公開後の反響
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「KING OF PRISM by PrettyRhythm」の記事における「公開後の反響」の解説
2016年1月9日より新宿バルト9など14館で公開。公開直後の観客動員は小規模に留まり、2週目の土日が終わった時点で最終的な興行収入は「3000万円程度」と見られていた。ところが、テレビシリーズを視聴していたファン層だけでなく『プリティーリズム』シリーズを未見の新規層を巻き込む形の口コミで徐々に人気が上昇し、TBSテレビ『王様のブランチ』の調査による2016年1月23日・1月24日付観客動員数ランキングのミニシアター部門で第1位を獲得した。 2月14日にバレンタインデー特別企画として「愛をいっぱい届けてね! オーバー・ザ・バレンタイン上映会」を開催し、上映館で一条シンのバレンタイン限定メッセージを流したところ公開37日目にして初日の約170%の観客動員数を記録し、上映館数も2月15日時点で延べ47館と公開時の約3倍に拡大した。 3月9日、公開から2ヶ月を突破したロングランを記念して新宿バルト9で「公開3カ月突入! サンキュー♡上映会」を開催。監督の菱田正和、プロデューサーの西浩子(エイベックス・ピクチャーズ)と依田健(タツノコプロ)、キャラクターデザイン・原案の松浦麻衣、一条シン役の寺島惇太が舞台挨拶を行い、その席上で興行収入が同日時点で2億5000万円に達したことが発表された。また観客動員数上昇の結果、公開館数は同日の時点で延べ54館に拡大した。同月15日の時点で興行収入3億円突破、公開館数は延べ60館以上となった。 漫画家のアサダニッキがTwitterで本作を絶賛するコメントを連日投稿していた縁で依頼を受け、観賞レポートをアニメイトTV(当時、のちアニメイトタイムズへ改称)に寄稿している。同氏は6月22日発売予定の「KING OF PRISM by PrettyRhythm 応援BOOK」にも書き下ろし漫画を寄稿している。 声優の杉田智和は2月29日に『同級生』と合わせて本作を観賞した際の感想をTwitterに投稿し、ファンからは「杉田さんがキンプリ絶賛しててクソ笑う」「杉田がエリートになってる」などの好意的な反響がみられた。その後、杉田は続編の『PRIDE the HERO』に高田馬場ジョージ役で出演している。
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公開後の反響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 04:10 UTC 版)
岡田社長は1973年頃からカラテ映画の海外輸出を切っ掛けに「輸出映画を作って稼いでいかなければならない」と東映国際部に東映作品の海外セールスを積極的に行うよう指示を出していた。自らも諸外国を歩き回り東映作品の海外セールスに励んだ。岡田が『新幹線大爆破』の海外での売約を成立させたのは、本作日本公開前の1975年6月12~15日にインドネシア・ジャカルタで開かれた第21回アジア映画祭で、団長として連れて行った志穂美悦子の当地での異様な人気の勢いで『新幹線大爆破』も売れた。この滞在中に岡田は『新幹線大爆破』以外に『けんか空手 極真拳』などを売った。 国内公開終了後の秋にアメリカのジャーナリストを集めて試写を行うと高い評判を呼び、「通俗娯楽映画として水準を抜いたできばえ」「久しぶりの日本映画」などの評価を受けた。特にアメリカの業界誌『バラエティ』で高く評価されたこと、日本の新幹線が世界的に有名なことから、世界各国から注文が入り、1975年9月初めの時点で15万ドル以上の輸出契約が結ばれた。 1975年10月のミラノ国際見本市(MIFED)「日本映画見本市」に出品すると、各国から更に買い付けのオーダーが入ってきた。これに気を良くした岡田社長は「新幹線大爆破応援団長」として、世界の映画祭に直接乗り込みアピール。香港の日本映画見本市や第4回テヘラン映画祭(1975年11月26日~12月7日)、第4回タシケント国際映画祭(1976年5月19日~5月29日)、第22回アジア映画祭(韓国釜山、1976年6月1日~17日) マニラ日本映画見本市(映画祭)(フィリピンケソン、1977年3月21日~24日) など海外市場に積極的に売り込みを図った。日本映画はそれまで海外でいくつも賞を獲ったが、商売上は0だった。また東映作品は1960年代まで動画は売れていたが、劇映画はほとんど売れていなかった。1975年11月~12月のテヘラン映画祭では、コンベンションとは別に各国バイヤーを集めたフィルム・マーケットがあり、世界各国150本以上の長編の試写に火の出る取り引きが行われ、中でも『新幹線大爆破』は各国バイヤー人気が集中し、地元イランや南アフリカなどへの輸出が決まった。上映ではチャードルを被ったイランの中年女性たちが「日本の国に本当に時速210キロもスピードが出る電車が走っているのか?」と半信半疑で観ていたという。上映で舞台挨拶に立った坂上と小野は「外国部で商売用に30分ぐらい短くしたのが気に入らない。とても観ていられない」と話していたが、ドイツのバイヤーは「まだ長い。あと30分短くする」と言っていたという。モスクワ映画祭とタシケント映画祭は当時は一年ごとに交互に行われ、東欧圏の国が全て参加するカンヌやミラノに匹敵する大きな映画市があり、岡田は毎年これに参加し東映作品を売った。1976年2月にイタリア・ローマで開催された日本映画見本市では、代表団団長特権を利用し、オープニング上映を『同胞』から『新幹線大爆破』に変更した。 アラブ諸国では空手映画がヒットした実績があり、オイルダラーを期待した。東映は既に千葉真一主演の格闘アクション映画やアニメ作品をアメリカやアジア市場に売り込み成功を収めていたが、本作の出品は取引の少なかったヨーロッパ、中東、ソ連やメキシコから注文が入った。1974年8月に岡田が訪ソした際、ソ連国家映画委員会副議長(映画省副大臣)と親交を持ち、アレクサンドロフ一行が1974年11月に来日して岡田と交渉を持ったことから、ソ連は東映のカラテ映画を欲しがり、東映と密接なコンタクトを持つことで合意していた。本作は派手好きな欧米人に受け入れられ、特撮ではミニチュアを使用した撮影と思われない評価をされている。
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公開後の反響
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「心が叫びたがってるんだ。」の記事における「公開後の反響」の解説
公開直後から舞台のモデルとなった地を「巡礼」する観光客の存在が報じられ、2015年12月には横瀬町と同町の観光・産業振興協会の手で、作中に登場する架空のバス停を再現した標識が(設定のモデルとされた場所に)設置された。 2016年8月7日に、秩父市役所前の特設会場にて主要声優らが出演したイベント「秩父ふれあい交流会」が開催され、昼夜2回の公演で約6000人が参加したと報じられた。本公演は、限定版ビデオグラムに優先販売申込券が同梱されていた。
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