BMTカルバー線(1875年 - 1954年)
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「INDカルバー線」の記事における「BMTカルバー線(1875年 - 1954年)」の解説
当初のカルバー線は、プロスペクト・パーク・アンド・コニー・アイランド鉄道によって、マクドナルド・アベニュー(当時はグレイブスエンド・アベニューと呼ばれていた)の地上に、グリーンウッド墓地とコニーアイランドを結んで1875年6月25日に開通した。グリーンウッド墓地では、同社が1886年まで運行していたヴァンダービルト・アベニュー線(英語版)の馬車鉄道と連絡していた。さらに、パークビルの分岐点からプロスペクト・パーク・アンド・サウス・ブルックリン鉄道を利用することで、36丁目にあるユニオン・デポまで1890年6月7日に運行を開始し、そこでBMT5番街線と連絡した。1893年から1899年まで、ロングアイランド鉄道の支配下に置かれた間に、1895年に36丁目に勾配線が開設され、ブルックリン高架鉄道(英語版)の列車がカルバー線を走ってコニー・アイランドまで直通できるようになった。当時ブルックリン高架鉄道を所有していたブルックリン・ラピッド・トランジット (BRT) は、1899年6月18日からカルバー線をブルックリン・ハイツ鉄道(英語版)へ貸し付け、高架鉄道の列車だけでなく路面電車もカルバー線を走ってコニー・アイランドへ行くようになった。 ニューヨーク市とBRTが結んだデュアル・コントラクト(英語版)の第4契約の一環として、5番街線の南東から南へコニー・アイランドまで、カルバー線の上に3線の高架鉄道が建設された。9番街駅で、高架化されたカルバー線はBMTウェスト・エンド線と合流し、両方の路線から北西方面へ5番街線とBMT4番街線へと通じていた。1919年3月16日の午前3時に、9番街駅の南東側からキングス・ハイウェイ駅の南まで、新しい高架構造物の最初の区間が開通した。15丁目駅が省かれた以外は、地上の路線に存在していた駅はすべて高架線にも設けられた。カルバー線は5番街線の支線として運営され、9番街駅では4番街線へ直通するウェスト・エンド線へ無料の乗換ができた。アベニューX駅まで1919年5月10日の正午に延長された。コニー・アイランドまでの残りの4駅間は、1920年5月1日に開通して完成したが、この時点でBRTは運賃を10セントから5セントに値下げを強いられていた。この延伸では、西8丁目-ニューヨーク水族館駅より東側に既に存在していたBMTブライトン線の下層階へと接続された。カルバー線の当時の5系統の列車は、1931年5月30日にロウアー・マンハッタンにあるBMTブルックリンループ線(英語版)が開通すると、地下鉄の4番街線を通じてブルックリンループ線まで運行されるようになった。5番街の高架線は1940年5月31日に廃止された。路面電車は、マクドナルド・アベニューの地上に敷設された線路で1956年10月30日まで運行された。
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