映画界への影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 14:43 UTC 版)
テレビから始まった「社会現象」としてのこの怪獣ブームは映画界にも波及した。 大映は、東宝の怪獣映画に対抗して1965年(昭和40年)に独力で『大怪獣ガメラ』を製作して大ヒットを飛ばしていたが、翌1966年(昭和41年)には『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』と『大魔神』の二本立て興行を行い、ドル箱シリーズとした。 当時邦画は斜陽期を迎え、軒並み興行成績が低下していたこともあり、大映のこの『ガメラシリーズ』の好調を商機と捉え、1967年(昭和42年)には日活が『大巨獣ガッパ』、松竹が『宇宙大怪獣ギララ』を制作するなど、本来畑違いの映画会社までが参戦。海外セールスに有利な「怪獣映画」は、政府もドル箱として有効性を認め、これらの映画制作に「社団法人・映画輸出振興協会」が「輸出映画産業振興金融措置」として融資を行う過熱ぶりだった。 ゴジラ映画やこれらの怪獣映画に顕著なのは、観客層をそれまでの一般層から、「怪獣ブーム」の主体である低年齢層に絞っていることである。「ミニラ」や「ギララ」、「バイラス」といった怪獣の名前は、少年週刊誌で懸賞公募され、命名式には多数の子供たちが招かれた。
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