていた1番街の路線と接続する予定であった。 ブルックリンでのIRTイースタン・パークウェイ線からの支線で、ユーティカ・アベニュー(英語版)の下を通ってフラットランズ・アベニュー(英語版)まで。 フラットブッシュ・アベニュー下の複々線地下鉄で、ノストランド・アベニュー(英語版)へ向かい、シープズヘッド・ベイのエモンズ・アベニューへ向かって、西に向きを変えてエモンズ・アベニューに入り、コニーアイランドのサーフ・アベニューまで。この路線の支線がフラットブッシュ・アベニューの地下をフロイド・ベネット飛行場(英語版)へ伸びることになっていた。 BMTカナーシー線を延長して、BMTジャマイカ線のクイーンズ121丁目より先のどこかまで。 プロスペクト・アベニューからフォート・ハミルトン・パークウェイを経由して10番街を通り、90丁目までの新線。BMTカルバー線の列車がこの路線を走る予定であった。 ブルックリンのBMT4番街線を南へベイ・リッジ-95丁目駅まで延伸。これはその他の計画の中で完成した唯一の路線である。 BMT4番街線を東へフォート・ハミルトン・パークウェイ線およびBMTウェストエンド線まで延長。 BMT4番街線から67丁目で分岐する複線の路線で、スタテンアイランドトンネルを通ってスタテンアイランドへ。 IRTニューロッツ線をニューロッツ・アベニューからルファーツ・ブールバードまで延長。 IRTフラッシング線をメインストリート、キッセナ・ブールバード、ノーザン・ブールバードを経由してベイサイドのベル・ブールバードまで延伸。 IRTフラッシング線のルーズベルト・アベニューから分岐してジャマイカまでの支線。 INDの大規模拡張は、1929年に初めて計画された。マンハッタン、ブルックリン、クイーンズ、ブロンクスにおいて100マイル(約160キロメートル)以上の路線を建設し、既存のINDの路線と統合し、交差し、延長するものであった。この拡大計画により、既存のIRT、BMT、INDの路線網と組み合わせることで、これらの4つの区に住むどの人にとっても、自宅から半マイル(約800メートル)以内に地下鉄が運行されることになるとされていた。買収や設備購入の費用も含めて、建設費用は4億3800万ドルと見積もられていた。第1段階の全線の建設費は3億3800万ドルであった。この計画が公表されて間もなく、ウォール街大暴落が起きて世界恐慌が始まり、一夜にしてこの計画は歴史上のものとなった。様々な形で拡張計画が1939年、1940年、1951年、1968年、そして1998年と何度も再浮上したが、実現することはなかった。この拡張計画は、INDが大規模な高架鉄道の建設を計画した時期でもあった。 この計画の主要部の1つであるIND2番街線は、2017年現在、63丁目と105丁目の間で運行中である。
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