公開後の反響とその後とは? わかりやすく解説

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公開後の反響とその後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 07:02 UTC 版)

真昼の暗黒 (映画)」の記事における「公開後の反響とその後」の解説

1956年4月10日第24回国会参議院法務委員会で、日本社会党亀田得治1955年4月10日京都市上京区起きた傷害致死事件当時、「京都事件」と呼ばれた無実の4人の少年誤認逮捕された事件。「京都五番町事件」または単に「五番町事件」ともいわれる)について、真犯人見なされる男が、同年3月にたまたま本作鑑賞して自責の念にかられ、4月3日になって京都地方検察庁弁護士に付き添われ凶器持参自首してきたことに触れて映画対す見解法務政務次官質したが、政務次官は「その裁判決定しない前に予断与えるようなことは、私はよろしくないと思う」と応じた同年4月16日参議院本会議亀田は、真犯人自首きっかけをつくり、「四人少年人権守った」この映画について首相鳩山一郎に「どうお考えになるか」と訊ねたが、鳩山答弁避けた1957年4月9日第26回国会衆議院法務委員会での「裁判所法等の一部改正する法律案に関する公聴会で、日本民主党高橋禎一広島3区)が「真昼の暗黒」のラストシーンセリフ引用して「とにかく、有罪裁判受けたけれども、最後最高裁判所があるんだから決し悲観するなという、非常に激励鞭撻しているような面が出てきますが、あれはやはり今の日本国民裁判制度対す一つ常識だと思うのです」と最高裁位置づけ議論材料として示した八海事件については映画公開後1957年10月最高裁事実誤認として広島高等裁判所差し戻し広島高裁1959年9月弁護側の主張認め阿藤ら4人を無罪とした。しかし検察側が上告最高裁原審破棄差し戻し1965年広島高裁は再び阿藤死刑判決下し最終的に真犯人(すでに無期懲役が確定)の出した上申書決め手となって1968年10月最高裁阿藤ら4人を無罪としてようやく確定した日本国憲法下刑事裁判において、二審死刑判決受けて最高裁に上告された数は多いが、最高裁二審死刑判決破棄・差し戻した例は12例(11件・16人)と少ない。 この最後判決山田傍聴し、その模様を『キネマ旬報』に寄稿している。釈放され阿藤たちを山田箱根温泉招待しその際特別上映初め本作鑑賞した阿藤は「感激した」と後年述べている。

※この「公開後の反響とその後」の解説は、「真昼の暗黒 (映画)」の解説の一部です。
「公開後の反響とその後」を含む「真昼の暗黒 (映画)」の記事については、「真昼の暗黒 (映画)」の概要を参照ください。

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