勝田清孝事件
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勝田清孝事件(かつたきよたかじけん)は、1972年(昭和47年)から1983年(昭和58年)の約10年間に勝田 清孝(かつた きよたか)が東海地方・近畿地方で8人を相次いで殺害した連続殺人事件である。
注釈
- ^ a b 刑法第45条 - 「確定裁判を経ていない二個以上の罪を併合罪とする。ある罪について禁錮以上の刑に処する確定裁判があったときは、その罪とその裁判が確定する前に犯した罪とに限り、併合罪とする」。
- ^ 昭和40年代、高度経済成長の効果で民間企業の所得が上がり、また安定した終身雇用が定着したこの時期、公務員や公営企業(国鉄、電電公社など)の賃上げが追いつかず、この当時公務員は一部の国家公務員を除き不人気職であった。そればかりか特別区職員ですら二次募集でも定員割れという状況で、ましてや勤務がきつく危険と隣り合わせとなる消防士・警察官・自衛官(特に陸上自衛隊)は慢性的に人手不足となり、多少の瑕疵に対しては不問とすることは珍しくなかった。一般公務員が人気職となるのは、民間の実質賃金が急減するバブル崩壊以降である。
- ^ 同種の事例に大阪連続バラバラ殺人事件(警察庁広域重要指定122号事件)がある。
- ^ 2007年に近隣2町と合併し木津川市となっている。
- ^ 近代法制整備後、戦争行為を除いた単独犯による大量殺人事件としては、当時は津山事件の30人が最大だった。現在は2019年に発生した京都アニメーション放火殺人事件の36人となっている。
出典
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- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 『中日新聞』1986年3月24日夕刊一面1頁「連続殺人・勝田に死刑 名地裁判決 『悪質残虐な犯行、自らの命で償いを』」
- ^ a b c d e 『中日新聞』2000年11月30日夕刊一面1頁「勝田死刑囚ら3人刑執行 岐阜の3人刺殺元店員も」
- ^ a b c d e 年報・死刑廃止 (2017, p. 185)
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- ^ 『中日新聞』1983年4月1日朝刊第12版第一社会面23頁「勝田、クイズで賞金稼ぎ 殺しの合間にテレビ出演」
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- ^ 『中日新聞』1983年8月24日朝刊第12版第二社会面18頁「追跡・勝田事件 第三部 18 懲戒免 『辞令』に涙、震える手」
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- ^ a b 『日本経済新聞』1983年10月27日名古屋朝刊第一社会面21頁「短銃強奪の勝田事件から1年、広域捜査に教訓--“常識外の操作”どう克服」
- ^ a b 『中日新聞』1985年11月27日朝刊一面1頁「勝田に死刑求刑 名地裁 残忍な連続殺人 検察、矯正不可能と断罪 判決は来春」
- ^ a b c 『中日新聞』1985年12月17日朝刊第一社会面19頁「勝田“ざんげの手記”提出 連続殺人公判、結審 名地裁・判決は3月24日」
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- ^ 『中日新聞』1987年7月1日朝刊第二社会面26頁「控訴審裁判官 忌避申し立て 8人殺し勝田の弁護人」
- ^ 『中日新聞』1987年7月9日朝刊第12版第二社会面26頁「勝田事件で名高裁 裁判官忌避を却下」
- ^ a b c d e 『中日新聞』1987年9月10日朝刊第二社会面22頁「作家や元刑務官を証人に申請 勝田弁護団」
- ^ a b 『中日新聞』1987年12月8日朝刊第二社会面22頁「勝田弁護人辞任認めず」
- ^ a b 『中日新聞』1988年1月13日朝刊第二社会面20頁「勝田清孝の控訴審結審 来月19日に判決」
- ^ a b c 『中日新聞』1988年2月19日夕刊一面1頁「勝田、二審も死刑判決 『違憲論』退ける 8人殺害、極刑やむを得ぬ 名古屋高裁」
- ^ a b 『中日新聞』1988年3月2日夕刊第一社会面9頁「名古屋などで連続殺人の勝田被告が上告」
- ^ 『中日新聞』1993年5月27日朝刊第二社会面30頁「勝田被告の上告審 11月4日に口頭弁論」
- ^ a b c d e f 『中日新聞』1993年11月5日朝刊第二社会面30頁「連続殺人 『勝田事件』上告審が結審 死刑めぐり最終攻防 判決は来春」
- ^ 『中日新聞』1993年11月27日朝刊第二社会面28頁「来月16日上告審判決 8人殺害・勝田被告」
- ^ 『中日新聞』1993年12月7日朝刊第二社会面22頁「勝田被告の判決 1月17日に延期 最高裁」
- ^ a b 『中日新聞』1994年1月18日朝刊一面1頁「連続殺人事件 勝田被告の死刑確定 最高裁が上告棄却 『罪責は重大』」
- ^ a b 『中日新聞』1994年1月18日朝刊第二社会面22頁「『死刑存続時代遅れ』 弁護団会見 『予想はしていたが…』」
- ^ a b c 来栖宥子 (1996, p. 302)
- ^ 来栖宥子 (1996, p. 314)
- ^ 『読売新聞』1994年2月6日東京朝刊第二社会面26頁「男女8人殺害 勝田被告の死刑確定」
- ^ 『中日新聞』1994年10月4日朝刊第二社会面26頁「勝田死刑囚の助命嘆願」
- ^ a b c d e 『中日新聞』2000年12月2日朝刊第一社会面35頁「執行間際『ごめんなさい』 勝田元死刑囚 被害者の名前挙げつぶやく」(社会部記者:牧真一郎)
- ^ a b 『中日新聞』2000年12月2日夕刊第一社会面11頁「勝田元死刑囚だびに」
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