台湾道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/04 14:55 UTC 版)
台湾道は、清朝が設置した特殊行政区画及び官職である。職権は巡撫と知府の中間であり、同様な官職としては上海道と金陵道の道員があった。清朝統治時代での台湾道は福建省の管轄下に置かれ、道員の地位は福建巡撫の下、泉州知府或いは漳州知府の上位に設定されていた。台湾道は当初廈門に衙門が設置されていたが、康熙年間になると管轄範囲とその性格は台湾知府と類似したものとなり、一部では台湾府知府を台湾統治の実態とする観点も示されている。 台湾道道員は正四品の文官である。台湾内政以外に、台湾鎮の総兵も管轄しており、台湾地区の実質的な軍政指導者であった。またその官名も福建分巡台湾廈門道、福建分巡台湾道、福建分巡台湾兵備道、按察使銜分巡台湾兵備道と変遷したため、台湾巡道或いは分巡台湾道と称されることもある。 官餉は,以1755年(乾隆20年)を例示すれば台湾道の年収は銀62両4分4厘、養廉銀1600両(台湾県及び鳳山県が400両、諸羅県が800両を拠出)し、合計1662両4分4厘であった。(一般に使役される工人の年収は20〜30両)
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