海外セールス
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1976年12月4日の神戸三宮東映・ニューセンター東映プラザの開館に出席した岡田社長が記者会見で「『恐竜怪鳥の伝説』は脚本を見せるだけで中南米に13万ドルで売ってきたが、ワーナーにも売り込みを開始している」と話すなど、岡田が事前売りを是非やれと国際部にハッパをかけ、1977年4月29日の国内封切前に、東映国際部が初めて事前セールスを行い、1976年10月のミラノ国際映画見本市を皮切りに、11月のテヘラン国際映画祭、中南米、アフリカなどで事前セールスを展開し、予想以上の反響があり1976年中にフランス、オランダ、イタリア、エジプト、南アフリカ共和国、カナダ、コロンビアと東南アジアの海外17ヶ国、成約額は50万ドル(当時の邦貨で1億5000万円)に達した。洋画ではよくあるケースだったが、日本映画が完成前に売れたのは初めてのケースで、カラテ映画や『新幹線大爆破』を作った東映で、かつて『トラ・トラ・トラ!』や、1974年に『ザ・ヤクザ』を作った同じ東映京都撮影所で作る映画であるという信用から、完成前に事前契約成立を可能にした。
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海外セールス
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「宇宙からのメッセージ」の記事における「海外セールス」の解説
1978年夏の時点で海外85ヵ国に200万ドル(当時の邦価換算で約4億円)のミニマムギャランティで売れ、1978年冬に90ヵ国と輸出契約を結び、世界90ヵ国で公開されたとされ、海外配収レコードを記録した。1977年の日本映画の輸出総額は400万ドルで、日本経済の高度成長とともに日本製品が世界で氾濫していた中、映画だけは海外から振り向きもされなかったため、岡田社長は「日本映画史に残る快挙」と自画自賛した。『宇宙からのメッセージ』以前に海外で最も稼いだのは『日本沈没』の100万ドル。以下、『東京オリンピック』85万ドル、『新幹線大爆破』75万ドルの順。ゴジラシリーズのように息長く売れたものもあるが、総じて話にもならないレベル。小津安二郎、黒澤明といった巨匠映画も商売となると話は別であった。
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海外セールス
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『Gammera the Invincible』、または『Gamera』の題名で、海外に輸出された。アメリカには特撮部分のみ売られ、現地でドラマ部分を撮り足して公開された。湯浅監督によると、『対バイラス』の時点でバンクシーンに使おうと本作のオリジナルネガを探したが、散逸して見つからない状態だったという。新撮シーンにはブライアン・ドンレヴィや、アルバート・デッカーなどが出演している。
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