ヌードモデル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/08/23 17:13 UTC 版)
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ヌードモデル(英: nude model)とは、写真や絵画、彫刻の制作などに協力し、裸体での人体モデルをつとめる職業である。
美術モデルと教育上の位置づけ
絵画や彫刻、パフォーマンスアートなどの芸術表現・教育分野において、人体の構造や美を表現・習得するためにヌードモデルが必要とされる場合が多い。
現在では「ヌードモデル」という直接的な言葉は使用せず、一般的に「美術モデル」や「アートモデル」といった呼び方がされている[1]。
なかでもヌードデッサンは、美術学生や作家にとって人体の骨格・筋肉・バランスを学ぶための重要なプロセスのひとつとして位置づけられている。しかし、地域の宗教的・倫理的な価値観や厳格な規範が存在する国や地域によっては、モデルの確保や実習環境の確保が困難となるケースも存在する[2]。
世界のモデル(アート)
世界のモデルでは、オードリー・マンソン、アリス・プラン(モンパルナスのキキ)、オリーヴ・トーマスらが、特に有名なアートのヌード・モデルである。19世紀のパリでは、数多くのモデルが美術界で活躍していた。ヴィクトリーヌ・ムーランは、いくつかの作品のためにポーズをとった後、エドゥアール・マネのオリンピアのモデルをつとめた[3]。
ジョアンナ・ヒファーナン(1843年頃-1903年)は、アイルランドのアーティストのモデルであり、アメリカの画家ジェームズ・マクニール・ウィスラー、およびフランスの画家ギュスターヴ・クールベとロマンチックなつながりを持ったミューズだった。彼女はウィスラーの「白の交響曲」のモデルであり、クールベの絵画のモデルであるとも噂された。
スザンヌ・ヴァラドンは、ピエール・オーギュスト・ルノワール、アンリ・ロートレックほか複数の有名画家のモデルをつとめた。彼女はルノワールの「風景の中の裸婦」のモデルとして知られている。またヴァラドン自身も画家となり、作品の中にはヌードを題材としたものもある。
イギリスでビクトリア朝の絵画様式が定着したころ、ライブ・モデル(ヌードモデル)を用いた美術研究への制限は前世紀よりも厳しくなり、高い画力のある上級クラスの学生のみに限定されていった。
日本における美術モデルの誕生
1896年(明治29年)、東京美術学校(現・東京藝術大学)は黒田清輝のフランス帰国を機に西洋画科を開設した。しかし、当時の日本においては裸体に対する強い禁忌感があり、デッサン用のヌードモデルを見つけることが極めて困難な状況にあった。
校長の岡倉天心が学内の喫茶店(食堂)の女性従業員に「モデルが見つからない」と漏らした際、彼女が自ら志願したことで、日本のヌードモデルが誕生した。この女性は後に東京・谷中に日本初の公認のモデル斡旋所を開業し、美術界に貢献した。
なお、美術史家の浅尾丁策らの指摘によると、明治・大正期のモデル斡旋業は、社会的な倫理観や風紀の観点から警察当局によって「風俗営業」の対象として監督・取締まりが行われていたとされている[4]。
写真表現およびメディア文化(世界)
マン・レイやヘルムート・ニュートン[注 1]といった巨匠たちがヌード・モデルを起用し、芸術性の高いアート写真を発表した。
また、ファッション業界においても、ケイト・モスやエミリー・ラタコウスキーをはじめとするトップモデルたちが、ファッション写真や表現活動の一環としてヌードモデルを務めている。
一方、大衆メディアやエンターテインメントの分野においては、男性誌『プレイボーイ』の「プレイメイト」をはじめ、『ペントハウス』の「ペントハウス・ペット」、『ハスラー』のモデルなどが著名なモデルカテゴリーとして知られている。
日本におけるヌードモデルの多様化と時代的変遷
日本の写真業界では単にヌードモデルと言った場合、写真集や雑誌のグラビアなどで、主としてヌード(あるいはヘアヌード)写真を提供するモデルを指す。
1960年代から1970年代にかけてグラビア雑誌が次々創刊し、ピンク映画やポルノ映画に出演するポルノ女優やセクシー女優、アダルトモデルも台頭する。この時代に雑誌でヌードを披露したり、写真集を発表したタレントには、鰐淵晴子[注 2]、加賀まりこ、中村晃子[注 3]、高沢順子[注 4]、カルメン・マキ[注 5]、ハニー・レーヌ、フラワー・メグらがいた。グラビア写真の世界では、平凡パンチやプレイボーイにヌードグラビアが掲載され、篠山紀信らの活動もあり、徐々にヌードモデルをつとめる女性が増加していった。
2000年代以降、グラビアアイドルやアイドルグループの元メンバーがヌードモデルへと転向する事例が増加した。代表例としてグラビアアイドルの細川ふみえや小島可奈子、また、アイドルグループ「モーニング娘。」の元メンバーである福田明日香などが挙げられる。
絵画・デッサン用のポーズ集をはじめ、鍼灸・東洋医学や西洋医学の専門解説書においても、太田八重子をはじめとする実写の女性モデルが数多く起用されてきた。
かつての日本では警察によるわいせつ表現の取り締まりが非常に厳しく、陰毛が露呈した写真や出版物は摘発の対象とされていた。そのため1970年代から1980年代にかけては、この規制を回避する手法としてヘアの生えていない少女をモデルに起用した写真集が多数刊行され、少女ヌードというジャンルやモデル市場が形成されるという社会的影響をもたらした。
2010年代以降は、美術教育やイラスト・マンガ制作のデッサン用途として、AV女優らをモデルに起用した「ヌードポーズブック」が各出版社から多数刊行されるなど、実用的なモデルの選択肢や需要がさらに多様化している[5]。
日本の主な女性ヌードモデル
ここでは主に1990年代から2020年代以降にかけて、雑誌や写真集でヌード作品(いわゆるヘアヌードもしくはトップレス、バストトップ)を発表したモデルを示す。
日本の主な男性ヌードモデル
ここでは主に1990年代から2000年代以降にかけて、雑誌や写真集でヌード作品を発表したモデル、俳優、スポーツ選手、ダンサーらを対象とする。
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脚注
注釈
出典
- ↑ “アーカイブされたコピー”. 2008年11月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年11月7日閲覧。
- ↑ “裸はイスラム教への冒涜、ヌードモデルを使えないエジプトの美術学校”. AFPBB News (日本語). 東京都. フランス通信社. 2008年6月17日. 2010年12月10日閲覧.
{{cite news}}: CS1メンテナンス: 認識できない言語 (カテゴリ) - ↑ (美の履歴書:508)「街の歌い手」エドゥアール・マネ 150年経て解けた誤解は朝日新聞 2017年7月11日夕刊
- ↑ 裸婦ポーズ集―Let’sダ・ヴィンチ p107
- ↑ 安田理央「エロのミカタ」Vol.27 集英社『週刊プレイボーイ』2023年3月27日号No.12/13 137頁
関連項目
ヌードモデル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 14:34 UTC 版)
ヌードやランジェリーなどのモデルが出演する撮影会。専門モデルの他、AV女優が出演する事も多い。
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