富国館とは? わかりやすく解説

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富国館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/26 09:13 UTC 版)

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富国館
情報
旧名称 太平ビルディング
用途 事務所
設計者 吉武建築事務所
施工 戸田組
建築主 太平生命保険
事業主体 富国生命保険
構造形式 鉄筋コンクリート構造
階数 地下1階、地上8階、塔屋2階
着工 1926年(大正15年)3月
竣工 1927年(昭和2年)11月
改築 1977年(昭和52年)4月解体
座標 北緯35度40分14.34秒 東経139度45分18.79秒 / 北緯35.6706500度 東経139.7552194度 / 35.6706500; 139.7552194 (富国館)座標: 北緯35度40分14.34秒 東経139度45分18.79秒 / 北緯35.6706500度 東経139.7552194度 / 35.6706500; 139.7552194 (富国館)
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富国館(ふこくかん)とは、かつて日本の東京都千代田区内幸町にあった建築物。旧称は太平ビルディング。別称は富国生命館富国生命ビルなど。

沿革

太平生命保険(後の日産生命保険)は1909年(明治42年)の創業後、東京府東京市麹町区内幸町一丁目4番地(現在の東京都千代田区内幸町2丁目)に仮社屋を設けて営業していたが、1925年(大正14年)11月、隣接地に永久構造による社屋建築を決め、翌1926年(大正15年)3月着工、1927年(昭和2年)11月に竣工、12月5日より新社屋での営業を開始した[1]。直後の1928年(昭和3年)12月に増築工事にかかり、増築部は1930年(昭和5年)6月に竣工した[1]

太平生命を率いる根津嘉一郎 (初代)は既に富国徴兵保険(後の富国生命保険)、昭和火災(現在の損害保険ジャパン)も傘下に収めており、両社も太平ビルに本社を移した。1939年(昭和14年)に土地、1940年(昭和15年)に建物の所有権が富国徴兵に移り、名称も「富国館」と変わった[1]

第二次世界大戦後の1946年(昭和21年)6月[1]GHQに接収され、1949年(昭和24年)12月までホテルとして使用された。

接収解除後、富国生命では改築を検討していたが、折しも隣接する物産館(旧日産館)・日比谷国際ビルヂング(旧NHK東京放送会館)の再開発計画が持ち上がり、同社はそれぞれの事実上の保有者である三井物産三菱地所や周辺地権者と共に計画に参画した。共同再開発計画は三井物産の離脱があったものの進められ、1977年(昭和52年)4月、富国生命ビル日比谷シティの一部を構成)建設のため解体された[2]

建築概要

設計は吉武建築事務所にして施工は戸田組(後の戸田建設)、増築工事の施工は錢高組である。

出典

  1. ^ a b c d 『日産生命80年史』 35頁、65-68頁
  2. ^ 『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 下巻361-371頁

参考文献

  • 日産生命保険相互会社編纂 『日産生命80年史』 日産生命保険相互会社、平成元年(1989年)12月10日。
  • 三菱地所株式会社社史編纂室編 『丸の内百年のあゆみ-三菱地所社史』 三菱地所株式会社、平成5年(1993年)。



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