映画界へ~乱高下の90年代とは? わかりやすく解説

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映画界へ~乱高下の90年代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 15:00 UTC 版)

ドニー・イェン」の記事における「映画界へ~乱高下の90年代」の解説

のちにウーピン監督から声がかかり『妖怪道士』という作品スタントマンとして参加1984年の『ドラゴン酔太極拳』で香港映画界にデビューする。しかし2作目の『情逢敵手原題)』に主演した後は、ボストン戻り母の武館の助手務めた。 再び香港渡ったのは3年後その際には、演技を学ぶため無綫電視藝員訓練班(TVB俳優養成所)に加入1988年から1991年にかけてTVBテレビドラマ出演する同時にタイガー刑事』、『クライム・キーパー 香港捜査官』、『タイガー・コネクション』等の撮影通し、ウーピン監督のもとでアクション俳優そしてアクション指導として経験を積むことになった1992年にはツイ・ハーク監督ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ 天地大乱』に、強敵提督役で助演映画終盤用いた武器「布棍」を考案しジェット・リーとの激しアクション設計にも参加したという。なおこの作品香港電影金像奨香港映画におけるアカデミー賞)の助演男優賞ノミネートされている。続く『ドラゴン・イン/新龍門客棧』でも敵の宦官役で助演したが、主演作の方はいずれ予算少な作品がほとんどであったそんななか1995年に、ひとつの転機訪れる。子供の頃から熱狂的なブルース・リーファンである彼はブルース・リーの『ドラゴン怒りの鉄拳』のリメイクTVドラマ精武門』で主演日本発売され10DVDBOX特典映像によるとドラマアジア53もの国と地域放映され22人以上が視聴ドニー・イェンの名は広く認知されることとなった。 やがて『ドラゴン危機一発'97』『ドニー・イェン COOL』などで映画制作監督業にも進出。しかし折からアジア通貨危機香港映画界の縮小化興行的失敗重なり一転苦し時期迎えてしまう。その後しばらくは、俳優としてではなくドイツ日本アクション監督徹する機会増えていった。

※この「映画界へ~乱高下の90年代」の解説は、「ドニー・イェン」の解説の一部です。
「映画界へ~乱高下の90年代」を含む「ドニー・イェン」の記事については、「ドニー・イェン」の概要を参照ください。

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