富国・強兵とは? わかりやすく解説

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ふこく‐きょうへい〔‐キヤウヘイ〕【富国強兵】

読み方:ふこくきょうへい

国を富ませ、軍事力大きくして、国の勢力強めること。「—策」


【富国強兵】(ふこくきょうへい)

国家経済発展させ、その資産軍事力増強させる事を目指す政治思想
単に経済発展軍備増強目指すではなく、それら二つ不可分であるという前提政治を行う事を指す。

究極的には、「富国」と「強兵」は矛盾する大規模な戦争想定して軍備整えるためには莫大な予算が必要であるためだ。
とはいえ軍備を持たなければ侵略犯罪に対して為す術無く強兵なき富国強盗貢ぐために金を稼ぐに等しい。
逆に富国なき強兵もまた遅かれ早かれ破綻する十分な兵站伴わない軍隊最終的に敗北免れ得ないためだ。
富国強兵は軍国主義でもなければ平和主義でもなく、その中間である。個々政治家がどちらを重んじるかは別として。

なお、戦争を行う事は原則として富国強兵の理想反する。
富国」つまり経済発展のためには対外交易必須である一方強力な軍備備え事とそれを行使する事は同義でないからだ。
敵国との交易打ち切って軍事力行使するのは「富国」に反するし、戦え戦力消耗するのだから「強兵」にも反する。
不戦のまま富国努める事が可能なら、それが理想のである
ただし、富国強兵論者そのような理想的状況いつまで維持できるとは信じない

とはいえ敵国への侵略による領土拡張によって犠牲上回る発展見込めるなら、それも富国強兵の一形態ではある。
また当然、他国侵略企てる場合には戦って自国資産守り抜く事こそが富国強兵の理念叶う唯一の方策である。
しかしどちらにせよ、富国強兵において第一に重要なのは「負けない」事、国家自立維持する事であり、「勝つ」のはその手に過ぎない
ただし、富国強兵論者紛争回避して平和を維持する事がいつまで可能だとは信じない

語源

古く紀元前春秋戦国時代諸侯が行った政策を指す。
戦争不可避であった当時の情勢下で、各国諸子百家から人材登用し騎兵戦術などの新兵器導入して軍事革命行った
しかしその後伝統重んじる儒教道徳布教されるに伴い、富国強兵は「覇道」として卑下されるようになっていく。
その後、富国強兵論は乱世時代重んじられ治世時代軽んじられるという栄枯盛衰繰り返している。


富国強兵

読み方:フコクキョウヘイ(fukokukyouhei)

明治政府国家政策標語


富国強兵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/18 05:01 UTC 版)

富国強兵(ふこくきょうへい、旧字体富國强兵)とは、自国の経済発展を図り軍事力を強化しようとする主張や政策。特に幕末から明治にかけての日本で掲げられた国家的スローガンをいう[1]。その考え方の歴史は古く、春秋戦国時代中国の古典に由来する。

中国における運用

春秋戦国時代に諸侯の国が行った政策を「富国強兵」といい、『戦国策』秦策に用例が見える。この時代には各国が諸子百家と呼ばれる思想家たちから人材を登用し、騎馬戦術や戦車などの新兵器を導入して軍事改革を行った。また、『呉書陸遜伝にも同様の記述がみられる。

日本における運用

富国強兵は、江戸時代中期にはすでに日本で議論されており、「覇者の説」と批判する儒学者に対して、太宰春台がその著作『経済録』において、国家を維持・発展させていくためには富国強兵は欠かせないことを説いた。更に幕末期に入ると鎖国が原因で欧米列強に国力で大きな差をつけられ、これが安政の不平等条約を押しつけられて多くの苦難を味わうとともに、富国強兵が説かれることになる。ここで、重要なのは幕末期の段階で開国派・攘夷派を問わず、富国強兵の必要性については共通の認識が確立していたことである。

攘夷論の理論的支柱となった水戸藩水戸学においては、既に19世紀初期の藤田幽谷によって富国強兵によって外国と対抗する必要が唱えられていた。

薩摩藩では、島津斉彬が藩主に就任する1851年頃には、しきりに異国船が琉球に来航するようになっており、アヘン戦争においてヨーロッパ諸国がアジア各地で植民地化を進めていた実情が正確に知られていた。斉彬は、藩主に就任するや、日本最初の近代洋式工場群、集成館事業の計画に着手し、富国強兵、殖産興業による藩政改革を勧めた[2][3]

開国派の間でも1856年に出された海防掛岩瀬忠震の意見書において、海外貿易を振興して富国強兵を推進する必要が説かれ、老中阿部正弘も岩瀬の考えを採用する方針を立てた。

また、1860年横井小楠が著した『国是三論』も「富国論」「強兵論」「士道」の三論から構成されている。

公家の岩倉具視1867年に著した『済時策』で富国強兵を皇威宣揚のために必要な政策として説いている。

従って、明治政府の成立後に富国強兵が採用されたのは当然の流れであると考えられる。

富国強兵と四民平等

明治3年閏10月24日(1870年12月16日)、高知藩の大参事となった板垣退助は、国民皆兵を断行するため海路上京し、11月7日(1870年1月7日)、「人民平均の理」を布告する事を太政官に具申。その許可を得て12月10日(太陽暦1月30日)高知に帰り、12月24日(太陽暦2月13日)山内豊範の名をもって全国に先駆けて「人民平均の理」を布告し、四民平等に国防の任に帰する事を宣した[4]

