待遇の歴史とは? わかりやすく解説

待遇の歴史

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 22:26 UTC 版)

大相撲」の記事における「待遇の歴史」の解説

歴史的に見て力士永く薄給酷使されてきた。江戸時代には本場所興行収入一部年寄たち(江戸相撲会所現在の日本相撲協会先祖)によって山分けされ、看板となるような人気力士花形力士は別として、大半力士への給与なけなしののだった三役力士ともなれば、大名家からお抱えとされ、藩士としての報償受け取り、また贔屓客からの祝儀もあった。こうした力士地方巡業出掛ければ各地興行主勧進元)から引く手あまたであって、むしろ懐は他の武士階級より潤っていた。一方そうでない大半力士は、細々自主興行による「手相撲」で地方巡業行い食いつないでいた。但し、いわゆる力人信仰」から来る善意喜捨多く本当に食うに困るまで困窮する力士少なかった本場所で「星を売る」、いわゆる八百長行為横行していたと見られており、現在でも度々、八百長行為存在指摘されている。但し、その真相解明八百長行為名指しされた者が八百長行為認めことはないため、事情聴取内輪狎れ合い済まされ尻すぼみに終わる。これには、そもそも格闘技で90回(十両以上は1場所15番×年6場所)もガチンコ試合を行うというのはアスリート肉体的に無理であり、それを行おうとすれば力士生命対する危険はより高くなってしまうという意見もある。 明治入って以降も、大名家藩閥政治有力者となった以外、こうした状況は変わらなかった。そのため力士による待遇改善要求は度々おこり、昭和における春秋園事件その最後にして最大のものだった相撲取り相撲を取ることによって生計が立つようになったのは、昭和に入ってからと言って良い1958年昭和33年)、こうした相撲界体質国会で問題視されそれ以降月給制等による力士の待遇改善試み進んだ。それでも、年6場所および地方巡業により一年間のほとんどを拘束される力士たちに対しては、「時給見れば世界でもっとも可哀想なプロスポーツ選手」という声がある。個人事業主として活動する多くの他のプロスポーツ選手と、給与所得者として活動する力士との間では労働条件異にする部分があるため一律に比較できないものの、横綱でも他のプロスポーツ選手トップクラス比べると相当に安い。実際に小錦自身大関在位時代1987年7月場所から1993年11月場所)の月給について「100万円くらい。僕たちは着物を着るけど、安くても一つ30万円」と証言しており、地位見合った着物など必需品自費購入することを考えればいとする主張したことがある。同時に「僕の時代は、どんな幕内力士でも(懸賞は)必ずあった」とも話しており、さらに「僕も200近く貰っていた。一番いいときに」と自身全盛期には場所の懸賞金1ヶ月分の給料上回っていた事実明かした。この時代及んでも尚、協会から支給される月給だけでは関取個人の生活にも不足が生じ前提生じていたのである2001年平成13年)に力士年寄給料増額記録されてから2019年1月力士給料増額まで据え置きとなっていた時期があった。2008年には当時力士会会長朝青龍が「せめて場所入り用の交通費ぐらい何とかしてくれ」と相撲協会賃上げ要求した首脳陣相手にされなかったという報告もあり、この間協会財政状況潤沢でなかったとされる。ただし2015年冬季ボーナスは「もし俺に何かあったら、(給料底上げを)頼むぞ”」と北の湖協会関係者伝えていたことなどが影響し2014年比べて3割ほどアップしたという。 とはいえ力士労働者として相撲協会雇用されているのか、その特別な能力プロとして提供することを委任しているのか、実は契約曖昧である。たとえば日馬富士貴ノ岩への傷害事件の際に白鵬鶴竜まで減給処分になったのは、弁護士山口元一によると「労働基準法91条が定め制裁制限の幅を超えていました。これは日本相撲協会力士所属契約について、雇用契約たる性質否定していることを示しています」とのこと。なお、2011年大相撲八百長問題解雇され蒼国来起こした訴訟における東京地裁判決は、相撲協会力士との間で結ばれている契約は「準委任契約」(力士個人事業主)としている。 一方で福利厚生引退時の退職金制度税法上の取り扱い等では、他のプロスポーツより充実していて、見方によってはむしろ一般企業勤め労働者に近い。例えば、国技館内には力士のみならず一般診療受け付け診療所公益財団法人日本相撲協会診療所通称相撲診療所」)があること、健康保険組合日本相撲協会健康保険組合)を独自に運営していること、厚生年金制度導入していること、また税金においては給与所得退職所得適用されることにより、自身報酬事業所得として申告する他のプロスポーツ選手には無い手厚い控除受けられること等である。1969年3月11日には国税庁力士等に対す課税について個別通達行っていて、これにより後援会から受け取祝儀などを含めて力士が得る有形無形収入について適切な形で租税計算を行うことが可能となっている。収入の無い幕下以下力士であっても社会保険加入することが可能であり、この場合保険料全額協会負担となる。 金銭に関しては、後援者タニマチ)からの祝儀大きな収入源一つになっている。各力士によってタニマチ大小はあるが、横綱・大関などへ有力な人物タニマチになった場合優勝時には1,000万円上の祝儀集められるという。特に千代の富士全盛時は一晩で5,000万円集まったという。これは角界では後援者からの祝儀給与より大きな比重占めているという現実がある。年寄株取得資金部屋経営資金、有力学生相選手獲得資金等も含めて角界タニマチなしでは成り立たない構造となっている。 一般個人事業主場合のように相撲部屋銀行融資を受けるケースもあるが、新興部屋場合12中立中立部屋例のように難航する場合もある。この例の場合多く銀行担当者から断られた末に最後のつもりで尋ねた銀行担当者相撲理解持っていたことからようやく融資受けられるようになった

※この「待遇の歴史」の解説は、「大相撲」の解説の一部です。
「待遇の歴史」を含む「大相撲」の記事については、「大相撲」の概要を参照ください。

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