海外ツアーがなかったことをめぐって
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 14:22 UTC 版)
「トム・パーカー (マネージャー)」の記事における「海外ツアーがなかったことをめぐって」の解説
プレスリーのファンたちの間には、プレスリーが、おそらくは極めて魅力的なオファーがあったと思われるにもかかわらず、一度しか国外公演旅行をしなかったことについて、パーカーがアメリカ合衆国のパスポートを取得できない、あるいは、申請の段階で国外退去にされかねないと恐れていたからではないか、といった憶測が流れていた。アメリカ陸軍の退役軍人として、また、合衆国市民の配偶者として、合衆国市民権を申請できる立場にあっても、パスポートの取得に必要な合衆国市民権を申請すれば、これまで注意深く隠蔽してきた外国生まれという事実が暴かれかねなかった。 プレスリーは、キャリアを通して、1957年に短いツアーを行ったカナダのトロント、オタワ、バンクーバーのわずか3カ所でしかアメリカ合衆国外での公演をしていない。いずれにせよ当時は、アメリカ合衆国とカナダの国境を越えるのに、パスポートは不要だった。バンクーバーのラジオの人気者で、プレスリーのコンサートの司会を務めたレッド・ロビンソン(英語版)は、パーカーはプレスリーに同行しておらず、ショーには現れないでワシントン州に滞在していた、と述べている。もっとも、国内ツアーの場合でも、パーカーはプレスリーのすべてのツアー、すべての公演に同行したわけではなく、このことだけではプレスリーが海外公演を行わなかった理由にはならないように思われる。 プレスリーが初の海外公演をするのではないかという噂は、1974年にオーストラリア公演に100万ドルの報酬という話が出て、一挙に盛り上がった。パーカーは、柄にもなくこの話に乗り気ではなく、プレスリーの取り巻きたちの間では、パーカーの過去や、パスポートを申請したがらない理由についての憶測がたちまち飛び交った。結局、パーカーは、海外で仕事をしてみたいというプレスリーの考えを封殺したが、プレスリー自身も海外での仕事にこだわらなかったことは明記しておくべきであろう。 プレスリーが海外公演を行わなかった理由としては、このほかにも以下のような説がある。 パーカーが、海外におけるセキュリティは、アメリカ合衆国内よりも危ういと恐れていたこと。 パーカーが、外部からの影響(マネージャー、代理人、等)が、パーカーとの契約内容がいかに特殊かをプレスリーに知らせることになると考えていたこと。 プレスリーほどの大スターが公演を行うのにふさわしい大規模な会場がないこと。これらの言い訳は、プレスリーが海外でのツアーに関心を示した際に、しばしば持ち出された。他者との厳しい対立を嫌ったプレスリーは、こうした見解に反論することはなかった。 興行主たちの中には、ファンたちに1枚100ドルもするチケットを売ろうとした。パーカーは、ファンたちが搾取されるのを見たくないとしており、そのことが海外公演を断る理由のひとつともなっていた。
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