夫れ人間は天地間活動物の最も貴重なるものにして、特に靈妙の天性を具備し、智識技能を兼有し、所謂萬物の靈と稱するは、固(もと)より士農工商の隔(へだて)もなく、貴賤上下の階級に由るにあらざる也。然(しか)るに文武の業は自ら士の常職となりて、平生は廟堂に坐して政權を持し、一旦緩急あれば兵を執り亂を撥する等、獨(ひと)り士族の責(せめ)のみに委(まか)し、國家の興亡安危に至りては平民(へいみん)(かつ)て與(あづ)かり知らず、坐視傍觀の勢となり行きしは、全く中古封建制度の弊にして、貴重靈物の責(せめ)を私(わたくし)し、賤民をして愈賤劣ならしむる所以也。方今、王政一新、宇内の變革に基き、封建の舊を變し、郡縣の政體を正さんとする際に當りて、當藩(土佐藩)今や大改革の令を發するは、固(もと)より朝旨を遵奉し、王政の一端を掲起せんと欲すれば也。故に主として從前士族文武常職の責(せめ)を廣く民庶に推亘し、人間は階級に由らず貴重の靈物なるを知らしめ、各自に智識技能を淬勵(さいれい)し、人々をして自主自由の權を得せしめ、悉皆其志願を遂(と)げしむるを庶幾するのみ。抑(そもそ)も古(いにし)へ士と稱するは有志有爲の稱にして、必ずしも門閥の謂(いひ)にあらず、然(さ)れは其(その)多妙の性に基(もとづ)き、更に智識技能を長進し、報國の誠心を盡さんとするは、凡(およ)そ人たる者の天地間に逃れざる大義にして、殊(こと)に皇國は人の資質純厚、義氣最も烈しき風俗なれば、今、一般文明開化の道を講習し、各處に學校を興し敎育を隆にし富強(富国強兵)を謀り、士民競起憤發の域に勸進せしめ、大に舊習を變し、務めて新得を來すは、實に當今の一大の急務にあらずや。既に近頃(ちかごろ)普佛の戰爭に、佛國(フランス)屢(しば)々敗を取ると雖(いへど)も、其民、擧國憤興し、愈報國の志強く、其(その)都府(とふ)長圍を受けて猶屈せさるを聞けり。是(これ)亦人を重んずる制度の善なるを見るに足る。故に皇國をして萬國に對抗し、富國の大業を興さしめんには、全國億兆をして各自に報國の責を懷かしめ人民平均の制度を創立するに如くは無し。若(もし)夫(そ)れ改革の條件、其細目に至つては、往々布告の令に據て之(これ)を詳(つまびらか)にすべし。或(あるい)は其意を誤認して、士族は文武を廢し、安逸に就(つ)き、平民亦(また)其職に惰り、且つ徒(いたづ)らに士族の貴を抑(おさ)へ、民庶の賤を揚ぐる等の疑惑を生す可からず。唯今日(こんにち)宇内の形勢を審(つまびらか)にし、朝廷大變革、開明日新の事情に通し、人間貴重の責をして士族に私(わたくし)し、平民をして賤陋(せんろう)に歸せしむるの大弊を一洗し、人民自己の貴重なるを自知し、各互に協心戮力、富強の道を助けしむるの大改革にして、畢竟(つまるところ)民の富強 (富国強兵)は卽ち政府の富強(富国強兵)、民の貧弱は即ち政府の貧弱、所謂(いはゆる)民ありて然(しか)る後ち政府立ち、政府立ちて然(しか)る後ち民其生を遂ぐるを要するのみ。 明治三年庚午十一月 — (土佐藩布告『人民平均の理[5]』)

この国民全般に国防の責務を任せるための身分解放は画期的であり、富国強兵の具体策の規範とされた[4]

御親兵の創設

板垣退助は富国強兵を国策に掲げ、明治4年2月(1871年3月)、明治天皇親衛を目的とする薩摩、長州、土佐藩の兵からなるフランス式兵制の御親兵6,000人を創設。国家の常備軍として廃藩置県を行うための軍事的実力を確保する事に成功した。この御親兵近衛師団の前身にあたる[4]

明治政府の施策

明治政府はかつての尊王攘夷派主導で確立された政権であったが、成立前後は開国和親政策に転換するとともに万国並立・万国対峙を掲げて列強に国力・軍事両面で追い付くことによって条約の改正と国家の保全を目指した。そのため、西洋文明の積極的導入(「文明開化」)を推進し、地租改正殖産興業で経済力をつけ(=富国)、徴兵制や軍制改革により軍備を増強(=強兵)することで国家の自立維持を図った。陸軍はフランス後にドイツを模範とし、同様に海軍はイギリスを模範とした。

やがて、日本の国力が一定水準に達すると、条約改正とともに列強と同様の植民帝国建設を目指すようになり、中国・朝鮮・南方への経済的・軍事的進出を模索するようになった。条約改正の達成と日清戦争・日露戦争の勝利が、これまで国家指導者や知識人の理論・目標に過ぎなかった「富国強兵」を一般の日本国民にも現実として認識させ、明治初期以来の「富国強兵」「文明開化」史観を定着させることになる。

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク


富国強兵

出典:『Wiktionary』 (2021/08/11 12:51 UTC 版)

名詞

ふこくきょうへい

  1. 国を豊かにし、軍隊強くすること。

「富国強兵」の例文・使い方・用例・文例

  • 富国強兵策
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