映画界の女王と人気の低下とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 映画界の女王と人気の低下の意味・解説 

映画界の女王と人気の低下

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 06:39 UTC 版)

ジョーン・クロフォード」の記事における「映画界の女王と人気の低下」の解説

1930年公開され初期トーキー映画モンタナの月』で、ジョニー・マック・ブラウン (Johnny Mack Brown) の相手役演じたクロフォード大成功収め新たなトーキー映画時代でもスター女優であることを証明した続いてロバート・モンゴメリー競演した『デパート横顔 (Our Blushing Brides)』も大ヒットしている。これらの映画は、サイレント映画時代クロフォード代名詞となっていたフラッパー女優としてではなくクロフォードをより洗練された女優として売り出そうとするMGM意向製作されたものだったクロフォード1931年の『蜃気楼の女』で、クラーク・ゲーブル相手役つとめた撮影中にクロフォードゲーブルは関係を持つようになったが、製作総責任者ルイス・B・メイヤーゲーブル最後通告突きつけたために二人の関係終わっている。この『蜃気楼の女』は公開同時に大ヒットした。 『蜃気楼の女』に引き続いてクロフォードは『グランド・ホテル』(1932年)に出演した。この作品世界初オールスター・キャスト映画作品として知られており、出演者当時MGM看板スターだったグレタ・ガルボジョン・バリモアウォーレス・ビアリーといった俳優陣だった。『グランド・ホテル』は1932年度MGMでもっとも興行成績揚げ作品であり、第5回アカデミー作品賞受賞している。この年に『モーション・ピクチャー・ヘラルド誌』が実施した「もっとも興行成績あげられるスター」の投票企画で、クロフォードマリー・ドレスラージャネット・ゲイナーに続く3位となっている。ドレスラー1931年に、ゲイナー1928年に、それぞれアカデミー主演女優賞獲得していた女優だった。 クロフォードは続く『令嬢殺人事件』(1932年)でも成功収めたしかしながら公開後間もなくして、この映画のあらすじ他の作品からの盗作ではないかという声が上がりMGMは『令嬢殺人事件』の公開中止余儀なくされた。この『令嬢殺人事件』はTV放映されたことがなく、ビデオ作品としてもリリースされていないために、クロフォード幻の作品となっている。『令嬢殺人事件』でクロフォード演じたレティ・リントンが着用した衣装担当エイドリアン (Adrian) のデザインによるドレスは「レティ・リントン・ドレス」と呼ばれて大きな注目集めた。肩に大きなフリルのついた白いコットンオーガンジーのこのドレスを、ニューヨーク百貨店メイシーズレプリカとして1932年販売しアメリカ全土500,000着以上売れている次作『雨』1932年)はジョン・コルトン (John Colton) が脚本担当した映画である。サマセット・モーム短編小説原作とする『雨』は、過去何度舞台化映画化された作品だった。クロフォード演じたしたたかだが傷つきやす娼婦サディ・トンプソン役は、舞台でジーン・イーグルス (Jeanne Eagels)、サイレント映画グロリア・スワンソンらが過去演じている。しかしながらクロフォードのサディ・トンプソン役は評判がよくなく、作品興行的に失敗作となっている。 1933年5月に、クロフォードはフェアバンクス・ジュニアと離婚したクロフォードは「心にこの上ない大きな傷を負った」とし、フェアバンクス・ジュニアがクロフォード友人たちに対して嫉妬猜疑目を向け」「とるに足らない些細なことで、私を一晩中大声責め立てた」と主張している。フェアバンクス・ジュニアと離婚したクロフォードは『ダンシング・レディ』(1933年)で再びクラーク・ゲーブル共演した。まだ映画界では無名だったころのフレッド・アステア出演しているこの作品出演者の中で、クロフォードはもっとも出演料高額な俳優だった。次作蛍の光 (Sadie McKee)』ではジーン・レイモンド (Gene Raymond)、フランチョット・トーン共演している。この年クロフォードクラーク・ゲーブルとの共演この後続き、『私のダイナ』(1934年)で5本目、『結婚十分前』(1934年)で6本目共演となっている。 1935年クロフォードは『蛍の光』でも共演したニューヨーク出身舞台俳優フランチョット・トーン結婚したクロフォードトーンは『今日限りの命』(1933年)で初共演し、すぐに意気投合した。ただし、当時クロフォードはフェアバンクス・ジュニアと離婚したばかりで、新たな恋愛には二の足を踏んでいたともいわれている。