西子湾十八王公廟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/17 04:54 UTC 版)
詳細は「十八王公廟(中国語版)」を参照 康熙23年(1684年)、中国大陸からの漁船が西子湾で沈没した。18人の船員は脱出して避難のため上陸したが鳳山県役人に海賊と誤認され惨殺された。住民が乗員の遺骨を引き取りこの地に埋葬した。一説には難破船で見つかった18人の遺体を供養するために住民が埋葬したとも言われている。その後住民が西子湾地区の山麓に小さな祠を建てたが、1983年に国立中山大学の用地拡張のため山頂の打狗英国領事館横に移設されることになった。
※この「西子湾十八王公廟」の解説は、「西子湾」の解説の一部です。
「西子湾十八王公廟」を含む「西子湾」の記事については、「西子湾」の概要を参照ください。
- 西子湾十八王公廟のページへのリンク