小林よしのりとの対立とは? わかりやすく解説

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小林よしのりとの対立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 21:33 UTC 版)

水島総」の記事における「小林よしのりとの対立」の解説

意見対立原因小林よしのり漫画登場した事がある。かつて小林は、チャンネル桜支持者であり、自ら司会務め番組も受け持つなど、思想上の細かい相違はあれど、一時的に和解状態に至ったこともあった。しかし、皇室問題原発を巡る言説相違きっかけとなり、小林一方的な降板宣言し両者亀裂決定的なものとなった[要出典]。皇室問題については、一貫して伝統重視立場取っている。

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小林よしのりとの対立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 21:20 UTC 版)

宅八郎」の記事における「小林よしのりとの対立」の解説

1995年地下鉄サリン事件が起こるとオウム真理教扱い巡って性急な犯人視報道批判したため、同じ『SPA!』の連載であった小林よしのり対立する。そこで、宅は小林との公開討論要求したが、小林自身連載影響力の面から論争通じて売名行為だとして応じず、当時編集長靍師一彦にも反発した末に、連載引き揚げる至ったその後は、小林への配慮もあって一時期批判的な言及控えてはいたが、1995年に、小林とは交流があった切通理作対立して自身コラム文章の中で、切通自宅電話番号何度も公表したり、彼の妻も誹謗中傷するなどしたため最終的に小林紹介した弁護士通じて切通から抗議寄せられたことで一旦連載中断となり、靍師は打ち切り最後まで反対したものの、小林離脱に伴う雑誌売上低下なども重なり解任された。宅と靍師はこれらの顛末については、小林圧力があったことを主張しているが、小林は「オウムと同じ陰謀論か。結構だ。切通弁護士紹介したが何か悪いのか?」と移籍先の『SAPIO掲載分にて反論している。なお、『SPA!上の連載では休載扱いとされていたが、1997年に「再開最終回」という形で1回限り復帰掲載で公式に終了した。 ただし、宅は『教科書教えない小林よしのり』と同書掲載された、1997年5月20日開催したロフトプラスワンでの座談会放送禁止大学2」と『週刊SPA!連載週刊宅八郎」および『噂の真相1995年10月掲載業界恐怖新聞スペシャル版1996年2月掲載週刊SPA!連載突如中断され宅八郎の『逆襲メッセージ」にて、小林漫画ゴーマニズム宣言『新ゴーマニズム宣言』切通理作反論している。 1995年3月8日に、小林は以下の理由から宅を攻撃する編集部宣告第一に週刊宅八郎」にて岡留安則写真使ったことが不快。第二絓秀実登場させたことが不快(1995年2月1日号『週刊SPA!掲載週刊宅八郎第5回)。第三西岡昌紀登場させたことが気に入らない(宅は文藝春秋の『マルコポーロ謝罪会見取材しており、また、西岡対談している。1995年2月22日号『週刊SPA!掲載週刊宅八郎第8回および1995年3月15日号『週刊SPA!掲載週刊宅八郎第11回)。 3月29日号『週刊SPA!掲載の「ゴーマニズム宣言」第143章で小林が宅を攻撃4月12日号『週刊SPA!掲載の「週刊宅八郎」で反論5月3日10日号『週刊SPA!掲載週刊宅八郎」のオウム真理教の上史浩との対談について、小林は「やめてほしい」と靍師に打診したとしているが、靍師はこれを拒絶。また宅も編集部の持つ編集権への干渉にして権利の濫用批判している。 5月17日号『週刊SPA!掲載の「ゴーマニズム宣言」第149章から6月14日号『週刊SPA!掲載の第154章まで6号連続で宅を攻撃この間西岡鈴木邦夫攻撃一方、宅は5月31日号、6月14日号から28日号『週刊SPA!掲載の「週刊宅八郎」で反撃第21回から第24回。なお、6月7日号は宅、鈴木見沢知廉との緊急鼎談記事オウムをめぐる危険な報道捜査掲載のため休載)。 7月5日号『週刊SPA!掲載の「週刊宅八郎」で「小林よしのりへの決闘状発表。なお、小林は『ゴーマニズム宣言第4巻で「バカヤロー これから作家連絡してこい!そして公開討論決着つけよう!」と描いている。 月刊宝島301995年9月掲載切通理作の「小林よしのり言いたい放題インタビュー」について、宅は切通対し「地の部分小林追従し、宅の思考や『週刊SPA!』の編集方針さえ全部決めつけた内容だった」として処刑宣告また、大泉実成本人許諾得た上でインタビュアー指名したインタビュー掲載依頼をするが、『宝島30編集長上田高史大泉ではなく別のライターによるインタビューでないと掲載できないとして、そのライターによる記事が『宝島3010月号に掲載される同時に切通記事サリン気分の人たちへ」が掲載される(この記事には「宅八郎インタビューより先に入稿されました」というお断りまで入っていた。また、宅、絓、鈴木松沢のほか、大泉芹沢俊介鶴見済中沢新一中森明夫連載中森文化新聞」、山崎哲全部一くくりにして、皆サリン気分浸っているという論理書いているものだった)。 それ以降、宅は切通を「後出しジャンケン」として批判し続けたが、宅は切通宅の電話番号公開していない。また、小林事務所切通宅にイタズラ電話はしていない実際切通電話番号調べたが登録はなかった。 宅は切通宅の住所暴露した小林主張しているが、明かしたのは地名までである。また、切通自著実家住所地番まで含め全て明かしており、プライバシー侵害には該当しない。さらに、別の記事でも実家所在地を、また別の記事では当時住んでいたアパート所在地明かしており、同様にプライバシー侵害には該当しない。 妻の職業暴露したという主張当たらないなぜならば切通は2冊目の自著で「ヌードモデルと書いており、単に引用したにすぎない。ただし、宅は妻の噂の間違いについては訂正している。 切通は『週刊SPA!編集部抗議文を郵送した小林漫画描いているが、実際に扶桑社手配したバイク便届いたことを宅と靍師は明かしている。 10月30日扶桑社取締役切通小林宝島社の『宝島30担当編集者陰謀会議11月9日扶桑社役員会にて「週刊宅八郎」の打ち切り決定11月10日19時。宅、靍師、扶桑社役員2名との会議この間、『週刊SPA!』の編集者が同誌で連載をしていた松沢呉一に、切通から扶桑社役員ファックス届いたこと、そのファックスを『ゴーマニズム宣言』の担当編集者持って行ったことを連絡。このファックスには切通小林から情報もらっていたことが記載されていた。これにより、小林切通が裏で画策していたことが明らかに。なお、このファックスについては『教科書教えない小林よしのり』163-167ページにて触れられている。 また、小林は絓を過去に「生きている資格はない!弱者味方ぶるな くされインテリ!!」(ゴーマニズム宣言第6巻)、西岡を「やばい意味でのオタク」(ゴーマニズム宣言第8巻)と誹謗中傷している。西岡については、『マルコポーロ掲載の「ナチガス室』はなかった。」について、「記事と同じ内容パンフレット送ってきた」(ゴーマニズム宣言第8巻)と漫画批判しているが、実際ワープロ打ち別の内容パンフレットであり、小林捏造であると西岡反論しており、抗議文と質問状送っている(『教科書教えない小林よしのり』pp.55-65およびpp.130-135)。 なお、切通については、宅、大泉松沢のほか、浅羽通明鶴見済なども批判している。また、複数著者による徳間書店発行『「尊師麻原」は我が弟子にあらず』に参加した小阪修平共著者切通姿勢に対して怒りあらわしている。

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