結婚した二人は、クロフォード自宅があったカリフォルニア州ブレントウッド小さな劇場を建て、仲間うちで古典劇上演して楽しんだクロフォード結婚する以前からトーンハリウッドでの俳優活動支援宣伝していたが、トーン映画にはほとんど興味がなかったために、クロフォード最後に諦めている。その後トーン酒浸りとなり、クロフォード暴力振るうようになっていった。トーンとの結婚生活に耐えられなくなったクロフォード離婚調停申請し1939年にこの申請認められた。後にクロフォードトーン和解し1964年トーンクロフォードに再び求婚したこともあった。1968年トーン死去したときにはクロフォード火葬の手配をし、遺灰カナダのマスコカ湖に散骨した。 1936年クロフォードは『豪華一代娘』に、マーガレット・オニール・イートン (Margaret O'Neill Eaton) 役で出演しロバート・テイラー当時はまだ夫だったフランチョット・トーン共演した興行成績は普通であり、MGM期待したほどのヒットとはならなかった。また、この年にはクラーク・ゲーブルとの共演作『空駆ける恋』も公開されている。クロフォード出演する作品興行成績概ね好調続けていたが、クロフォード自身人気緩やかに落ち込んでいった。1937年クロフォードは、雑誌ライフ』で「映画界女王」の称号呼ばれているが、大衆からの人気衰えは止まらなかった。1937年の夏には、クロフォード出演する映画の興行成績順位が7位から40位に落ち込んでいる。1937年の『花嫁は紅衣装』は、その年のMGM最大失敗作となってしまっている。1938年5月雑誌『インディペンデント・フィルム・ジャーナル』は、グレタ・ガルボキャサリン・ヘプバーンフレッド・アステアノーマ・シアラーマレーネ・ディートリヒらと並んでクロフォード出演料高く人気がある割には興行成績貢献しない俳優 (Box Office Poison) として記事にした 。 クロフォード1939年の『ザ・ウィメン』に、浮気相手家庭を壊すクリスタル・アレン役で出演した1940年の『Strange Cargo』は、8本目にして最後となるクラーク・ゲーブルとの共演作品となった1941年の『女の顔』では、顔に醜い傷跡を持つ恐喝者アンナ・ホルム役を演じた。この映画1938年公開されスウェーデン映画リメイク作品で、このときのアンナ・ホルム役はハリウッド進出前の若きイングリッド・バーグマン演じていた。 クロフォード最初養子となる娘を引き取ったのは1940年のことである。当時クロフォード独身であり、カリフォルニア州法では養子をとることはできなかったために、クロフォードラスベガス代理人経由養子縁組成立させた。この娘はジョーンという名前で呼ばれていたが、クロフォード引き取ったときにクリスティーナ (Christina) という名前に改名している。その後クロフォードは6カ月交際期間を経て1942年7月21日俳優フィリップ・テリー (Phillip Terry) と結婚したクロフォードフィリップ二人目となるとなる養子をとり、クリストファー名付けたしかしながらクリストファー生みの親のもとに戻されたために二人別の養子迎え、フィリップ・テリー・ジュニアと名付けたしかしながら1946年クロフォードフィリップ離婚したために、養子のフィリップ・テリー・ジュニアはクリストファー・クロフォードに改名している。 MGM契約結んでから18年後の1943年6月29日に、クロフォードMGM双方合意のもとで契約終了した。このとき映画の製作契約クロフォード側に数本残っていたために、MGMクロフォード100,000ドル違約金支払っている。第二次世界大戦中クロフォードアメリカ女性志願兵 (American Women's Voluntary Services) の一員加わっている。

※この「映画界の女王と人気の低下」の解説は、「ジョーン・クロフォード」の解説の一部です。
「映画界の女王と人気の低下」を含む「ジョーン・クロフォード」の記事については、「ジョーン・クロフォード」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「映画界の女王と人気の低下」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「映画界の女王と人気の低下」の関連用語

映画界の女王と人気の低下のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



映画界の女王と人気の低下のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのジョーン・クロフォード (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS