打狗英国領事館文化園区
(打狗英国領事館 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 23:19 UTC 版)
打狗英国領事館文化園区(だくえいこくりょうじかんぶんかえんく、繁体字中国語: 打狗英國領事館文化園區)は台湾高雄市鼓山区高雄港にある旧イギリス領事館と領事官邸、両館を繋ぐ山道を包括する建造物群。
註釈
- ^ TakaoをDagou、Takowと表記する場合もある
出典
- ^ 觀光遊憩據點 Scenic Spots 交通部観光局観光統計資料庫
- ^ a b c d 葉振輝 (2004). 打狗英領館的文化故事. 高雄市政府文化局. ISBN 957-01-8075-7 国家図書館
- ^ “高雄の旧英国領事館、約30年ぶりに海臨む かつての港の風景を再生/台湾”. フォーカス台湾. (2018年7月29日)
- ^ a b 柯耀源 (2004-12-01). 高雄市古蹟及歷史建築. 高雄市政府文化局. ISBN 9789570189728 国家図書館
- ^ 臺閩地區公私立博物館專輯-博物館巡禮
- ^ “高市府正名打狗英國領事館 將編專款復舊”. 中央通訊社 (大紀元). (2009年2月4日)
- ^ a b 林會承 (2002). “台灣清末洋式建築研究(一)洋關、領事館、燈塔及洋行”. 藝術評論 (13).
- ^ 高雄榮民總醫院曁打狗英國領事館館藏油畫畫展台灣國展委員會
- ^ a b “仿真蠟像重回1879年情景 打狗英國領事館再現英倫風華”. ETToday. (2013年11月11日)
- ^ Camille Imbault-Huart (1893). L'île Formose : histoire et description. Paris
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 林世超 (2008). 高雄州水產試驗場(英國領事館)及前清打狗英國領事館登山古道調查研究暨修復計畫: 高雄市市定古蹟. 高雄市政府文化局. ISBN 9789860132335 国家図書館
- ^ 中央気象台一覧. 中央気象台. (1932). p. 163 国立国会図書館
- ^ a b "第四章 日治昭和時期台灣氣象建築個案研究 高雄海洋觀測所". 台灣氣象建築史料調查研究. 期末報告 (PDF) (Report). 中央気象局. 1 January 2013.
- ^ 林品章、蘇文清 (1997-07-11). “昭和六年(1931)高雄港勢展覽會及其視覺傳達設計相關研究”. 設計學報(Journal of Design) (中華民國設計學會) (第2卷 第2期). ISSN 1606-8327 .
- ^ 林品彰、『デザイン学研究』 (日本デザイン学会) (48巻 1号): 頁93-102. (2001年). ISSN 2186-5221. 日本統治時期の大型行事にみる視覚伝達デザイン : 台湾視覚伝達デザイン史研究(5).
- ^ a b c d 李乾朗 (1987). 前清打狗英國領事館修復工程報告書. 李乾朗古建築研究室 国家図書館
- ^ 侯輝煌 (1999). 高雄市古蹟簡介. 高雄市政府民生局. p. 20 国家図書館
- ^ “高雄古蹟前清打狗英國領事館 委外經營開工”. 大紀元. (2004年5月23日)
- ^ “高雄前清英領館將開幕 英贈女王肖像祝賀”. 大紀元. (2004年9月22日)
- ^ “園冶獎頒獎 縣市長趁機要經費”. 自由時報 (大紀元). (2005年5月15日)
- ^ “文化部、台北公会堂など3つの有形文化財を「国定古蹟」に昇格”. Taiwan Today. (2019年2月26日)
- 1 打狗英国領事館文化園区とは
- 2 打狗英国領事館文化園区の概要
- 3 打狗英国領事館
- 4 打狗英国領事官邸
- 5 登山歩道
- 6 アクセス
打狗英国領事館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 23:03 UTC 版)
「打狗英国領事館文化園区」の記事における「打狗英国領事館」の解説
1858年、清朝政府とイギリス政府の間で天津条約締結に伴い打狗港が開港し、1864年に同港に税関が設置されることになった。淡水にあった領事館から副領事のロバート・スウィンホーが派遣されたが、当初は港内の廃船「三葉号(Ternate)」を借りて領事業務を行っていた。翌1965年2月に打狗副領事館は領事館に昇格、旗後(中国語版)(現在の旗津区の一部)にあった華人の住居を領事館として借り上げた。同年8月にマックフェイル商会(McPhail & Co、天利洋行)が哨船町(中国語版)(現在の鼓山区哨船頭里)に建てた赤レンガ造りの西洋建築の社屋が完成し、1867年5月からイギリスが借り上げ1910年まで領事館として使われた。その後日本政府(台湾総督府)が水産試験場として、戦後も台湾政府が水産試験所(中国語版)として使用した。2005年に「高雄州水産試験場(英国領事館)」という名義で市政府に古蹟登録を受けた。その後予算が投入され修復をされている。 麓の領事館は対外業務を行う公館であり、埠頭、税関、商船への接近性からこの場所が選ばれた。当時のイギリス政府にとって打狗地区における重要な業務拠点であり、領事裁判権を有していたことから拿捕、牢獄の機能も備えていた:頁18。打狗港地区における規約違反者には洋の東西を問わず罰則として牢獄に幽閉していた。日本の水産試験所として使われた際に大幅な改築がなされたため、清朝時代の面影をみることはほとんどできなくなっている。 1868年に台南の安平港で起きた樟脳貿易を巡る台湾道(中国語版)役人とイギリス人との争いが安平砲擊事件(中国語版)に発展し、打狗領事館が処理に当たっている:頁27、28。 哨船頭では道路を除いて旧領事館と海の間を隔てるものは何もなかったが、戦後は海巡署の安検所(中国語版)事務所が設けられていた。しかし2018年夏に撤去され、往時の姿を取り戻している。
※この「打狗英国領事館」の解説は、「打狗英国領事館文化園区」の解説の一部です。
「打狗英国領事館」を含む「打狗英国領事館文化園区」の記事については、「打狗英国領事館文化園区」の概要を参照ください。
- 打狗英国領事館のページへのリンク